【素朴な疑問(5)】
プログラマはなぜ画面を小さくしたがるのだろう
プログラマはなぜコンピュータの出力画面を小さくしたがるのだろう。その昔DOSが全盛であった時代には、CRT画面は主に左側部分だけを使うことが多かったとはいえ、一応画面全体を一人で目一杯使えたものだ。しかしウィンドウズの時代になってからというもの、画面全体を万遍なく使うような使い方が普通になった。それはそれで大変結構なことではあるが、窓を通して画面を見るようになったため窓枠の分だけ画面が削られ、実質的な利用可能領域が狭くなってしまった。しかしプログラマは誰もそれに異議をとなえない。不思議なことである。
しかもその窓枠の中となると、見よ、上部にはタイトルバーとかいうものがあるしその下にはメニューバーがある。右側はと見ると、上下方向へのスクロールバーの表示があるという具合で、画面は益々狭くなってきてしまっている。かてて加えて、場合によっては下部に水平方向へのスクロールバーやまた別のメニューバーが表示されることもある。更に大抵のアプリケーションプログラムでは、独自のホットキー(アクセラレーターキー)を設定したバーが、これでもかこれでもかという程ふんだんに用意されるのが普通であるから、上下左右から段々と追いたてられて、プログラマが実質的に使える画面は何と半分(!)くらいになってしまっている。
それを使うプログラマの側にも問題がある。その狭い画面の中に、あろうことか、更に別の窓を開いたりしている。更にその上にも、そして更にその上にも‥‥。これではどう考えても、彼らが画面を“狭くしよう”“狭くしよう”と努力しているようにしか見えないではないか。
その狭い画面に文字を表示しようとすると、情報量を増やすためにはどうしても文字フォントのポイント数を小さくするしかない。私のような老眼の年寄りにはこれは相当にこたえる。とてもついていけない。プログラマは、若いうちは大抵眼が良いからそれで構わないのかもしれないが、そのうち彼らも間違いなく眼が悪くなることであろう。そうまでして彼らはなぜ画面を狭くしようとするのだろう。
そう言えば、ハードウェア設計を担当している友人が言っていた。これからパソコンを購入するなら17インチのCRT付きにした方がよい。絶対に15インチなど買うなと(もちろん、正確には15型、17型と言うべきところである)。あれはこのための対策だったのであろうか。そう思って、ふと気が付いてみると、若いプログラマ達は皆17型のCRTを購入して、ちゃっかりと大画面にして使っているではないか。そうだったのか‥‥知らなかった、知らなかった。プログラマは異議をとなえない訳だ。知らないということは恐ろしいことである。
そのうちに、プログラマの利用可能領域は更に狭くなって、17型どころかワイドTV並みの大画面を必要とするようになるのではあるまいか。そして、その大画面の中の特定の領域(たとえば中央の10x20センチ平方)に顔を押し付けるようにして、プログラマがキー入力している様が目に見えるようである。
ハードウェア設計者はCRTの画面を“広くしよう”“広くしよう”と努力してくれているというのに。プログラマはなぜ画面を小さくしたがるのだろう。あぁ、今夜も眠れそうにない。
(終り)
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