ソフトウェア設計論
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【保守】鍵


── 情報を守るための鍵

 かなり昔の話になるが、私が初めてアメリカの土を踏んで異国でのアパート生活を始めたとき、色々な面で日本との文化の違いを経験し強いカルチャーショックを受けたのを思い出す。日常生活の違いばかりではなく天候も違っていた。昼間は快晴ばかりで、時々雨が降ることはあってもそれは夜間だけなのである。これはたまたま私が最初に訪れた場所がその時期そういう天候だっただけなのだが、その時は心底思ったものだ。アメリカとは何と恵まれた場所なのだろう。神は随分と不公平な国の作り方をされたものだと。その後色々な場所を訪れて、気候の厳しいところもあり地域によって様々であることを知ったのだが。

 普段の生活様式の違いも、広いアメリカでは地域によって様々である。しかしアメリカのどの地域に行っても変わらなかった点が一つある。それは鍵の必要性である。日本では家の鍵を一つ持ち歩く程度である。しかも家族持ちなら滅多に使うことはない。ところが長期間アメリカに滞在していると、先ずアパートの鍵、自動車の鍵、仕事先のオフィスの鍵、そして趣味で入ったクラブの工房の鍵、‥‥といった具合に各種の鍵が必要になる。これらの鍵を忘れるとたちまち生活していけなくなるので、かばん等に入れて持ち歩くのではなく常時身に付けている必要があった。そのため、たくさんの鍵をまとめてポケットに入れて持ち歩くことになる。アメリカ人は普段小銭をポケットに入れてジャラジャラさせているが、これはチップを払ったり自動販売機や乗り物(バスやサブウエイ)を利用したりする際に不可欠だからである。そういう生活に慣れてくると自分のポケットも自然に小銭で一杯になる。更には、小銭を持っていないと何となく不安になるくらいの心理状態になってくる。それに加えて鍵の束を持つのである。これは大柄なアメリカ人の大きなズボンのポケットならよいが、小柄な日本人にはかなりの困難をともなう。そこで、できるだけ鍵がコンパクトに収まるキーホルダーを買って利用することにした。今でもその時買ったキーホルダーを持っているが、日本では滅多に使うことはない。これは普段の生活圏における治安状況の違いもあるのであろう。

 治安といえば、アメリカで古いアパートなどを借りると玄関の入口の扉の内側に3〜4個の鍵が取り付けられていて驚かされることがある。先住者の使っていた鍵が信用できなくて、後から入った人が新たに鍵を付け加えたものである。どの家も常時鍵を掛けていて部外者は滅多なことでは入れないようになっている。そういう環境で知人の家を訪問するには、経験とコツを必要とする。たとえば、アパートに住む知人を訪問するときはアパートの外の扉を開いて中に入り、ずらっと並んだ郵便受けの名札の中から相手の名前を捜し出しその下の呼出しボタンを押す。インターフォンを通じての応答で正当な訪問者であることが確認されると、突然大きなブザーが鳴り響く。このブザーの鳴っている間だけ中の扉が開錠されるので、素早く開けて中に入ればよい訳である。しかし、初めての時私は大きなブザーの音に驚いてまごまごしているうちに中扉を開くチャンスを失ってしまったことがある。今では日本でもしっかりしたマンションではこのスタイルになっているが、当時は初めての経験であった。スマートな訪問をするには経験が必要だとそのとき痛感したのを覚えている。

 仕事でマイクロソフト社に数か月滞在したことがあった。当時マイクロソフト社の本拠は、シアトル郊外ベルビューのノーサップビルディングにあり、ラマダインというホテルの隣りであった。そのホテルから毎日歩いてノーサップビルへかよって深夜まで仕事をしていたので、特別に出入りのための鍵を作ってもらった。帰国するとき、それを返すのを忘れてそのまま持って帰ってきてしまった。今では我が家に“マイクロソフトの鍵”として大切に保管されている。マイクロソフトの本拠はその後移転したので、今でも“マイクロソフトの鍵”と呼べるかどうかは疑問であるが。

 鍵についてはこのように様々な思い出があるが、コンピュータの世界でも最近は「鍵」が話題になることが多い。コンピュータの鍵と言えば、ハードウェア的な鍵よりもむしろソフトウェア的な鍵の方が直ぐに思い浮かぶ。パスワードが合致していないとシステムを使えなくする形式のものとか、暗号化された情報を平文に戻すための公開の鍵などである。

 東芝の海外向けパソコンには、一部の機種でハードウェア的な鍵が付いているものがあった。ノート型パソコンが今のように流行る前に広く使われていたラップトップ型コンピュータで、アタッシュケースなどでよく見かける番号合わせ型の鍵である。日本ではハードウェア的な鍵を付けた機種はデスクトップ型以外ではあまり見たことがない。それも差し込んで回す形式の鍵ばかりである。日本と欧米のセキュリティーに関する考え方の違いが出ていて面白かった。しかしノート型パソコンの普及でこの種の物理的な鍵の必要性は疑問になってきた。特にアメリカの大企業の役員クラスの人が持参しているノート型パソコンが空港などの待合室で狙われて、物理的に持ち去られることが多いからである。コンピュータに内蔵されているハードディスク上のファイルから高度な経営情報を盗もうという手合いがいるのであろう。今やノート型パソコンは、チェーンを用いて腕に結び付けておかねばならぬ時代になってきた訳である。最も原始的だが、これが最も確実な方法なのではなかろうか。

 昔日本のあるコンピュータメーカの工場では高価なデスクトップ型のコンピュータはすべてその本体が机に釘付けにされていたそうである。当時は高価なコンピュータを個人で一台持つのはなかなか困難な時代であり、無断で持ち出す不心得な人がいたためである。やはりこういう最も素朴な防護策が一番有効なようである。

 大学におけるコンピュータ教育も最近は設備が充実してきて、大きな教室に何十台ものパソコンが並んでいる写真をよく見かける。マシンの管理も大変なことであろう。デスクトップ型をやめてノート型に切り替えてしまえば場所も消費する電力も節約できるのだが、ノート型パソコンだと持ち出されてしまって管理ができなくなる。しかし最近はノート型パソコンが安く手に入るようになったので、どの大学でも学生に一台買わせて個人管理にまかせる時代になった。私が通っている大学でも、新入生は皆新しいノートパソコンを購入して授業や日々の情報交換に活用するスタイルになっている。こうなればマシン管理の問題もなくなるわけである。

 ソフトウェアの世界では(特にオブジェクト指向設計では)「情報隠蔽」という言葉がよく使われる。これは、必要な人に必要な情報をすべて与え、逆に必要以外の情報は一切与えないようにするというものである。その狙いは情報を必要以上に公開して不用意に壊されるのを避けるためもあるが、一方で、不要な情報は与えないことによって利用者の思考の概念空間を狭め、本来の仕事に集中できるようにすることも目的の一つとなっている。決して盗人から情報を守るためのものではない。

 先の会社役員のノート型パソコンのように、盗まれた場合の情報隠蔽には正しいパスワードを用いたアクセスでない限りファイルを自己破壊してしまうような高度な仕組みが必要であろう。たとえば、物理的にハードディスクを壊してしまい以後は全く読めなくしてしまうのである。

 大切な情報を守るには、守る目的に応じて高度な技術による防護策と素朴な昔ながらの防護策とをうまく組み合わせて用いるのが、現実的な解決の“鍵”になるのではないかと思うのである。■