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携帯の利用技術はどこまで進化するのだろう?
私は普段、携帯を使わないことにしている(*)。どちらかと言えば“アンチ携帯派”ということになろう。しかし最近の携帯電話の目覚しい進歩を見ていると、モバイルの中心的役割を担うこのツールから眼が離せなくなってきている。これを軽視していると、気が付いたら自分がデジタルデバイドの対岸に居たということにもなりかねない、そんな気配なのである。したがって自分が使わないとは言えその機能の実態だけは正確に把握しておきたいと思う。
【注】(*)正確には、私めの名前で契約した携帯が1台この世に存在するのだが、それは普段は妻が使っている。
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会社勤めをしていた頃は私も人並みに携帯を保持していた。あの頃は携帯と言えは確か耳に当てて使うものであった。しかし今や(そういう使い方もまだあるらしいが)携帯といえば目の前に掲げて使うものになってしまっている。つまり目の前に親指を立てるような格好で携帯を持ち、むしろ“見たり”“読んだり”するためのツールとして使われているらしい(私は普段使わないので詳しいことは知らないのだが‥‥)。
携帯を右手(または左手で)で持ち、にぎったままの親指を器用に前後左右に動かしつつ文字を入力する。いわゆる“親指入力”である。所定の文字を表示できるまで何回も何回もボタンを押さねばならないから大変である。親指が器用に動かない(私めのような)世代は、携帯を左手で持って右手の人差し指で入力するしかない。まさにデジタルデバイドの向こう側に居る人であることを自ら証明しているようなものだ。
昔、日本語入力の方式として色々な方法が提案され、各社が競って技術開発に当たった時代があった。しかし当時これほど劣悪な入力方法を提案した者はいなかったろう。ところが今や利用者数から言ってもこれが日本で一番普及した入力方式になってしまった。恐ろしいことである(詳しいことは知らないのだが‥‥)。
その他色々な機能があるが、時計機能などあたりまえで、着メロ、着うた、ゲーム、インターネットへの接続、音声データ等のダウンロード‥‥と続けば、そのうちに腕時計やウォークマン、ゲーム機器やパソコンなどをすべて飲み込んでしまうのではなかろうか。
カメラ付き携帯の普及により多くの人がデジカメを常時持ち歩いているのと同じ状態になってきている。素人報道カメラマン(ウーマン)がうようよいるようなものだ。新聞やTVに出る視聴者による報道写真はこれからはもっともっと傑作が増えていくであろう。UFOの目撃写真なども出てくるかもしれない(詳しいことは知らないのだが‥‥)。
最近では買い物の支払いを携帯のボタン一つで済ませたり、入場券等のチケット類は携帯で予約しその携帯をチケット代わりにして映画館や劇場に入ったりもできるらしい。GPSによる位置確認や指紋認証のできる携帯もあるという(詳しいことは知らないのだが‥‥)。
こういった携帯そのものに備わっている各種の機能の他に、それらを活用した“利用技術”とも呼ばれるものが多数存在する。たとえば、親指入力法などはその典型であろう。
親指の本来の機能は物をつかむことにある。他の4本の指にあい対して機能する唯一の指であるから代替がきかない。その指を前後左右にめまぐるしく動かすというのだから、これは極めて不自然な使い方といえるであろう。下手をすると腱鞘炎になったりするのではなかろうか。昔、親指シフトという入力方式があったが、あれはまだ親指の使い方が自然だった。
“ワンギリ”などと呼ばれるテクニックもある。音声接続しなくても情報を伝えられるテクニックである。昔、呼び出し音を3回鳴らして電話を切れば「駅に迎えにきてくれ」の合図だったりと、同じようなことは行われていた。しかしワンギリを商売に利用しようとする輩が現れてからは、通信システムを混乱させる行為とみなされるようになった(詳しいことは知らないのだが‥‥)。
ところで、私が今もっとも注目している利用技術は、携帯によって自分の周辺にバリアーを築く技術である。この利用技術はまだ余り知られてはいないようだが、携帯を目の前に掲げると途端に周辺から隔絶され、まわりの人の声や視線が一切気にならなくなるという魅力的なテクニックである。特に電車の中などでこれを利用している人(特に女性)が多い。これは凄いテクニックだと思う。私もできることなら是非活用してみたいものだ(詳しいことは知らないのだが‥‥)。
携帯の利用技術はどこまで進化するのだろう。
あぁ、今夜も眠れそうにない。■
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