今だから話そう 部下の叱り方
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部下の叱り方


── 以前書いたエッセイの話題から

男ありけり

   昔 男ありけり
   上司より部下の叱り方を学びけり
   ネタは、以前書いたエッセイ(*1)にありけり
【注】(*1)出向中に日電の技術講演会に出席させてもらったことがあった。その際の出来事について触れたかったのだが、以前ホームページ上で紹介した積りだったのに見つからない。確か「ソフトウェアと方言」(執筆 1993-3-1)というエッセイの中で紹介した筈なのに【ソフトウェアの法則】欄にそれが見当たらないのである。
 実は【ソフトウェア設計論】という欄を作ったときに「【プログラミング】方言」というタイトルに変えて紹介(掲示 2000-7-1)したのを忘れていたのだ。それを今読み返してみると、全体が長文で沢山の話題の中に紛れ込んでしまっている。これでは参考とするには相応しくないことに気が付いた。そこで、核心のところだけを抜き出して別のテーマとして書き直すことにした。ここに“部下の叱り方”として紹介することにしました。
ら抜き言葉
 若者の間で「ら抜き言葉」が使われるようになった。本来「見られる」,「食べられる」と言うべきところを“ら”を抜いて「見れる」,「食べれる」などと表現する方法である。以前は新聞や雑誌などの誌上で賛否両論が展開されている時期もあったが、最近では公式に認められた表現となりつつある。ただ、話し言葉としては受け入れられていても、公式に文章化するときはまだ“ら”は抜けないようである。

 言葉の使い方は時代とともに変遷していくものであるから、結局は時間が解決してくれるであろう。今でもテレビニュースなどで“ら”抜き言葉が使われていても、同じ画面上に表示されるテロップではしっかりと“ら”を補って表現されている。編集段階で抜かりなく訂正されているのである。

 当時私は、部下が書いた文章の中に“ら”抜きの表現を見つけると必ず指摘して直させていたものだが、メール文化の進展にともなってそれを本人に伝えるのは控えるようになっていった。モラハラが問題となる時代では尚更であろう。部下の誤りを指摘するのは増々難しくなってきているものと推察する。しかし誰かが指摘しない限り、いずれは間違いを正せる人がいなくなるのは自明である。

技術講演会
 部下の誤りを指摘するということでは、私には特別な思い出がある。以前、日電東芝情報システム社(NTIS)に出向していたとき、一緒に仕事をしていた日電(NEC)が主催する技術講演会に出席させてもらったことがあった。講演者は、名前は忘れたが確か米国情報処理学会(Association for Computing Machinery)の副会長であったと記憶している。会場にはNECのコンピュータ関係の幹部とNECの誇る第一線の技術者達で一杯であった。

 外部から講演者を招くような講演会では、招待側の幹部連中が前の方に座る。特に熱心に聞きたい者はその後ろ辺りに座るのが礼儀であった。私たち東芝出身者10数名は、立場を考えて目立たないよう後の方に座って話を聞いていた。講演も後半になり質疑応答の時間となった。すると前の方から小さなメモ用紙が我々東芝出身者のところへ回されてきた。前の方の幹部用の席に座っていた同じく東芝から出向していた御大のY氏の筆跡で「何か質問せよ」と記されていた。

 Y氏は講演会などに出席したら必ず質問をするのが講演者に対する礼儀であると日頃から言われており自ら実践されていた。したがって当然予想していなければならないことだったが、NEC主催のNEC技術者を対象とした集まりだったから油断していたのである。誰もそんな指示が来るとは予想だにしていなかったのだ。しかも、指示の本当の狙いは「NECの技術者に負けないような内容の質問をせよ」と言っているのは明らかであった。

 メモを渡された者は、後ろにメモを回すことでお役御免となった積りでいるようだ。私も後ろにメモを渡しながら、皆で顔を見合わせつつ無言のままどうしたものかと思案した。何か質問をしなければならない。ゆっくりと考えている時間はなかった。とにかく自分で何か質問をしたことを覚えている。別に目立とうと思ったからではなく、Y氏が本気で雷を落としたときの怖さを知っていたからである。つまり、忖度したのである(こういうのを本当の意味で“忖度”と言うのであろう!)。

 質問の内容は“compilation”という単語を使ったこと以外は一切覚えていない。講演のテーマが当時話題になっていたプログラム言語のAdaだったので分離コンパイル(separate compilation)に関連する質問をしたのかもしれない。

上手な叱り方
 翌日、普段通りに仕事をしていると、Y氏が偶然通りかかったような顔をして私の席にやってきた。そして、
「“compilation”の発音は“コンパイレイション”ではなく“コンピレイション”(kompile'i∫en ここでは正確に表現できません)だよ」というご注意をいただいた。発音の誤りをこのように指摘していただけるのは有り難いことで、以後二度と間違えないようになる。

 Y氏は私に注意する前に、実はもう一つ別の話を私にしてくれていたのである。今だから話そう。それは昨日の講演会の後、幹部連中が退出して大勢でエレベーターに乗った後のことである。エレベーターが動き出した後、NECの幹部の一人が「あの質問をしたのは誰だ?」と話題にしていたのだそうである。Y氏はそれ以上のことは何も言わなかった。私も詳しく聞こうとはしなかった。

 私はどう反応したものか、しばし迷っていたのである。Y氏は怖いことで知られている。滅多なことでは人を褒めたりはしない。そんなY氏が私を褒めてくれたらしいのだ。その直後に前述のご注意を受けたわけである。
 この時点で私は、あれがY氏の褒め言葉であったことを確信した。Y氏が、部下を叱るに当たっては細やかな気配りをしてくれたことを知って私は大いに感動したのであった。

 そして私は、最初に褒めておいてから次に叱る方が効果的であることを、このとき実体験として学んだのである。