私の作文作法
(6)

「縦書き・横書き」論


 「ソフトウェアの法則」という本を書いたところ、出版社を通じて、あるいは勤め先で使っている電子メールを通じて多数の方々からお手紙をいただいた。その中に、本にする以前に投稿していた「とある電子掲示板」のころからの読者がおられて、縦書きの本になったことについての感想を記されたものが多数あった。掲示板で読んだときは横書きだったが、本になって縦書きになり何か奇異な感じを受けるとか、あるいは逆に読みやすくなったとか、様々な感想が述べられている。おしなべて縦書き賛成者の方が多かったようである。

 本書(*)も縦書きである。一般向けの本の場合はこのように縦書きが圧倒的に多いが、私のようなコンピュータ屋や理工系の人々は、この欄のような横書きに慣れているのが普通である。以前、一般向けの本で横書きのものが出版され新聞紙上で話題になったことがあった。それくらい日本では、一般向けで横書きというのは珍しいものなのであろう。
【注】(*)これは拙著「プログラマ、石をみがく」に掲載されたものです。


 日本では、何故かは知らないが、横書きの本は左の頁から右の頁へと読み進む習慣になっている。一方、洋書は右から左である。私は横書きである限り、右からでも左からでもたいしてこだわらない。しかし横書きと縦書きを較べたら、横書きの方が自然で読みやすいと以前から思っていた。何しろ人間の眼はもともと横長になっているし、何を隠そう私の眼は特に“切れ長”なのである(ウソ)。その切れ長の眼で縦書きの文を読むとすると、顔をいちいち縦に動かさねばならない。これでは疲れるではないか。

 しかし私は初めて縦書きの本を出して、この認識を改めることになった。ほとんどの人は縦書きの方が読みやすいというのである。今まで私の本など読んでくれなかった人たちが喜んで読んでくれたのだから、私の意見が変わったとしてもそれはやむをえないことであろう。人間正直なものである。

 さて、ここでは、日頃思っている「縦書き/横書き」にもとずく人間の読書姿勢について私の考えを述べてみたい。まず日本の交通事情に鑑み、満員電車の中でも読書できるよう日本では縦書きにせざるを得ない事情がある。満員電車の中で横にいる人の迷惑をも顧みず、顔を左右に振りながら読書しているのは大抵は横文字の本を読む理工系の人であろう。

 それに、日本人にはもともと顔を縦に振りながら(肯定しながら)読む人が多いように思う。これは、要するに読んでいる内容に直ぐ引き摺られがちで、何ごとも肯定的に受け入れてしまう傾向があることを示している。よくテレビの場面で、街頭インタビューされた人が自分の意見を述べながらさかんにうなずいているところを見かける(実に見苦しい)。これは自分の意見に確信が持てず、誰かに同意してもらいたいという潜在意識があるから自分でうなずいてしまうのではないかと思う。欧米の人には決して見られない癖である。彼等は常に自分の意見というものを持っている。

 一方、欧米では、もともと横書きの表現方法しか考えられないので、昔から顔を左右に振りながら(批判的に)本を読む人が多い。一般的な読書姿勢としては、批判的に読む方がいいであろう。
 しかし自分で本を書くと、この意見が変わってくる。なぜか? たとえば電車に乗ったとき、前の座席でたまたま私の本を読んでくれている人がいたとしよう(そういう状況に一度でもよいからなってみたいものだが、残念ながらまだ経験したことがない)。そのとき、彼(または彼女)が顔を上下に振りながら(つまり、うなずきながら)私の本を読んでくれていたら、著者としてこんな幸せなことはないと思うのである。しかし、顔を左右に振りながら読んでいたとしたら、これほど惨めなことはなかろう。

 であるからして、本は縦書きに限るのである。■

【解説】この読書姿勢論はもちろんジョークである。ときどき、ジョークと分からずにまともに反論してくる人がいるので、いちいち断らねばならなくなってきた。困ったことである。


(1997-02-17:掲示、2000-9-1:削除、2006-3-1:再掲示)