最初に、字数を意識しないで自由に書いたオリジナルの書評を示す。これを出版社から依頼された制限字数(約1300字)に収めるためにどのように苦労したか、どの文を削除しどの文を書き直したか。その悪戦苦闘の結果を見ていただくことにする。
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オリジナル書評「放浪の天才数学者エルデシュ」
ポール・ホフマン 平石律子訳 草思社
これは実に興味深い本である。特に、数学に関心のある人にはこたえられない話題に満ちている。数学にそれほど関心がなくても、それなりに面白く読めるよう工夫されている。教育関係者には是非とも読んでほしい本である。
主人公のポール・エルデシュは、伝説の数学者と呼ばれ、一九九六年、八十三歳で死ぬまでに、歴史上のどんな数学者よりも多くの問題を考えた。発表した論文は共著を含めて一四七五本を数え、そのどれもが重要なものであったという。驚くべきは論文の数ではなくその質の高さにあった(エルデシュより多くの論文を著したのは史上ただひとり、十八世紀スイスの万能の数学者オイラーだけである)。
エルデシュは数学のために最大限の時間を割けるよう自分の生活を作りあげていた。自分をしばる妻も子供も、職務も、趣味も、家さえも持たなかった。粗末なスーツケース一つで暮らしをまかなっていた。すぐれた数学の問題と新たな才能を求めて終りのない旅を続けながら、エルデシュは四大陸を驚異的なペースで飛びかい大学や研究センターを次々と移動して回った。知り合いの数学者の家の戸口に忽然と現れ「わしの頭は営業中だ」と宣言する。そして一日か二日、彼が退屈するか、彼を泊めてくれている家族が疲れきってしまうかするまで一緒に問題を解く。それから次の数学者の家へ移るという具合だった。
エルデシュは数学界ではきわめて有名な「伝説的」人物だった。早熟な天才であったし、奇矯な振る舞いも語りぐさになっている。ところが専門外の人には、アインシュタインのように広く知られることはなかった(*1)。おそらく彼の興味がもっぱら数学を解くことと、数学をいっしょに解いてくれる同志を見つけだすことだけに向けられていたからであろう。
【注】(*1)評者の知る限りでは、少なくとも日本の数学界では、エルデシュはそれほどよく知られた数学者ではない。
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アインシュタインは数学よりも物理学を選んだ理由をよくこう言っていた。数学は美しく魅力的な問題に満ちているので、そうした問題を追っているうちに、本質的な問題を見出せないままに力尽きてしまうのではないかと思う。本質的な問題の追求こそ科学者の最大の任務である。どれほど難解でまた魅力的な問題であっても、本質的ではない問題に誘惑されないようにしている、と。エルデシュはこのアインシュタインの言葉をことごとく破りつづけ、しかも成功した人である。彼はあらゆる美しい問題の誘惑に負けつづけ、しかもおびただしい問題が彼の前に屈したのである。真理の探求には、エルデシュのようなドン・ジュアンにも、アインシュタインのようなサー・ガラハッドにも適した場所があるということであろう。
三歳で初めて数学に出会ったエルデシュは、母親が死んでから彼自身が亡くなるまでの二五年間、強いコーヒーとカフェインの錠剤の助けを借りて一日一九時間、問題を解き続けた。「数学者はコーヒーを定理に替える機械だ」というのがエルデシュの口癖だった。友人たちが、もっとペースを落とすよう忠告すると、いつも同じ台詞が返ってきた。「休む時間なら墓の中でいくらでもあるさ」
だが、数学以外のことにエルデシュはかかずらおうとはしなかった。彼は過保護な母親のもとでわがままに育てられたので、つねに面倒を見てもらうのに慣れていて、ひとりでは何もできなかった。靴下すら一人では履けなかったという。母親に面倒を見てもらっていた幼いころから、そうした習慣に慣らされていたのである。エルデシュにとって大事なただひとつの所持品は数学のノートだった。死んだとき、そうしたノートは一〇冊にもなっていた。エルデシュが身につける衣服はどれも絹製だった。絹以外の製品では肌に原因不明の異常を起こすからだ。人に触られることも嫌った。握手をしようと差しのべられた手を握りかえすことをせず、相手の手の甲に触れるだけだった。エルデシュは肉体的接触を避けずっと独身だったが、人なつこく思いやりのある人だった。
彼は「エルデシュ語」と呼ばれる独特な語彙を用いた。たとえば、SF(至上のファシスト。神のこと)、エプシロン(幼い子供)、ボス(女性)、奴隷(男性)、捕獲された(結婚した)、解放された(離婚した)、再捕獲された(再婚した)、雑音(音楽)、毒(アルコール)、説教する(数学の講義をする)、サム(米国)、ジョー(ソ連)、死んだ(数学をやめた)、去った(死んだ)などである。この語彙を見ただけで、彼がどんな性格の人かある程度わかるであろう。
たとえばこんな具合だ。「なんでSFはわしに風邪をひかせることにしたんだ。理解できん」まわりで面倒を見る人達は、SFがエルデシュのメガネを隠したり、ハンガリーのパスポートを盗んだりしてエルデシュを苦しめる(?)のを助けねばならなかった。
彼は、奨学金や講演で手に入るわずかな金を、みな親戚や仲間、学生、そして赤の他人にやってしまった。金をやらずにホームレスの前を通りすぎることができなかったのである。一九八四年、エルデシュは名高いウルフ賞を受賞したが、その賞金のほとんども寄付してしまった。善意のものならなんにでも、すぐになにがしかの寄付をした。
数十年ものあいだ、エルデシュは新たな若い数学者を率先して探しだし、ともに研究をしながら、一日の終りにはよく「わしが生きていたら、明日も続けよう」という言葉をあいさつ代わりにした。四八五人の共著者を持つエルデシュは、数学者として史上最も共著が多いことで知られている。この幸運な四八五人は、数学界の巨匠エルデシュといっしょに論文を書いたという意味で、エルデシュ番号1を与えられている。エルデシュ番号2は、エルデシュ番号1を持つ数学者と共著を発表した人につけられ、エルデシュ番号3はエルデシュ番号2を持つ人と共著がある人を指す。アインシュタインはエルデシュ番号2であり、エルデシュ番号の最大数はこれまでのところ7である。数学の論文を書いたことがない、大いなるただの人たちのエルデシュ番号は無限大ということになる。エルデシュが死んだ今となっては、もはやエルデシュ番号1クラブの会員が増えることはない。そしてエルデシュとともに仕事ができたにもかかわらず、論文を発表しなかった人たちは今になって残念がっている。
彼の研究姿勢は非社交的な天才タイプとはまったく違っていた。自分だけで証明や予想を抱え込むようなかび臭い研究態度とは無縁だった。数学的概念を共同研究者と分かち合うことについて、エルデシュはこのうえなく寛大だった。彼の目標は最初に何かを証明した人物になることではなかったから、誰とでも着想を分かち合ったのである。そうやって、彼はおびただしい数の数学者を育てた。エルデシュは、ひとりでこっそりと研究を続けたワイルズ(フェルマーの最終定理の証明者)の態度を許さなかった。ワイルズが数学界全体を巻きこんで研究していたら、定理はもっと早く証明できていたであろう。
老いた数学者の多くは、まだ現役でも理論構築者であることが多かった。もう自ら問題を解くことはせず、若い者たちが進むべき新たな、またはこれまで無視されてきた分野を指摘することで、数学研究の一般的方向性を示すことに終始するのだ。ところがエルデシュは違った。問題が解決されないで残っているあいだは、最前線でどこまでも頑張るつもりだった。
ユダヤ人であり、しかもハンガリーを祖国に持ったために、彼はその後二つの世界大戦と米国のマッカーシズム、東西冷戦という二〇世紀の歴史に大きく振り回されてきた。エルデシュはファシストを憎んでいたが、ファシストという単語は好きで、自分の気に入らないものは何でもファシスト呼ばわりした。彼は決して自分の原則を曲げないことを何よりも優先した。心ない大学上層部であろうと米国移民局やハンガリー秘密警察、FBI、ロサンゼルスの交通巡査、またはSFその人であろうと、あらゆる種類の「ファシスト」当局を恐れることなくはねつけた。
ここで彼の業績の一部を紹介しておこう。エルデシュはラムゼー理論の開拓者であり、主に純粋数学の分野で活躍した。エルデシュが、当時まだ無名だった共同研究者のアトル・セルバーグと一緒に提出した素数定理(*2)の初等的な証明(*3)は数学界を仰天させたという。エルデシュの友人たちによると、二人は証明に重大な貢献をしてくれた有力な雑誌に二人の共同研究を発表することにしていた。一方エルデシュは、自分とセルバーグが素数定理を制したことを伝えるはがきを友人の数学者たちに書き送った。ところがセルバーグは、エルデシュのはがきを誰が受けとったのか知らないままにある数学者と会った。その数学者はすぐにセルバーグにこう言ったという。「聞いたかい? エルデシュとなんとかいうやつとが素数定理を初等的に証明したそうだ」
伝えられるところによると、ひどく傷ついたセルバーグはエルデシュの名前を出さずに先に論文を発表してしまい上前をはねてしまった。一九五〇年、セルバーグひとりが、素数定理の証明により数学界ではノーベル賞に匹敵するフィールズ賞を受賞したのである。
【注】(*2)『素数定理』とは自然数xを一つ定めたとき,xよりも小さな素数が何個位あるかということを述べた定理である[数式で書けば、π(x)〜x/ln(x)となる]。
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【注】(*3)『初等的証明』の『初等的』とは易しいという意味ではなく関数論を使わないという意味であって、『初等的証明』の方が理解するのは難しい。 |
彼の主たる関心領域である純粋数学の成果は、現実の世界とは関係が薄いように見えるが、往々にしてそれを発見した者たちの考え及ばない、はるかに現実的な応用をされることがある。二三〇〇年間まったく利用価値がなかった素数が、この二〇年の間に高度な暗号技術の基本となったのは周知のとおりである。今日、純粋数学と応用数学の区別はかつてないほど混沌としている。コンピュータの発明が数学の多くの分野の発展を促進させているが、それはコンピュータを使うと数学がやさしくなるからではなく(ときにはやさしくもなるが)、コンピュータ内部のしくみが基本的に数学的だからであろう。コンピュータに関心を持つ人達のなかから一人でもこういった分野に関心を向ける人が出て欲しいものである。
冒頭で教育関係者に読んでもらいたいと記したのは、最近の大学生の学力低下、たとえば分数の足し算ができないというようなひどい現実を愁いて「数学に関心を持ってほしい」という意味で言ったのではない(もちろん関心をもってもらうのは、いいことではあるが)。過保護な母親に育てられ、頭が良く、ひ弱なエルデシュのような人間が、もし日本の教育環境にいたとしたらどうなるか。間違いなくいじめの対象となっていたことであろう。その結果、不登校、ひきこもりという最悪のコースをたどることになるのではないか。事実、エルデシュも学生時代は各種のいじめに合っていたようである。「いじめ」というものはどこの国にもあり、どの時代になっても決してなくなりはしない。しかし日本の現状との決定的な違いは、こういう特異な性格、能力の持ち主であっても、いじめから守り支援しようとする友人が彼の周辺に必ずいたという事実である。彼はそれらの友人にささえられながら成功への道をたどったのである。最後のところでは無条件に受容してくれる母親がいたという点も忘れてはならない。考えさせられる本である。■