私の作文作法
(8)

書き言葉と話し言葉


 電子メールシステム(*)の掲示板を見ていると、特定のテーマについて熱心に議論が戦わされることが多い。それはそれで大変結構なことなのだが、議論に熱が入り過ぎて時として喧嘩腰の論争になり、売り言葉に買い言葉で収拾が付かなくなってしまう。そして結果として、お互いに傷ついてしまうことになる。こういうのは外野で高みの見物をしている者にとっても、決して気持ちのよいものではない。

 こういった一連のやり取りを見ていて(正確には、読んでいて)感ずるのは、トラブルの原因がテーマそのものではなくもっと別のところにあるのではないかと思う点である。議論が加熱するのは、もちろん取り上げられているテーマがそうさせるのであろうが、議論している者同士が、書き言葉と話し言葉の持つそれぞれの効果の違いを正しく認識していないためではないかと思う。つまり、文字による表現と、口頭での話し言葉としての表現とでは、それぞれ効果に違いがあり、厳密には区別して用いなければならないということである。

 文字で書いて自分の意見を表明する場合は、余程注意深く書かないと思わぬところで誤解されることが多い(私はこれまで随分と痛い目に遭ってきているから分かるのである)。相手の目の前で口頭で伝える場合は、こちらの顔の表情や視線、口調や身振り手振り、あるいはその場の雰囲気などに影響されて伝えられた言葉が和らげられる(あるいは逆に、強められるようにもできる)。

 一方、手紙のような文字だけによる伝達では、そのような緩衝効果は期待できないから、どうしても表現がストレートに相手に伝えられてしまう。ちょっとした言葉でも、随分と強い意味で受け取られてしまい勝ちである(ジョークで言った積もりが、まともに受け取られてしまうこともある)。そういった違いを知らずに普段の話し言葉の調子で書きなぐっていたのでは、相手に誤解されてしまってもそれは致し方のないことであろう。この点を心得ていないと、お互いに顔も知らない他人同士が自由に参加することを建前とした電子メールシステムなどの議論の場を、実りあるものにすることは難しい。

 このように、同じ表現でも口で言うのと手紙で書くのとは違うし、更には、通常の郵便としての手紙で書くのと電子メールで書くのとでも違いがある。手紙と電子メールは同じだと思っている人がいるかもしれないが、私は明らかに違うと思う。後者は直ぐに相手に届くという即時性が特徴であり、これは普通の手紙では絶対に実現できないことであろう。ただ、それが必ずしも利点であるとは言い切れない面がある。手紙の場合には、かりに一時の激情にかられて文章を書きなぐったとしても、紙に清書し、サインし、封筒などに入れて宛先を書き、切手をはったりと色々とやることがあるので、その間に冷静になる時間的余裕がある。したがって結果的に、あまり酷い手紙は投函されるまでには至らない(恥じを知る人間なら)。

 電子メールシステムを使い慣れてくると、日常会話をしているのと同じような調子になってくる。すると誰でも普段の性格がもろに出てくるもので、何かというとすぐカッと頭に血がのぼって熱くなり、あまり考えもせずに思い付いたメッセージを書きなぐってしまう。更に悪いことに、それがキー操作一発で簡単に、そして即座に相手に送られてしまう。そして結果として、貴方(あるいは貴女‥‥いや、女性はそんなはしたない真似はしまい)は暴言をはいてしまったことになる。

 普段温厚な人であっても、車のハンドルを握ると途端に狂暴な神風ドライバーになってしまうのと同じで、世の中には電子メールを使うと途端に人格が豹変してしまったようになる人がいる。電子メールでは、書き手の思いがそのまま読み手に伝わるとは限らないのであるから、「電子メールで人格が豹変した」と思われたくなければ、我々は普段から心して文章を磨く努力をすべきなのであろう。自戒の念を込めて言う‥‥、いや書くのだが。■

【解説】(*)これは、インターネットが普及する以前の、まだ電子メール(最近は単にメールと言うが)が使われだした頃に書いたものである。今でも通用する話だが、当時は実名の相手とのやりとりが前提であった。インターネットの時代では匿名の相手とのやりとりが中心になるのでますます意思の疎通が難しくなり、ここで述べたような注意が必要になってきている。


(1997-06-16:掲示、2000-9-1:削除、2006-3-1:一部修正再掲示)