最近腹の立つこと
(5)

自転車


 近頃腹の立つことが多い。
 先日、駅前の幹線道路に沿った歩道上を歩いていると後ろから自転車のベルを鳴らされた。急に自分の進路を変えたりするのはかえって危険なので、十分な道幅もあることだし、私はそのままの体勢で歩き続けることにした。
 すると自転車の男が私を追い越しざまに「邪魔だ、どけ!」とほざいたのであった。何を! 私はすぐさま「ここは歩道だ!」「車道を走れ!」と走り去る男の背に向かって怒鳴り返してやったのである。

 とっさにこの2フレーズの簡潔な表現(?)で反論できたのは、かねてから歩道上を走る自転車に危険を感じていたからである。最近の自転車は性能が良いのでかなりの高速で走れる。それが歩道上を我が物顔で走行し、まさに走る凶器と化しているのだからたまらない。日頃から不満に思っていたので、この理不尽な行為に直面して反射的にこの言葉が口をついて出てきたのである。

 自転車の男は5〜6メートル行ったところで自転車を止めると、左足を地面に付け自転車から降りてこようとした。やれやれ、またひと騒動やらかすことになりそうだ。しかしこの期に及んでひるんだりする訳にはいかない。こちらに理があるのだから。そう覚悟を決めたとき、自転車の男は前を向いたままの姿勢でしばし考えてから再び自転車を走らせて行ってしまった。思うに、男は私の指摘に対してその通りであると了解したのであろう。自分の勘違いにそのとき初めて気が付いたといった風情であった。

 本来、道路交通法では自転車は軽車両に属していて道路の左側(路側帯という)を通行しなければならない。一般の自動車が走る車道を通行するのは危険なので、自転車専用道路がない場合は便宜上歩道上を走ることもあろう。しかしこれは本当は道交法違反なのである(公安委員会が特に指定した道路は除く)。法律的にはあくまでも大目に見られているだけのことなのだ。したがって歩道上を走行したければ、あくまでも歩行者優先で遠慮がちに通行すべきなのである。それを、歩行者に向かって、つまり私めに向かって「邪魔だ、どけ!」とは何事か!

 一般に自動車の運転免許を持っている者なら誰でも自転車の運転規則は(忘れていない限り)知っているはずなのだ。自動車学校の教習課程で習うからである。しかし自転車というものは、ただ乗ることさえできれば(つまり二輪車の操作ができさえすれば)誰でも利用することができる。運転免許など不要なのだ。当然教習など受けてはいないから、交通法規などまるで知らない運転者が大部分であろう。問題はそこにあるのだ。たとえば信号機のある交差点で、普通の自動車と同じように交差点の真ん中で右折しようとする自転車に遭遇し驚いたことがある。彼らは明らかに交通法規など知らないのである。

 自転車に乗る場合、道交法で禁止されている事項には次のようなものがある。彼らは本当に知っているのだろうか。

手放し運転
携帯電話を使用しながらの運転
傘差し運転など不安定な乗り方
子供を前後に二人乗せての運転
二人乗り(16歳以上の運転者が6歳未満の子供1人を幼児用座席に乗せている場合は除く)
夜間無灯火運転
信号機無視(手信号も含む)
一時停止無視(踏み切りでの一時停止違反)
右側通行(危険回避など、やむをえない場合は除く)
安全運転義務違反(人に危害を及ぼす運転)
2台以上並んでの走行(道路標識等により並進することができる場合は除く)
自転車道が設けられているのに自転車道を走行しない
右折・左折・進路変更時に合図をしない

 驚いたことに、あの走る凶器には速度制限がないのだ。つまり速度違反については特に罰則が設けられていないのである。交通法規を知らずに自転車を暴走させている輩に出会うと私は腹が立って仕方がない。自転車も免許制にすべきではないかとついつい思いたくなるのである。

 医者や弁護士になるには、国家試験を受け合格しなくてはならない。一方、コンピュータを操作するには何の資格も免許も必要としない。その昔、コンピュータが一部の専門家によって操作されていた時代には、それを扱う技術者にはそれなりの素養と人格が備わっていたものだ(たぶん)。国家試験を受けて免許を与えられた訳ではないが、長い期間に渡って経験を積み、かりにコンピュータシステムの利用でトラブルが発生すれば、社会生活に甚大な影響を及ぼすことがあることを身をもって体験してきた人たちなのである。その結果として、プロフェッショナルとしての資格と素養、そして責任感とを自然に身に付けてきたのである。
 しかるにコンピュータがコモディティー製品となり誰でも手軽に利用できるようになると、技術も経験も倫理観さえも欠けている人々が広く利用するようになり、現在のような混沌としたコンピュータ利用環境が形成されることになってしまったのである。
 私は、歩道上を走るのが当然の権利だと思って走行している自転車に遭遇すると、どうしてもコンピュータの分野での“暴走族”のことに想いをはせ、自然と腹が立ってくるのである。そして決まって思うのだ。奴らには(コンピュータにも自転車にも)免許が必要ではないかと。■