最初に、字数を意識しないで自由に書いたオリジナルの書評を示す。これを出版社から依頼された制限字数(約1300字)に収めるためにどのように苦労したか、どの文を削除しどの文を書き直したか。その悪戦苦闘の結果を見ていただくことにする。
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オリジナル書評「反秀才論」 柘植俊一 岩波現代文庫
ある人に奨められてこの本を手に取った。こういった痛快の書にめぐりあうと、私は何か人生で得をしたような気分になる。これは乱流研究が専門の数理物理学者による体験的反秀才有用論である。
著者によれば、科学者は秀才型と反秀才型に分けられるという。反秀才の科学者は次のような特徴をもつ。第一に、技術より情熱が上回るタイプであること。秀才はロゴス(論理)がパトス(情念)を上回るが、反秀才はこの順が逆になっている。第二に、秀才は「頭が速い」人であるのに対し、反秀才は「頭が強い」人である(“頭の強い”。何とすばらしい表現であることか!)。研究者としてよい仕事をするのは、この「頭の強い」方のタイプであるという。運動選手にたとえるならばスプリンター型よりも柔道型かレスリング型がよいということになる。
反秀才の第三の属性は、「駿足の人」である秀才が、受容的な教育期間を短い時間で無抵抗に通過するのに反し、反秀才は仕上がるのに時間がかかるということである。ここで誤解のないように記しておくが、反秀才とは鈍才のことではない。ある意味で不幸な星のもとに生まれた輝ける個性の持ち主と理解すべきであろう。本書のなかでよく登場する秀才と反秀才の例をいくつか列記しておこう。
秀 才:モーツァルト、栃錦(最初は反秀才だった)
反秀才:ベートーヴェン、アインシュタイン(*1)、双葉山、若乃花
【注】(*1)アインシュタインが反秀才だという主張には異論もあろう。アインシュタインの頭は速い。そうでなければ奇跡の年1905年(しかも3月から6月)に3編の超一流論文が書けるわけがないと主張する方もいる。 |
この例からも分かるとおり、秀才とか反秀才という分類は何も科学者や研究者に限られた話ではない。いくばくかの才能を必要とする分野では、人生に立ち向かう姿勢が二通りあるということではあるまいか。
反秀才は秀才より育てにくい。人工的に作ることはできないが、丹精して育てると大輪の花を咲かせ強い香気を放つ。それをするのが教育というものである。反秀才は育ちにくく傷つきやすいやっかいな存在であるが、それは秀才にくらべて仕上がるのに時間がかかるからである。いわばこの時期は昆虫の変態(メタモルフォーゼ。つまりさなぎから蝶になる)の時期であって、この間はさなぎのように強固ではなく蝶のように飛ぶこともできない。外敵に対して最も弱い時期なのである。反秀才はこの時期が長い。成功した反秀才というのはこの時期を何とか生きのびることができた人のことである。
運好く生き延びた反秀才をみると、その長くかかる羽化の時期にまだ埋蔵されたままの能力を透視する能力のある先生、先輩が現れてその羽化を助けている、という事実がある。教師にとって、研究指導者にとって、人事担当者(!)にとって、この透視能力ほど大切な、しかし希少であり、なおざりにされてきた能力はないといえよう。何しろ才能がまだ潜在しているうちにそれを発見しなければならないのである。潜在しているからと見過ごすようなことがあれば、その才能というさなぎは反秀才度が高いほど羽化の途中で斃死する確率が高い。
したがって、反秀才の性格形成の核は失敗、挫折、反主流、反俗という因子が中心になるから、反秀才論は失敗論抜きには語れない。
このような反秀才を発掘する役割は、まったくの個人のレベルの能力であって、才能というものに対する鋭い嗅覚(鑑識眼などというなまやさしいものではない)と愛情と無私を併せもった人のみが果たしてきたもののようである。
現代とは、このような人材開発方式が危機に瀕した時代である。人と人との距離が遠くなり師弟すらその嗅覚のとどく距離にいなくなってしまったからである。人事担当などの人材発掘の要所に座っている人間が、いま述べてきた本能的直感能力ゆえに選ばれてその地位にいるのではなく、単に年功序列とか権力構造序列でそうなっているに過ぎないことが何よりの証拠である。今の日本では、人材開発は営利に関係した世界かスポーツの世界でしか正常に機能していないというのが著者の率直な感想である。
科学技術の研究開発では、成果の「評価の評価」こそ大事であるといったのは東北大学の西沢潤一教授(当時)であるが、研究業績の正しい評価が大事でかつ困難なのは昔も今も変わらない。著者によれば、科学・技術を問わず未成年期の創造にとって最大の天敵は、次の三つであるという。
(1)権威者または評価者の固定観念による誤解
(2)悪意、嫉妬、またはめんつに起因する中傷
(3)金に起因する利害関係
これらの主張が迫真をもって読む者の心を打つのは、著者自身が反秀才として苦悩の人生を送ってきたからであろう。流体力学の世界では、高性能コンピュータによるシミュレーションで近似的に解を求めるのが主流になっている。そういう時代に、著者はこの一見混沌としている乱流であってもよく観察すればある種の規則性があるはずで、必ず“美しい”数式で表すことができるという信念を長年押し通してきた人なのである(*2)。研究はそれが革命的であればあるほど、時の権威からいじめ抜かれるものである。著者自身がまだ三十代の頃、学会発表の場で「斯界の権威」である某教授から、極めて意地の悪い質問の繰返しを受けた。腹に据えかねた著者は学会が終ってからの帰路、待ち伏せてこの教授を柔道の技を使って有無をいわせず道端のドブ溝の中に叩き込んでしまったという。そういった武勇伝の持ち主なので当然日本にはおれなくなり、アメリカに渡ってNASAのエイムス研究所研究員となり10年間を過ごした。その間、マーク所長というよき指導者に恵まれて羽化することに成功したのである(アメリカという国の懐の深さを感じる話だ)。今でも日本では論文発表の場が与えられないのだそうである。
【注】(*2)ニュートン力学と確率論という第一原理だけから別の方程式を作ろうとしている。
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コンピュータが専門の評者にとって特に印象に残ったところは、二十一世紀のコンピュータへの期待を述べた部分である。
流体力学のみならず数理科学の大半の分野では、大ざっぱにいって第二次大戦終了期、つまり二十世紀の中期というのは一つの重要な転機なのだそうである。つまり理論先行という分野が実験に追いつかれ、追い越された時期であるという。いいかえると、この世紀の後半は紙と鉛筆だけで創造が可能である時期が終焉を告げた時代ということになる。
1950年代を境に数理科学は理論が主役の座をおりる。これは、以後の理論家が無能のせいではなく自然解明に必要な数学(それは十九世紀中期までに完成した)の能力を使い果たしたためであるという。コンピュータが新しい数学の手段としてそれに代って自然解明の武器の主役となりうるかどうかは、二十一世紀の科学史家が判断することになろう。特に、分子生物学等ライフサイエンスの分野で威力を発揮し、生命現象解明に寄与することになろう。しかし一方で、物理学の分野では、それは畢竟数値実験の域を出ないような気がする、と著者は述べている。この最後の部分にはいささか反論したくなるところではあるが。‥‥
寝苦しい夏の夜に、本書を読んで爽快な気分にひたるのもまたよいであろう。■