今だから話そう 出張中の自動車事故 
 
  
  
 
 
 
 
 
  
 (11) 
 出張中の自動車事故  
  ── 日米の格差について 
男ありけり 
   昔 男ありけり  
事故に遭う (*1) 【注】(*1)この章の冒頭部分は『ソフトウェアの法則 』(1995年発行) の中の「ソフトウェアと時差 」というエッセイの中で書かれたものです。したがって“二十六年ほど前”というのは1968年のことになります。ここで私は、アメリカで経験したさまざまな出来事や文化の違いからヒントを得て、日米の違いを“時差”(年数と時間)という単位を用いて比較し紹介することを試みました。その中で、自動車事故のことも目立たぬようひっそりと公開した積りだったのです。 アメリカでの生活 夏時間があるから )約十六、七時間である。日曜日に羽田空港(当時はまだ羽田からだった )を出発すると、同じ日曜日の早朝にサンフランシスコ空港に到着することになる。生活の足場とするアパートは出張先の方であらかじめ手配しておいてくれたので、到着したその日からアパートに入ることができた。車を借りる    
マスタング(前)     マスタング(後)  (*2) 【注】(*2)ヨセミテ国立公園はカリフォルニア州のシエラネバダ山脈に広がる自然公園である。 自動車事故の経緯 本物のレザーである )の座席の背に大きな穴がぽっかりと空いている。右手の拳でそこを力まかせに殴りつけてぶち抜いた形になっているのだ。これだけの穴を空けるには相当な力が必要だろう。こういうときこそ冷静でなくては ‥‥しかし痛い)。
事故直後の様子  ドライバーのマナー 
しばらくしてレンジャー  
ヨセミテ公園の病院で撮影した  アメリカの医者 幸運の女神が側を‥‥ (*3) 【注】(*3)日本で最初の日本語ワードプロセッサを開発した東芝が、特許を出願したのは1976年、キャノンが出願したのは1978年といわれている。 ギプスをとる  私は帰国する前に、サニーヴェイルの医者から私の事故に関する診療記録を渡されていた。受け取った直後にざっと見たが、ヨセミテの医者が撮ったX線写真のネガが2枚、サニーヴェイルの医者がギプス付きのままで撮ったX線写真のネガが2枚、大型封筒に入っているようであった。 
持ち帰った私の医療記録一式  帰国する 
 そのとき私はアメリカの医者が渡してくれた資料を持って病院へ行くべきだったのだが、そのことを全く忘れてしまっていたようである。そして二十数年が経過し、終活の最中に偶然その資料を見つけることになった。詳しく読んで見るとアメリカで受診した二人の医師の資料だと思っていたのだが、私の理解していたのとは大分違っていた。
 
RIGHT WRIST:日本語訳(医学の専門用語に疎いので訳はいい加減です )    
 
ギプスをはずした直後の画像  
前図の真ん中の画像を拡大したもの  
 最後に、私の医療記録の作成に関与してくれたアメリカの医療従事者たちに感謝の意を表すためにも、半世紀遅れになってしまったがここに記録として残すのが私の義務であるような気がしていたのである。 
   (以下省略)