ある本に「馬鹿でもできる」という表現を使って書いたところ、編集者に直ちにカットされてしまった。「馬鹿」という語は差別語ではないけれど、前後の文脈から穏当を欠く表現とみなされたためであろう。こういう場合は「猿でもできる」と表現するのが、昨今では妥当な表現法とされているようである。ただ、この表現法は今のところコンピュータの分野でしか通用しないから、その積りで使う必要があろう。
このような表現法が使われたとしても、それは「人間の馬鹿よりも猿の方が利口である」ということを必ずしも意味するものではない。猿は「この表現は差別的である」と言って人間を法的に訴える可能性がないことを、彼ら人間は狡賢くも承知しているからである。
しかし差別語を使ったと言って訴える人は、大抵は差別されている本人ではない場合が多いから油断はならない。猿に代わって人間が訴えを起こすことだって十分にあり得るからである。その点を考慮してなのか、「サルでもできる」と書いて本物の猿のことではないとする逃げ道を用意しているしたたかな表現も見受けられる。いずれにしても、こういう表現を使いたいときは、やはり編集者とよく相談してその指示に従うのが利口というものであろう。
最近、コンピュータ関係のマニュアルの文章はひどいと指摘されることが多くなってきた。このマニュアルの文章のひどさは、今に始まったことではなく昔からそうなのである。パソコンが普及してきた結果、一般家庭でも広くマニュアルが読まれるようになり、その結果文章のひどさが目に付くようになってきただけのことなのだ。我々技術者は自分の専門分野の技術を磨くだけではなく、文章を書く技術の方も磨いて、猿(ではなかった、サル)には到底真似できないような明快な文章を書けるようになりたいものである。■
(1996-08-10:掲示、2000-9-1:削除、2006-3-1:再掲示)