最初に、字数を意識しないで自由に書いたオリジナルの書評を示す。これを出版社から依頼された制限字数(約1300字)に収めるためにどのように苦労したか、どの文を削除しどの文を書き直したか。その悪戦苦闘の結果を見ていただくことにする。
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オリジナル書評
「起業ゲームの勝利者たち シリコンバレー・スピリッツ」
デイビッド・A・カプラン 中山宥訳
ソフトバンク パプリッシング(株)
発行2000年8月10日 本体2,200円
シリコンバレーは、なかでもウッドサイド周辺はハイテク業界の大物たち、ビジネスに成功した富豪たちが住む場所として有名である。この地区の住人は誰でも隣人より大きな家に、もっといい家に、そしてしゃれた家に住みたがる。城のような、日本家屋のような、そして南部風の豪邸が立ち並んでいる。小さな家を建てることは法律で禁止されているので、中流階級は寄りつかずウッドサイドは広々とした雰囲気を保っている。
ウッドサイドの住人はパーティー好きである。株式上場パーティー、愛犬パーティー、ヘリコプター・パーティー、それに離婚パーティー(裕福な夫は、美しい新妻に乗り換えることを“アップグレード”と呼ぶ)、マイクロソフト・バッシング・パーティーもあれば、五万ドルもてあましているので意味なく開かれるパーティーもある。そして様々な名士が集る。一九二〇年代からウッドサイドに住む富豪たちと、新入りのサイバー億万長者たちが入り交じっている。
一昔前、シリコンバレーという所はサンフランシスコとサンノゼの間にあるひからびた土地に過ぎなかった。一九七○年代初めにマイクロプロセッサが生産されるようになるまではシリコンバレーという名称すら存在しなかった。評者が初めて訪れた頃は、確か「ペニンシュラ」とか「サウスベイ」とか呼ばれていたと記憶する。それが今やアメリカの象徴となり“現代のゴールドラッシュ”の場となっているのである。
地図で見ると、シリコンバレーは海岸沿いの二つの山脈に挟まれた平地にある。晴天の日が非常に多く、ときどき大きな地震に見舞われる。この街で数々の重要なものが発明され世に送り出された。集積回路、初の商用ラジオ放送、テレビゲーム、ミニコンピュータ、マイクロプロセッサ、遺伝子接合、3Dコンピューティング、インターネット商取引‥‥。シリコンバレーは、良かれ悪しかれ二〇世紀末のアメリカの想像力を表している。開拓時代の西部と同じように独特の精神状態を作りだし、そこには現実のドラマとまったくの神話とが交錯している。本書はそういったシリコンバレー文化の紹介であり、それにまつわる様々な有名人のゴシップ記事に彩られている。
シリコンバレーはどのような過程を経て、なぜこの土地に生まれたのか。地理的な位置は決して偶然ではない。カリフォルニアの本質、いわばDNAが関わっている。カリフォルニアには椰子の木や燦々たる太陽と同じくらい新しいテクノロジー企業を生み出そうとする精神が広くいきわたっている。ゴールドラッシュ以来一五〇年、カリフォルニアにおける物語はいつも“夢”が起点だった。シリコンバレーは、ゴールドラッシュの時代の金鉱になぞらえ「誰でも来ることができ、大金を掘り当てられる川」であると言う。鉱脈を隠したこの川はたえず流れが変わるから、多くの場合一攫千金のもくろみは空振りに終わる。だが、首尾よく金脈を見つけた者はあふれるほどの富に埋もれ、カリフォルニアの伝説のなかに組み込まれる。ベンチャー企業を起して成功した人と失敗した人の間には、ほとんど違いがない。もし両者に違いがあるとすれば、それはいいタイミングでいい位置にいたかどうかである。
シリコンバレーはゴールドラッシュの再来と言われている。確かに今日のシリコンバレーではシリコンを金に変えるという錬金術が行われており、ゴールドラッシュのような状態が現代のカリフォルニアを活気づかせている。かつてのゴールドラッシュはまったく新しい経済観念をもたらした。誰でも富豪になれる可能性が出てきて、あっという間に人々の将来の見通しが一変したのである。それまでカリフォルニアの住民は、おもに農業で生計を立てていた。土を耕し、苦労して生活費を稼ぐ。地道に働き続けながら少しずつ富を貯える──それが当たり前だった。ところが突然、まるで違う方法によって易々と大金を儲ける人間が現れたのだ。
すべてが変わるきっかけは、一八四八年一月二四日の朝、東カリフォルニアのシエラネバダ山脈の西斜面にあるコロマという町での出来事から始まった。ジョン・サッターの二億坪もの土地からなる小麦畑や果樹園のなかに製材所を建設しようとしていた現場監督のジェームス・マーシャルは、水車の放水路をもう少し深く掘れば完成というところまでこぎつけていた。そこで偶然に天然の金塊を見つけたのである。それは、カリフォルニアの価値も、米国の価値も、たちまち根底から覆すような大発見だった。あくまで製材所を完成させたかったサッターとマーシャルは、この発見を伏せておこうとしたが、もちろん秘密のままにできるはずがなかった。金塊が出たという噂はまたたく間に広がった。不動産価値が高騰し、現在につながる繁栄が始まったのである。一方、本来の土地管理者であるサッターとマーシャルには、やってくる人々を追い出す手段がなかった。
サム・プラナンは採掘のための道具を売るチャンスだと気づいて、事前にありったけ買い占めておいた採掘用具を次々と売って大儲けした(ビル・ゲイツが賞賛しそうな商売方法である)。もっとも、偶然に金が見つかるような幸運は長くは続かなかった。たやすく採掘できる金はすぐ尽きてしまい、しだいに技術改良が進むことになる。これこそが、カリフォルニアの発展の契機となった。採鉱技術の急速な発展にともない、大掛かりな資本が必要となる。個人の採鉱者は消えて大企業しか手が出せなくなった。しかしその一方で、別のかたちで巨富を得る者が現れた。
バイエルンから移民してきたリーバイ・ストラウスは丈夫なズボンを売り始めた。ここからブルージーンズの歴史が始まる。前出のサム・プラナンのような抜け目のない商人は、ナイフ、杭、テント、毛布、靴、牛肉、大麦、ブランデー、ラム酒などを売りさばいた。プラナンは選鉱鍋を三〇セントで買い一五ドルで売って、カリフォルニア初の百万長者になった。彼はとくに何かを発見したわけではない。天賦の才を絶妙のタイミングで発揮したことが、功を奏したのである。
一八六〇年代にセントラル・パシフィック鉄道を作った“ビッグ四”(チャールズ・クロッカー、マーク・ホプキンス、コーリス・ハンティントン、レランド・スタンフォードの四人)も、そもそもは採掘者に日用品を売る商人だった。
地中から七〇〇トン近くの金が掘り出された末に、ゴールドラッシュは一八五〇年代に終わった。しかし、ゴールドラッシュを通じてカリフォルニアの遺伝子コードは決定的に変化した。カリフォルニアは“富を見つけるための場所”になったのである。‥‥そして、やがてシリコンバレーが誕生する。
ジェームス・マーシャルとジョン・サッターは、金脈の発見から三〇年後、無一文で死んでいった。にもかかわらず、カリフォルニアにはいまだに一攫千金のチャンスを窺う人間がやってくる。壮大な夢のかけらを掘り当てるために‥‥。
シリコンバレーでは、ハードウェア、半導体、コンピュータネットワーキング、ソフトウェア、インターネット商取引──どの分野の人々も、激しく競争する一方で、アイディアを分け合い同盟を組み互いに便宜を図る。従来のような“企業間の垂直的統合”は見られない。むしろ関連するライバル同士が寄り集まって社会的基盤を形成しているのである。
こういった成功話を、これでもかこれでもかと湯水のごとくに聞かされると、評者のような凡人はちょっぴり(いや、大いに?)羨ましくなるが、本当に彼らが世の中を変えようとした努力の成果として巨富を得たのか、あるいは単に金儲けだけが目的で、その結果としてシリコンバレーの住人になったのか、いささか疑問に思わざるをえない。もし本当に彼らの目標が単純な金儲けではなく世界を変えることであるならば、なぜ大勢の成功者が三〇歳前に早々と引退し、フェラーリを乗り回したりアルプスでスキーを楽しんだりしているのか? 結局のところ、彼らの成功をどう評価するかは我々各人が持つ人間性に依存する問題なのであろう。
昔の古典的なシリコンバレー物語では、ヒューレット・パッカード、ウイリアム・ショックレー、ロバート・ノイス、ゴードン・ムーアのような技術者が中心であり、彼らのひたむきな技術への情熱が語られてきた。一九七〇年代後半のマイクロコンピュータ革命の時代でも、スティーブ・ウォズニアック、ノーラン・ブッシュネル、スティーブ・ジョブズ、ゲイリー・キルドール達は、それなりに技術への情熱、熱い思い入れ、製品へのこだわりを持っていた。ラリー・エリソンやビル・ゲイツくらいまではその傾向は消えていない。しかしジム・クラークの頃になると少し違ってくる。すべての目的がお金だと臆面もなく言ってのける。彼らにとっては自分の会社の株式上場までが目的であって、後は技術がどうなろうと、会社がどうなろうと、どちらでもよいのである。ジム・クラークがネットスケープを上場させた時点でネットバブルが始まったといえるであろう。
現在もシリコンバレーには、スティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックやゲイリー・キルドールのような若者が存在すると思う。しかしそういう人間の一〇倍ぐらいの数のジョン・ドーアが(つまり、舌先のなめらんな商売人が)起業家を利用して金を儲けようと待ち構えている。また、ラリー・エリソンやジム・クラークのように「誇大宣伝も製品のうち」と考え、未来の筋書きを作りたがっている人々もいる。
ソフトウェアの時代になると、画期的な製品を初めて考案・開発した人がそれなりの利益を享受できなくて、後から出てきてその製品を真似て作ったもので大儲けしてしまうようになった。元祖開発者の技術の模倣によって成功した会社が、技術革新の最先端会社とみなされている。一般大衆もそう思って何ら疑うところがない。こういう傾向はどうにも納得がいかないところである。
世の中を変えようとした元祖開発者は、結局はゴールドラッシュの時代のジェームス・マーシャルやジョン・サッターと同じ運命をたどることになる。サム・プラナンやリーバイスのように、うまく立ち回った者達が成功者となるのである。悲しいけれども、それが現在のシリコンバレーの実態なのであろう。日本のネットバブルでも例外ではなかろう。
以上
これを書き直した決定版「私の書評」は、中央公論12月号の「中公読書室」に掲載されています。
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決定版・書評
「起業ゲームの勝利者たち シリコンバレー・スピリッツ」
デイビッド・A・カプラン 中山宥訳
ソフトバンク パプリッシング(株)
発行2000年8月10日 本体2,200円
評●木下 恂(きのした・しゅん)
シリコンバレーのウッドサイド周辺は、ハイテク業界で成功した富豪たちが住む場所として有名である。一九七○年代初めにマイクロプロセッサが生産されるようになるまではシリコンバレーという呼び名は存在せず、ペニンシュラとかサウスベイと呼ばれていた。それが今やアメリカの象徴となり現代のゴールドラッシュの場となった。数々の重要な発明を世に送り出したシリコンバレーは、開拓時代の西部と同じように独特の精神状態を作りだし現実のドラマとまったくの神話とが交錯している場所なのである。本書はそういったシリコンバレー文化とそれにまつわる様々な有名人のゴシップ記事に彩られている。
ゴールドラッシュの時代の金鉱になぞらえ、シリコンバレーは「誰でも来ることができ、大金を掘り当てられる川」なのである。多くの場合一攫千金のもくろみは空振りに終わる。しかし首尾よく金脈を見つけた者はあふれるほどの富に埋もれる。ゴールドラッシュはまったく新しい経済観念をもたらした。誰でも富豪になれる可能性が出てきたのである。それまでは地道に少しずつ富を貯えるのが当たり前だった。ところが突然、まるで違う方法によって易々と大金を儲ける人間が現れたのである。
すべてが変わることになったきっかけは一八四八年一月二四日の朝、東カリフォルニアのコロマという町での出来事から始まった。ジョン・サッターとジェームス・マーシャルが偶然に金塊を見つけたのである。噂はまたたく間に広がって不動産価値が高騰し現在につながる繁栄が始まった。金を掘り当てる以外の方法で儲ける者も現れた。リーバイ・ストラウスは丈夫なズボンを売り始めた。ここからブルージーンズの歴史が始まる。サム・プラナンは採掘道具を買い占めて百万長者となった。彼はとくに何かを発見したわけではない。天賦の才を絶妙のタイミングで発揮しただけである。一方、最初の発見者であるサッターとマーシャルは金脈の発見から三〇年後に無一文で亡くなった。
シリコンバレーの成功話を聞いていると評者のような俗人はちょっぴり(いや、大いに)羨ましくなるが、結局のところ彼らの成功をどう評価するかは各人が持つ人間性の問題のように思われる。昔の古典的なシリコンバレー物語では技術者が中心であり、彼らのひたむきな技術への情熱が語られた。マイクロコンピュータ革命の時代でもスティーブ・ウォズニアックやスティーブ・ジョブズ達はそれなりに技術への情熱と製品へのこだわりを持っていた。しかし今やすべてが金儲け中心となってしまった。自分の会社の株式上場が目的となり、後はどうなろうと構わない。現在でもシリコンバレーには、ウォズニアックやジョブズのような若者がいるであろう。しかしそういう人間の何十倍もの数の商売人が起業家を利用して金儲けしようとしている。画期的な製品を最初に開発した人が利益を享受できなくて、それを真似た者が大儲けする。技術の模倣によって成功した会社が技術革新の最先端会社とみなされる。世の中を変えようとした先駆者は、結局はゴールドラッシュの時代のサッターやマーシャルと同じ運命をたどることになる。悲しいけれどもそれが現在のシリコンバレーの実態なのである。日本のネットバブルも例外ではなかろう。