【詳細設計】箸
── 標準化されたツール
以前、米国に長期出張していた時のことであるが、自動車事故に会って右手を怪我してしまい自由に使えない時期があった。仕事仲間のアメリカ人達と日本レストランに行った際に、出された箸が使えなくて仕方なく左手で使ったことがあった。普通より太めの箸だったせいもあるが、使い難くて往生したものである。一緒に行ったアメリカ人の方がはるかにうまく箸を使いこなしていた。そのとき思ったのだが、箸というのはすぐれたツールでありほとんどの日本人がそれを巧みに使いこなす技術(ノウハウ)を身に付けている。しかし我々日本人は普段はそれを殆ど技術としては自覚していない。
箸の歴史はよく知らないが日本の箸のあの微妙な細さが特に良い。箸を持っている手の指先の神経が箸の先端まで届いているように感じられ、挟んだものの硬さや柔らかさなどの感触を伝えてくれる。これが、慣れない左手だと全くこの感触が得られないのである。理屈ではなく右手(正確には利き手)のみがマスターしている箸の使い方のコツがあるのであろう。昔、私ども二人が結婚したとき、私の母親が二人に漆塗りの箸を贈ってくれた。妻はいまだにそれを使っているが私はといえば何回も箸を駄目にしている。箸の先端を噛み切ってしまうからである。何回新しい箸に取り替えたことか。箸の正しい使い方をまだ身に付けていない証拠であろう。最近は箸の持ち方も知らない子供が多いそうである。学校給食で箸の代わりに先割れスプーンなどを使わせているところがあるそうだから、その辺が影響しているのかもしれない。千利休は箸を使っても先端数ミリしか汚さなかったそうである。箸の使い方にもまだまだ学ばねばならぬ奥の深さがあるのであろう。
ものを食べるときに用いる道具(ツール)としては、和食・中華の場合は箸、洋食の場合はフォーク・ナイフ・スプーンなどがある。その他にも素手で食べる人々もいる。食事の仕方は風俗習慣であるから素手で食べるからといって一概に文化程度が低いとか劣っているとかはいえない。しかしツールとしては未発達の状態にあるという指摘をしてもそれほど的はずれではあるまい。洋食で用いるフォークやスプーンはよく観察すれば(しなくても自明だが)手の指や手のひらと極めて形状が類似している。フォークやスプーンをツールとして見たとき、発想としては素手で食べるのとたいして変わっていないと思うのである。単に指が汚れるのが嫌だから指に似た道具を考案しただけのことである。それに対し箸というツールは、指でつまんだり手のひらですくったりといった原始的な発想からは完全に脱却しており、食べる対象にどのように作用するかを念頭に設計されているように思える。今はやりのコンピュータ用語を借用すれば“オブジェクト指向”つまり“対象指向”であると言えるのではないだろうか。対象物を挟んだり、掻き集めたり、突き差したり、すくったりといった多様な目的をあの二本の棒で器用にやってのけることができる。素晴らしいツールであるといわねばなるまい(単に“棒”などとは呼びたくない程高尚な芸術品である)。
高級レストランに行くと(私は滅多に行く機会はないが)ナイフとフォークは、料理の種類によって色々な形のものが使い分けられている。対象に合わせてツールを替えているのである。ウェイターが、最初に色々な種類のナイフやフォークをセッティングしたからといって怖じ気づくことはない。その昔、親から教えられた通りに外側のものから順に内側のものへと使っていけばよいのである。‥‥とは分かっていても内心では不安なものである。その点、箸は気楽である。どんなに高級な料理を出されても箸の使い方であたふたすることはない。それを使いこなす技術は、我々日本人は皆身に付けているはずなのだから。つまり箸というツールは、それを作用させる対象に限定されず、その使い方も標準化されている極めてすぐれたツールであると言えよう。
ソフトウェアの世界で使われるツールについても同じようなことがいえるのではないだろうか。ワープロなら何、表計算なら何とそれぞれ使用目的ごとに特化されたツールを使うやり方と、統合ソフトと言って複数の目的をこなせる単一のツールを使うやり方とが考えられる。この場合、操作法の異なるツールを色々と使い分けるよりも、統合化された単一のツールを使う方が利用者にとっては楽なものである。そして同じものを継続して使い込んでいけば(箸の使い方のように)使い方の技術もより深くより高度なものになっていくであろう。
だいぶ昔のことになるが、パソコンの世界では個別のツールか統合ソフトかで争われた時期があった。結局個々の機能が優れている個別のツールが優勢になってしまった経緯がある。日々技術革新が続いている間は個別ツールの方が魅力的である。しかし個別ツールの欠点は、操作法がツールごとに異なり標準化されていない点である。利用者は、同じ基本的な操作であっても使うツールごとに異なる操作法を覚えなければならない。統合ソフトの時代が来るとすれば、それは個々のツールの完成度が高くなり進歩が停滞し始めた時であろう。あるいはウィンドウズシステムのもとで個別のツールをスイッチしながら統合的に使う形態になるかもしれない。いずれにしても、箸の使い方のように操作法が統一化される方向へ進むことだけは確かであろう。
商品の過剰包装への反省、付加価値を高めて差別化するための極端な機能追加が見直されつつある現在、ソフトウェアの世界にも操作法が統一され単純化された製品がそろそろ出現してもよいのではないか。そうすれば箸の使い方の技術のように、それと自覚せずに容易にツールを使いこなせる人々が飛躍的に増えていくことであろう。■