私の作文作法
(4)

「省略時解釈」について


 妻の話を聞いていると、ときどき話題が飛躍する。そういう場合は、大抵主語が省略されているのである。これについていくには、何が省略されたのかを即座に判断しなければならないので、結構大変なのである。

 一般に日本人は、主語を省略して簡潔に表現することが多い。この主語を省略する傾向は、特に野球のジャイアンツファン(妻が、そうなのである)の場合に顕著に表れるという説もある。しかしこの場合は別に簡潔表現をねらったものではなく、単に彼等が自己中心的な考え方をする結果であろうと私は思っている。

 省略されるのは必ずしも主語に限らず、何でも省略できる。全部省略してしまって「‥‥」とする表現方法もあるくらいだ。文学作品の中で省略の技法が使われた場合には、読者の想像力を豊かにするという効果がある。それによって作品の深みも増すというものであろう。

 一方、我々が普段書く技術文書や報告書の類いでは、省略の技法はあまり歓迎されない。うまく使わないと、逆に曖昧で、意味不明の、無責任な文書として扱われてしまうからである。しかしうまく使えば、文意を簡潔に表現できるので、無視できない技法である。その場合、読む側も適当に(いや正確に)“省略時解釈”ができなければならない(実はプログラミングの世界では、以前から重要視されている技法なのであるが)。

 世界的に最も有名な省略表現は、ある作家と編集者との間で手紙で交わされた「?」と「!」のセットになったものであろう。日本では「メシ!」「フロ!」「ネル!」の3点セットが、古来(?)から最も簡潔な表現であると言われている(私がそう主張しているだけなのだが)。

 たとえば、「メシ!」を省略時解釈してみると、
我輩は日本男児である。
 我輩は亭主関白である。
 我輩は仕事から帰って甚だ疲れている。
 したがって、我輩は今余計な口を利きたくない。
 汝、妻は我輩に話し掛けてはならない。
 我輩は今空腹を感じている。
 汝、妻は第一優先で我輩のために
    食事の準備をすべきである。
 汝、早くせい!

というくらいの意味であろう。

 この簡潔な言葉で、こういう内容豊かな(?)表現ができると知ったら、外国人は「これは言語における非関税障壁だ」といって騒ぐかもしれない。日本語辞典の編纂者の中には、早々に改訂版の作成に取り掛からねばと慌てている人がいるかもしれない。日本人男性の中には「よくぞ日本男児に生まれける」と思っている人がいるに違いない(のう、ご同輩)。
 最後に、「フロ!」「ネル!」の省略時解釈については、読者のための演習問題としておこう。■

【解説】プログラムを記述する場合、省略時解釈という機能は大変便利なものである。関数の呼出しを行うときなど、その時点で指定するのが最適なものだけを引き数で指定し、それ以外の既に決まっている細々とした引き数の値はあらかじめ別のところに書いておいて、書くのを省略してしまうのである。これをうまく使うと、一般化された関数の機能を特殊目的にも使えるようになるので生産性が向上する。


(1996-10-29:掲示、2000-9-1:削除、2006-3-1:再掲示)