続・素朴な疑問
(20)

日本にはなぜベースボールがないのだろう?

 イチロー選手のアメリカでの活躍が続いている。そのせいもあって私はすっかりメジャー・ベースボールのファンになってしまった。衛星放送を通じてアメリカから送られてくる実況中継に見入ってしまい、思わず知らず時間を過ごしてしまっているのである(*1)
【注】(*1)我がホームページ(Knuhsの書斎)の内容更新が、今までの2週に1回から4週に1回になってしまったのも、実はそのためなのである。アップするネタをひねり出す努力をするのをすっかり忘れてしまっているのだ。このままでは、いずれ8週に1回の更新となってしまうかもしれない。困ったことである(赦されよ)。


 メジャー・ベースボールの魅力について、今更ここでクドクドと述べるまでもないが、姑息な手段を使わず各選手が正々堂々と力で対決している姿が素晴らしい。審判の権威が保たれており、選手も無闇に抗議したりすることがない。選手の動きや試合運びがともにスピーディーなのも魅力である。そして何よりも、スタジアムでの家族的な雰囲気の応援風景が素晴らしいのだ。これこそが本物のベースボールなのであろう。

 私が初めてメジャーリーグのベースボールを実際にスタジアムで観戦したのは、シンシナチをホームグラウンドとするシンシナチ・レッズの試合だった。そのとき私が驚いたのは、スタジアムの美しさもさることながら一塁側席も三塁側席もそして外野席もすべてレッズファンで埋めつくされていたことである。すべての観衆が地元レッズの熱烈なファンで占められていたのである。試合が始まると、その応援振りがまた尋常ではなかった。味方打線が外野フライを打ち上げようものなら観客全員の声援でそのボールを外野席まで運んでいって無理矢理ホームランにしてしまう、といった風な応援振りなのである。観客全員がよってたかって地元チームを勝たせてしまうという感じなのだ。あのときのホームランは、確かに私の力も少しは加わっていたと私は今でも固く信じている。そのとき私は「あぁ、これがベースボールというものなのだ」と深く深く実感したのであった。

 それにひきかえ日本ではどうか。日本ではベースボールは「野球」と呼ばれている。しかしベースボールと野球は決して同じではない。関東地方に住んでいる私は、不幸にして巨人ファンでもないのにテレビでの野球観戦と言えば必ず巨人戦を見せられている。明けても暮れても巨人戦ばかりである。それはまぁ我慢するとしよう。ひいきチームの試合が見られなくてもスポーツとして良い試合が見られればそれはそれで我慢もできる。しかし日本の野球はどうもせこいところがある。真っ向勝負という姿勢が見られない。外人選手がホームランの日本記録をぬりかえそうになると、相手投手は直ぐさま敬遠してしまい打たせないのである。あれは何だ! まったくフェアでない。そして、何かというと直ぐ審判の判定に不服をとなえ、抗議が通る通らないの前にまず手を出して殴り掛かってしまう。選手の暴力ざたは日常茶飯事である。本来、審判に抗議できるのは監督だけなのだが、そんなことすら知らない選手ばかりである。試合もぐずぐずと時間ばかり掛ってスピーディーなところがまるでない。毎夜、野球放送の後のテレビ番組は時間変更を迫られている。後の番組のビデオ録画を設定していた人はその度に苦い目に会っている。どうしてくれるのだと言いたい。

 ファンのレベルも低い。鐘や太鼓の鳴り物入りの騒々しい応援、そして応援の強制。家族的な応援など考えられない。巨人ファンは巨人が勝ちさえすれば幸せなのだ。彼らは好試合などまるで期待してはいない。ただ自チームが勝ちさえすればそれでよいのである。要するに草野球並みなのだ。そう、まさにあれは草野球である。メジャー・ベースボールのファンになって以来、私は日本の野球をまったく見ていない。草野球は決してベースボールと同じではないのである。

 メジャー・ベースボールに久しぶりに接し、その楽しさを思い出すにつけ痛切に思うのである。日本にはなぜベースボールがないのだろう? あぁ、今夜も眠れそうにない。■