続・素朴な疑問
(26)

人はなぜ、常にコミュニケーションを取らずにいられないのだろう?
 人はなぜ、仲間と常にコミュニケーションを取っていないと落ち着かないのだろう。

 この世に携帯電話なるものが登場したとき、誰もがこんな便利なものはないと思ったに違いない。いつ何時(なんどき)、何処からでも電話が自由に掛けられるようになったのだから。
 もはや出先で公衆電話を捜す必要はない。公衆電話の前の行列に並ぶ必要もない。電話機に投入する小銭の確保に頭を悩ませる必要もない。連絡先を記したアドレス帳を持ち歩く必要もない。素晴らしいことではないか。

 しかし携帯電話の技術進歩が、この「何処からでも電話が掛けられる。受けられる」という程度で終わってくれていたらどんなに良かっただろうか、とも思う。周知のように携帯電話に付加価値を付ける試みは絶え間なく続けられており、もはや音声通話という目的ばかりではなく、電子手帳のように、ゲーム機のように、そして財布代わりにと、様々な機能が取り込まれてつつある。どれも、結局は通信費をいかにたくさん利用者から搾り取るかという観点からの改良なのであるが。

 その結果分かったことは人間のもつ奇妙な習性である。人間は常に誰かとコミュニケーションを取っていないと生きてゆけない動物であることが明らかになった。
 電車の中で隣に座った若者を観察してみるがよい。2〜3分置きに携帯を取り出してはメールチェックをしている。居眠りをしている中年男性の手にはしっかりと携帯が握られている。メールが届いたらすぐさま対応できる体勢で眠っているのである。ただ、ひたすらに誰かとコミュニケーションを取っていないと落ち着かないのである。車の運転中であっても携帯でしっかり誰かとコミュニケーションを取っている。うっかり携帯を持たずに外出しようものなら、友人からの連絡が受けられず、もしかすると友人達から仲間はずれにされてしまうのではないかと一日中落ち着かなくなるといった有様である。

 授業中の学生達も、講義を聞くことよりもメールチェックの方に気が向いている。それほど重要なメールなら教室から出ていって心おきなくメールチェックにいそしめばよいのに、と言いたくもなる(*)
【注】(*)ただ、メールチェックより面白い、内容のある講義ができないことの方がもっと問題なのだが。


 人はなぜ、仲間と常にコミュニケーションを取らずにいられないのだろう。
 あぁ、今夜も眠れそうにない。■