今だから話そう カナ表記過敏症
(12)

カナ表記過敏症


── ソフトウェアの表記について考える

男ありけり

   昔 男ありけり
   コンピュータ業界で、
    外来用語の日本語化に注目しながらも、
    男 それを実践することなく過ごせり
   インターネットの時代、
    男 用語のカタカナ表記にどっぷりと浸かりけり
   その後遺症か、カナ表記法に過度の関心を持つに至れり

コンピュータ用語の日本語化
 コンピュータ開発の初期の頃の話である。初期と言っても黎明期のことではなくプログラム言語の標準化が求められるようになった頃(1974年?)のことと記憶している。
 新しい技術の導入に当たって海外の文献を参考にしていると、当然のことながらたくさんの見慣れない外来用語の氾濫となる。それらを日本語化するに当たり適当な日本語訳がないと、取りあえずカタカナ表記にして済ませてしまうことが多くなっていた。しかし、意味不明のカタカナ用語ばかりでは一般の利用者に理解してもらえないだろうという反省も生まれてきた。

 歴史のある学問分野、たとえば数学などでは立派な日本語の用語が存在し広く使われてきている。コンピュータ用語もそれを見習ってそれ相応の日本語を作らねば、という機運になったのは当然の成り行きであった。

 最初に問題になったのは“software”の日本語表記である。“柔物(やわもの)とか“紙物(かみもの)とかが提案されていた。“hardware”が“金物(かなもの)として既に使われていたから、至極妥当な案かと思われたが、意外にも全く賛同する者がいなかった。それ以前に“ソフトウエア”というカタカナ表記がずっと使われ続けていたからである。「今更“ソフトウエア”を“柔物”とか“紙物”に替えられるか! 」と言うのである。

 コンピュータ関係の技術書では“ソフトウエア”のようにカナ表記を使うことで一件落着したようだが、新聞や雑誌類では一般の読者が理解できない可能性があるからと“ソフトウエア(利用技術)”という説明付きで使われていたようである。私はこの記述に出合うと(多少の皮肉を込めて)、そうか 自分のやっている仕事は“利用技術”なんだ‥‥と心の内でつぶやいていたものだ。

 当時、コンピュータ用語の日本語化に熱心に取り組んだのは大学の関係者が中心で、メーカー側はどちらかと言えば静観していたと思う。

 その他に、
 プログラム   ⇒ “算譜(さんぷ)
 プログラミング ⇒ “作譜(さくふ)

などが提案されていた。私はこれらは見事な造語だとは思ったが、一方で既に使われているカナ表記の“プログラム”や“プログラミング”を置き換えるのは無理だろうなとも感じていた。新造語の提案は、タイムリーに行わないと受け入れられないことを実体験していたからである。

 社外の技術委員会でこういう情報を仕入れると、私は自分の会社に戻ってその情報を報告書に書いたり、社内掲示板を活用したりして社内の関係者に伝えることにしていた。すると、それを読んだ先輩のY氏から厳しい反応が返ってきたのである。

 Y氏の言い分は、作譜というのは音楽の世界では楽譜を書く意味で昔から使われている用語である。歴史ある音楽界の用語を、こともあろうに後発のコンピュータ業界がプログラミングの意味で用いるとは何事か!! というわけである。別に私が提案したわけではないので、私はただ黙って聞いているしかなかった。理由はともかく、既に用語として使い慣れていたものを変えるのは想像以上に難しいことを学んだのであった。ベテランのコンピュータ技術者になればなるほど譲れないものがあったのであろう。

 出版メディアの賛成も得られなかったようである。新しい用語を使ったのが災いして、本来なら売れた筈の本が売れなかったら困るからと出版社はリスクを取りたくなかったのである。原稿依頼する段階から、新用語は使わないことを条件として提示していた出版社もあったと聞いている。

漢字制限の後遺症
 実は、私の世代は漢字制限の影響を受けた世代なのである。そのせいか、漢字表現が強引に変えられてしまうことに異常なほど神経質になっていた。漢字制限の後遺症を持っている世代だったのかもしれない。

 たとえば、私は大学時代“函数論(かんすうろん)(*1)を学んだが、いつの間にか“函数”は“関数(かんすう)に変えられてしまった。
 高校時代に“世論(せろん)と“輿論(よろん)(*2)を学んだが、そのとき既に“輿”の字は使えなくなっていて“与論(よろん)と表記されるようになっていた。どちらも“よろん”と読めることから、最近は“せろん”がなくなってしまい“世論(せろん)を、愚かにも“よろん”と読んでしまう人ばかり(*3)になってしまった。そして“世論(せろん)は事実上抹殺されてしまったのである。
【注】
(*1)プログラミングの世界では、最初から“関数”が使われていたから“函数”を知らない人が多いかもしれないが、関数とは中が見えない箱(ブラックボックス)のようなものと教えられている筈である。“函”はまさに“箱”の意味であるから、本来の漢字“函”の方がふさわしいと思う。早く以前の文字を復活させて欲しいものである。

(*2)この漢字も早く復活させて欲しい。“世論(せろん)を“よろん誤読者”たちに奪い取られてしまったが、“世論(せろん)を取り戻すにはどうしたらよいだろうか。

(*3)NHKのアナウンサーまで間違って使っている。“世論(せろん)と“与論(よろん)の意味の違いも分かっていないようだ。
 したがって、私は漢字表現の用語には少なからず警戒心を持っているのである。もし先走って“紙物(かみもの)などという用語を採用していたら、ペーパーレスの時代になって後悔したことであろう。危ういところであった。

 このような経緯を経て“ソフトウエア(利用技術)”が定着すると、しばらくして“(利用技術)”も削除され、晴れて“ソフトウエア”が使われるようになった。

 しかし説明部分の(利用技術)が消えた時点で私は気が付いたのである。“ソフトウエア”と書くか“ソフトウェア”と書くか、二通りの書き方があることに気が付いた。そうなって初めて、新聞では今まで“ソフトウエア”だったのか、それとも“ソフトウェア”だったのかが分からなくなってしまった。

 私自身は、常に“ソフトウェア”と書いていたのだが、新聞誌上では“ソフトウエア”と書かれていたようである。これ以後、私はカナの表記法に過度の関心を持つようになってしまった。“カナ表記過敏症”になってしまったのである。そして、以下に紹介するような素朴な疑問を持つようになった。

カナ表記過敏症
 以前(*4)ホームページ上の【素朴な疑問】(*5)という欄で
新聞はなぜ「ソフトウエア」と書くのだろう
( http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/gimon04.htm )
という記事を書いたことがある。要するに「ソフトウア」と書くか「ソフトウア」と書くかの論争である。それが、何故か未だに読まれ続けている(しかも一日に複数回も)。
【注】(*4)1997-01-27 東芝グループ内のホームページ上に公開。
      1998-06-01 一般ホームページ上に公開したもの。

   (*5)悩める相談者(筆者)が提起する“素朴な疑問”に対し
    て読者の方々が解答してくれるという新しい形の相談室
    の記録です。
 どこが面白いのか、私はかねてから不思議に思っていた。ある日、たまたま時間があったので自分も読んでみようと思い立ち読んでみた。
 自分で言うのも変だが、確かに面白かった。それは多くの仲間の協力を得て書き上げたものだったから当然かもしれない。20数年前にこんな「たわごと」を書き連ねていたのかと、今になって感慨深く思い出に浸っている。私と同じような“カナ表記過敏症”の人が沢山いることを知って、少しばかり安心もしたのである。

 当時はテキスト入力法として「ローマ字入力」と「ひらがな入力」とが競っていた時代だった。これを読んで、現在のケータイやスマホ利用者が愛用しているであろう入力法をベースに考えると、彼らがどんな感想を持つか知りたいものである。

 以下、【素朴な疑問(4)】の問題提起の部分を紹介することにしよう。今から考えると、明らかに“カナ表記過敏症”の兆候(?)が現れているようである。

【素朴な疑問(4)】

 新聞はなぜ「ソフトウエア」と書くのだろう

 新聞は「ソフトウェア」のことを、なぜ「ソフトウエア」と書くのだろう。大きな見出しや記事の中で、この“ソフトウエア”という用語が使われているのを見つけると、私は何時も不思議に思うのである。

 “Software”という英語の日本語訳としては、新聞紙上では長らく「ソフトウェア(利用技術)」という風に、かっこ付きの注釈が付けられていた。しかし最近は「ソフトウェア」という用語が定着したためか、この注釈は見られなくなったようである(単に「ソフト」と書かれる場合もある)。そうなって初めて、私は「ェ」が「エ」になっていることに気が付いた(「ェエ?」貴方も知らなかったって?)。これは“(利用技術)”という注釈が付いていた頃からそうなっていたのだろうか。今となっては、もう分からない。

 それにしても、なんで「ウエア」と表記するのだろう。日本語で「ウエア」と書けば、それは着る物(Wear)の意味で使われるのが普通である。ソフトウェアとは、ハードウェアの上に“着せる物”という風に解釈されているのではあるまいか。新聞記者の理解の程度などというものは、多分そのくらいのものなのであろう。

 この「エ」に出くわすと、私は何時も記事の内容から離れて、そういった雑念が頭に浮かんできてしまう。気になって気になって仕方がないのである。コンピュータ関係の雑誌や専門書などでは正しく「ェ」になっているので、それを見つけると何かホッとした気持ちになる。コンピュータのことをよく知っている人は、無神経に「ソフトウエア」などとは決して書かないものである。

 新聞はなぜ「ソフトウエア」と書くのだろう。あぁ、今夜も眠れそうにない。

(終り)

 以下、“悩める相談者”とは私めのことである。

 悩める相談者の相談にのってくれた回答者は10数名となっている。興味のある方は【素朴な疑問(4)】の方を参照してください。ここでは、悩める相談者によるまとめが【追記】の形で紹介されています。

なぜ表記にこだわるのか
【悩める相談者による追記】1997-01-27

 (青色文字の部分は、今回書き加えたものです)

 私がなぜこんな些細なことにこだわるのかというと、“ソフトウェア”というのは私が当時勤めていた会社の社名の一部になっていたからである。よく、社内旅行などで温泉場などを訪れると、団体バスで乗り付けた旅館の玄関には仰々しくも華々しくも、大きな黒い看板に白で“歓迎”の印とともに我が社の社名が大書されていたりする。それを見ると、何時も大抵はどこか字が間違っているのである。「XXソフトエンジニアリング御一行様」とか、「XXソフトウエアエンジニア御一行様」などと書いてある。こんなのはまだいい方で、「XXソフトエンジニヤリング御一行様」などと書かれていることもある。

 そういうのを見つけると私は、またかと思い、思わず「ニヤリ」と苦笑いしてしまうのである。

 しかし考えてみれば「ソフトウェア」も「エンジニアリング」も、彼ら旅館経営者にとってはまったく無縁な存在の言葉なのであろう。こんな些細な字の誤りなど「ニヤリ」と笑って見逃してあげるのが武士の情けというものである。

 ところが新聞紙上でこの字を見つけると、旅館経営者に対するのと同じような寛容な気持ちには決してなれない。「ソフトウェア」も「エンジニアリング」も彼らにとっては身近な話題でなければならないはずだ。とても「武士の情け」などとはいっていられないのである。

 こだわる理由はもう一つある。以前「ソフトウェアの法則」という本を書いたとき、夏目漱石「坊っちゃん」の一節を引用したことがあった。間違いのないようにと、私は夏目漱石全集を引っ張り出して詳細に文章をチェックしたのである。そして自信を持って原稿を編集者に渡したのであるが、やはり間違いを指摘されてしまった。編集者が言うには「坊ん」ではなく「坊ん」なのだという。

 信じられぬ気持ちでもう一度本を出して調べて見ると、何と、確かに「坊つちやん(*6)」というタイトルになっているではないか。恥ずかしながら私はこれまで夏目漱石の名作のタイトルを誤解していたのであった。同時に、編集者の実力の程を思い知り、ただただ恐れ入ったものである。
【注】(*6)その後いろいろ調べて見ると「坊っちゃん」というタイトルの本も沢山出版されている。これは担当した編集者の鍛え方の差であろう。
 こういう経験を何度かしてくると、人間どうしても正確な表現にこだわらざるを得なくなってくる。であるからして、私にとっては「」と「」は大変な違いで、簡単には見逃せない大問題なのである。


新聞社の定めた規則
 さて、私のこの【素朴な疑問】を掲示板上で読まれたのであろう、ある友人が、これが参考になると言って私に「毎日新聞用語集」という辞典をくださった。それを見ると、『原音で「ウィ、ウェ、ウォ」の音は、「ウイ、ウエ、ウオ」と書く』と記されている。
 しかし、新聞紙上では「ウィンブルドン」というのを実際に見かけたことがあるから、固有名詞は別扱いになっているのであろう。

 たとえば「ウェット」はこの規則では「ウエット」と表記されることになるが、前者では「ウェ」が「ッ」と跳ねるのに対し、後者では「エ」が「ッ」と跳ねることになる。これでは全く違った発音になってしまうではないか(え? 何を言っているのか分からない? 私にも分からない)。

 この新聞社の定めた規則を見ていると、ジャパニーズイングリッシュを作り出しているのは実は彼らではないかと思いたくなる。日本人にとって発音しやすいようにという観点だけで適当に表記法を変えてしまっていると、結局原語とは似て非なるものになってしまうからである。

 我々が常日頃目にしているこういった“ジャパニーズイングリッシュ”は、アメリカへ行って使ってみるとまったく通用しないことが分かる。我々はその事実を実際に体験して初めて知り愕然とするのである。その結果、アメリカの空港でシカゴへ行きたければ「シコーゴ」と叫べとか、フィラデルフィアへ行きたければ「フルドフィア」と叫べとか、そういう生活の知恵を学ばねばならない羽目になる(これを知らぬととんでもない所へ連れていかれてしまう可能性があるのだ)。更には、マクドナルドの店へ行きたければ「マクダーナル」と発音する必要があることを承知していないと、とうていビッグマックにはありつけないのである(もっとも、マクドナルドの店が見つからなくても、どうということはないが)。

 このように自分の貧しい英語力を実感するたびに、私は思うのである。この責任は日本のお粗末な英語教育だけにあるのではなく、日本の新聞社が定めた表記規則にもその責任の一端はあるのではないかと。


ローマ字入力の問題点

 (青色文字の部分は、今回書き加えたものです)

 ところで、この表記法に関連する問題を、私はここで更に深く掘り下げてみたいと思う。ただ、これ以下に書くことは、私が常日頃尊敬して止まない「ローマ字入力者」(ローマ字入力法を用いている人達)の気分を損ねる可能性なしとしないので、これ以下は「ひらがな入力者」だけが読むことにしてほしい。

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 よろしいかな。ひらがな入力者だけですぞ(以下で「彼ら」とは、ローマ字入力者のことである)。あなたの後ろから“彼ら”が覗いていないかどうか、もう一度確かめてほしい。よろしいか。

 実は私は、この新聞社の定めた規則は、新聞記者用のワープロを用いてローマ字入力する際の利便を考えて作られたものではないかと疑っている。彼らの用いるローマ字入力法では、
 「ウィ」は「WI」と入力する。
 「ウェ」は「WE」と入力する。
 「ウォ」は「WO」と入力する、と言いたいが、これは「を」または「ヲ」になってしまう。したがって「ォ」だけは単独で入力するしかない。つまり、ワ行の入力法は統一的ではないのだ。

 「ィ、ェ、ォ」を単独で入力するには(私の周りにいる「彼ら」に教えを請うと)「LI,LE,LO」と入力するのだという。何というお粗末な規則であることか。
 だとすれば、「ウォ」としたければ「ウ」を「U」で作り、ついで「ォ」を「LO」で作らなければならない。「ォ」のときだけはこんな面倒な手順を踏まなければならないとは、何という不統一な入力法であることか。こんな不統一な操作法では、頭の固い新聞記者に覚えさせるのは無理というものである。そこで、できるだけ「ィ、ェ、ォ」を使わないで済ませようと謀議を計ったのではなかろうか。

 彼らが信奉する入力法で「ウィリアムテル」と入力したければ「ULIRIAMUTERU」とキーを叩かねばならないことになる。 ‥‥何? 「ウリリアムテル」だ? そうか、そうか、彼らは「LI」と「RI」をこのように区別して使い分ける技を身に付けていたのか。大変だなぁ、彼らは。日本人は「L」と「R」の発音を区別するのが苦手であるというけれど、その原因はこんなところにあるのかもしれぬ。それにしても彼らは何時もこんな複雑な操作をしていたのか。何と彼らは頭が良い連中であることか。頭の固い私には、到底真似のできぬ技である。

 最近の私は「ひらがな入力」だけでなく「ローマ字入力」も併用している。日本語を入力するとき直前まで設定されていた入力方式にしたがうことにしているのである。これは大学教師をしていたとき、学生の使っていたマシンに直接入力して使い方を説明することがあるからである。入力モードを変えてしまうと再び学生にもどしたときに困るだろうと言う配慮からである。

 しかし長文を入力するときは、やはり「ひらがな入力」になります。「ローマ字入力」に自信が持てないからです。今、その理由が分かりました。「ィェォヰヱヲ」などの特殊な文字の入力法をしっかりと身に付けていなかったからである。

 ローマ字入力は、頭を使うので惚け防止に最適であると主張していた人がいたが、こうやって見るとどうもその説は正しいように思われる。私もそろそろ惚け防止のための手を打たねばならぬ年代になってきているが、だからといってローマ字入力だけはやりたくない。それよりも、自分が惚けているかどうかを自分で判定することが、そもそも可能なのかどうかを疑問に思い、日々思い悩んでいるところである。
【注】私は「ローマ字入力法」をよくは知らないがローマ字入力法にも色々なバリエーションがあるようである。新聞記者用のワープロについても全く知識がない。したがって、これらの指摘はまったくの見当違いかもしれぬ。いや、そうに違いない。許されよ。

 悩める相談者による【追記】は、ここまでです。

 実は、これ以後も私のところにはメールで意見が寄せられている。【素朴な疑問(4)】は一応終了したので、加筆等の変更は加えないことにしている。しかし、友人SS氏が最近(2016-8-5)私に教えてくれた情報(“ワ行の発音について”)は、このテーマに特に重要な示唆を与えてくれると思うので、ここで紹介することにする。

ワ行の発音について

 ワ行は、本来は
  、 、 、   であり、その発音は
  WAWIWEWO に近い音であったようである。ところが、いつの間にかの音はと、の音はと同じになり、文字そのものが使われなくなってしまった。かろうじてだけが音はと同じであるが、助詞のとして生き残ったのである。

 もし、が生き残っていれば“software”の日本語表記は
“ソフトア”と表示されていたかもしれない。が使えなくなってソフトウェアと表記せざるをえなくなったというのが実態なのかもしれない。


というのである。

 ここで私は、 の活用法を考えてみた。

 英語の“s()oftware”の発音は、先頭の s にアクセント()があるので
     ()フトウェ(英語の発音)
のように聞こえる。しかも最後のしっぽの部分 ウェア ウェ あたりまでしか聞こえない。

 それに対して日本語の“ソフトウェア”では、アクセントが無くて平板に推移する。長い用語だと終りの方にアクセント(または強調される音)が入ることが多い。ソフトウェアの場合はウが強調されて以下のように発音されている。
     フト()(日本語の発音)
 これでは、欧米人には2語に分けて
     ソフト ()ェア (柔らかい 着物)
と言っているように聞こえるのではあるまいか。

 ここで、ワ行の が復活を許されて使えるようになれば、
 “ソフトア”と表示できる。
あるいは
 “ソフト”でも構わない。

 あるいは、を合わせたように見えるから
 “ソフト”としてもよいかもしれない。

 なるほど、“ソフトか、

 これなら“software”の発音とそっくりな発音になるかもしれない。

 どうやら、私めのカナ表記過敏症が再発してしまったようである。
 この位にしておこう。