ソフトウェアの法則 ソフトウェアと漫画 アイコンについて
ソフトウェアの法則
(40)

ソフトウェアと漫画


── アイコンについて

◆漫画との出会い

 中学1年の頃のことである。学校の校舎の屋上で遊んでいると、見知らぬ少年が近付いてきて私に話しかけてきた。
「キノシタっていうんでしょ?」
私の名前を知っている。
「うん」
「少年クラブに漫画、投稿しなかった?」
この一言を聞いて私はドキッとした。そして、私の心臓は激しく高鳴りだしたのである。

 “少年クラブ”というのは今では廃刊になってしまったが、当時の少年達が夢中になって読んだ少年向けの月刊誌(講談社発行)である。もっと年配の人には“少年倶楽部”の名で知られている。当時、学校の帰りに電車の中などで読んでいると、中年のおじさんが懐かしそうに覗きこみ話しかけてきたものだ。そのおじさんも、昔の名前の“少年倶楽部”の方の愛読者だったのであろう。

 見知らぬ少年に声を掛けられた瞬間、私は自分の投稿作品が雑誌に採用されたことを確信した。しかし何故か私の口から出てきたのは
「知らないよ」
という素っ気ない言葉だった。せっかく教えてくれたというのに。
 このときの心理は、私には今もって合点がいかない。思い出すたびに内心忸怩たる思いが残るのである。きっと、できるだけ早く一人になって入選の喜びを噛み締めたかったのであろう。

 たしか数か月前、漫画を描いて少年クラブの編集部宛てに送ったのである。子供らしい一時的な思い付きで投稿はしたけれど、それっきりすっかり忘れてしまっていた。作品を作って投稿するという初めての“冒険的試み”自体に夢中になり、それだけで満足してしまっていたのであろう。その後のことなどには全く思いが至らなかった。したがって入選など夢想だにしていなかったから、全く予期していないことであった。

 早速、学校からの帰りに駅前にある本屋へ寄ってみた。そして店先で、自分の作品が載っている本を発見しすごく感激したのを覚えている。絵が載ったのもうれしかったが、自分の名前が活字になっているのにも感激した。そう聞くと不思議に思う人がいるかもしれないが、当時はワープロなどない時代であったから、普通は活字体で印刷された自分の名前を見ることなど滅多になかったからである。

 以来、あちこちの少年雑誌に軒並み漫画を投稿するようになってしまった。今でいう漫画少年の走りである。当時の入選作が載った雑誌が今でも家に何冊か残されている。私にとっては大切な宝物である。

 手塚治虫の漫画に魅せられて、このように漫画を描いては投稿していた少年達が当時沢山いたはずである。私もその中の一人だったのだ。手塚治虫の助手を募集するというような話があると、早速に応募しようとしたものである。手塚治虫の作品の中からどんな場面でもよいから一つ模写をして送ればよい。適当な大きさのアピールしそうな場面を選んでは模写をする。しかし鉛筆で描く段階まではよいのだが、黒インクで上書きする段階になると結局原画通りに緻密には描けないことが分かってくる。自分の実力では無理なのかと、残念ながら応募を諦めるしかなかった。

 原画の通りに描けない理由は、実は別のところにあったのだが(詳しくは後述)当時はそれを全く知らなかったのである。私と同じように熱心に投稿していた漫画少年たちが、今では一流の漫画家として活躍しているのを知ると、何か複雑な気持ちになってくる。

 その頃、児童漫画集団という団体があって、そのメンバーになったりもした。しかし特段の活動をしたわけではない。ただ、将来漫画家になる夢を抱いていたので、そういう名前の集団に所属しその会員証を持っているということだけで満足していた。当時活躍していた有名な漫画家達に年賀状を出すと、ときたま綺麗な漫画の描かれた返書が届いたりして子供心に大喜びしたものである。そのはがきも自分の宝物の一つになっている。随分と宝物が多いようだが、他人の目から見れば二束三文にもならぬがらくたばかりである(往々にして、宝物とはそういうものであろう)。

 客観的に見ても宝物として価値がありそうなものを、実はたった一つ持っていた(悲しいかな過去形なのだ)。手塚治虫の名作『新宝島』<*1>の初版本を持っていたのである。これは今なら大変に価値のあるものなのだ。ところがある日、友達の兄が私の家にやってきて、それを貸してくれと言ってうむを言わさず持っていってしまった。そのとき何かいやな予感がしたのだが、はたせるかな数日後「無くしてしまった」といってきた。明らかな“いじめ”である。あの本のことは今でもときどき思い出すが、その度に惜しいことをしたなと思う。

【注】<*1>1947年 育英出版社発行。
 その後1984年に、講談社から手塚治虫漫画全集(全300巻)の内の一つとして復刻されている。

◆漫画を描く
 一口に“マンガ”というけれど、漫画にも色々な種類がある。その中でも四コマ漫画とストーリー漫画が代表的なものであろう。四コマ漫画は相当に頭が良くないと描けない。盛り込むアイディアが勝負だからである。したがって子供ではなかなか作れない。その点、ストーリー漫画なら子供でも容易に描ける。子供にとって波乱万丈の物語りをでっちあげることくらい朝飯前のことだからである。荒唐無稽の話になればなるほど、子供にとっては得意な分野だといえるであろう。したがって、絵さえ描ければ何とかなるものなのだ。

 漫画を描くための道具としては、鉛筆、消しゴム、ケント紙あるいは模造紙、ペン、黒インクなどが必要である。要するに金が掛からないものばかりだ。親に負担をかけないという意味では、子供が夢中になるには最も適している分野といえるであろう(当時から私はこのように親孝行だったのである)。

 漫画は、絵とネームと絵記号と、それにコマを用いて表現されるのが普通である。ネームというのはセリフやナレーションの文字のことで、それに加えて様々な絵記号が用いられる。絵記号というのは今風に言えばアイコンである。絵に加えて、ネームとアイコンなどの部品を用いて構成された各場面を互いに区切るのがコマの役割りである。

 これらのものが互いに影響し合い連関し合って生み出された表現の意味を、読者は無意識のうちに読み取れるよう訓練されている。漫画に特有の描線やコマや吹きだし、動きや心理を表す様々なアイコンや擬音などは、誰かに教わるまでもなく子供なら誰でも自然に覚えてしまっている。このアイコンにもいろいろな種類があり、すべての漫画で共通に使われている標準的なものと、特定の漫画家の作品の中にしか登場しない特殊なものとがある。読者はそれらを巧みに見分ける能力を自然に身に付けているものなのである。

 漫画を描く場合、子供は誰でも最初から壮大なストーリー漫画を描きたいと思う。私も例外ではなかった。私の頭の中で壮大な物語りが構築される。内容は実に他愛のない話なのだが、本人は大まじめである。波乱万丈の物語りを作っている積りなのだ。そして物語りの細部までキッチリと構想が練られる。セリフも決められる。これらすべてが、私の頭の中で行われるのだ。

 次いで、各ページの細かいコマ取りまで決めてしまう。コマというのはすべて同じ大きさではなく、それぞれの話の展開に合わせて適当に変えていかなければならない。各ページには適当に大きなコマを配して、山場を作る配慮も必要である。そういうコマがページ渡りをしないよう、どのページのどのコマに何を描くかまで詳細にきめてしまう。もちろん、すべて私の頭の中でである。

 ページ数が増えてくると、途中でコマ取りの詳細が分からなくなってしまうことがある。そういうときは、最初に戻って何度も繰り返し確認を取る必要がある。そういうことを繰り返しながら、先へ先へと進んでいく。もちろんすべて私の頭の中でである(くどい!)。

 このようにして、私の頭の中に壮大なストーリー漫画の傑作ができ上がる。豪華絢爛という表現がぴったりするような、どこに出しても恥ずかしくない大長編漫画の誕生である。少なくとも本人はそう信じて疑わない。しかしこの作品には一つ重大な欠点があった。それは残念ながらまだ私だけしかこの作品を観賞できないという点である。

 さて、いよいよ紙の上に描く段階である。最初のページを鉛筆で描く。まずまずのできである。私の頭の中にある傑作とたいして違わない。しかし黒インクで描く(これを墨入れという)段階になると、期待通りにいかないことが段々と分かってくる。インクがぼてっと紙の上に落ちてしまったりして、細かい精密な線が描けない。今のように細書きのマジックペンなどなかった時代である。ペンにいちいち黒インクを付けて描くしか方法がなかったのだ。普通の万年筆に黒インクを入れるとすぐに詰まってしまって滑らかに描けない。それに、万年筆では線も太すぎるのである。線を細くするために万年筆を裏返しに持って描いてみたりしたが、うまくはいかなかった。

 師とあがめ手本にしている手塚治虫の絵のように鋭い線を出したいのだが、どうしても連続してそういう線を描くことができない。普通は絵を描く場合、線の太さによって色々なペンが使い分けられる。細いものから太いものへと列挙すると、丸ペン、丸代ペン、角ペン、Gペン、カブラペン(国字ペン)、カラスグチなどがある。手塚治虫は普通Gペンを使っていると何かで読んで知ると、すぐさまそれを買ってきて試してみたりするのだが、なかなかうまくいかない。

 後で知ったのだが、普通四コマ漫画はでき上がりの3〜3.5倍の大きさで描くものなのだそうである。ストーリー漫画の場合は、でき上がりの1.2〜1.5倍に描くものだという。当時の私は、そんなことは全く知らなかった。いくらペンを選んだり(ツールを選ぶ)うまく描く努力をしたり(技術を磨く)しても、手塚治虫ばりの鋭い線が描けなかったのは道理である。自己流はいけないという見本のようなものであろう。

 かくして私の頭の中にある傑作はその実現段階の最初で、しかも最初のページでつまずいてしまったのである。何事も最初が肝心であって、そこでうまくいかないと後を続ける意欲がなくなってしまう。私の美意識では、最初のページが不できな作品など到底許せなかったからである。こうして私の傑作は日の目を見ることなく、私の頭の中に保管され続けた。そして時の経過とともに私の頭の中から忘却の彼方へと、永遠に消滅していってしまったのである。あぁ。

◆失敗の真の原因
 私の頭の記憶装置とは違って、コンピュータの補助記憶装置に記憶したデータファイルは、自ら削除しない限り(そして、データ破壊などの事故が起こらない限り)決して消滅してしまうことはない。それだからこそ、がらくたファイルでハードディスク(1)がすぐ一杯になってしまうのであろう。昔、Multicsシステム(2)を使っていたときは、しばらくアクセスしないでいたファイルは自然に補助記憶装置の底の方に沈んでいって、何年かするとしまいには磁気テープに落とされてしまうような仕組みになっていた。後でそのファイルが必要になったときは“salvager”という特別なプログラムですくい上げればよいのである。私の記憶装置も、サルベージすれば昔の記憶を呼び覚ませるようになっているとよいのだが。

 さて、中学2年まではこのようにして漫画を描くことに夢中になっていたが、高校受験も迫り母親から「もう漫画は卒業したら」の一言があったのを潮に、以後すっぱりとやめてしまった。それまでに買い集めた漫画本もすべて処分した(大変な決断だった)。したがって、それ以後の手塚治虫の作品についてはほとんど知らない。最近は電車の中で、頭の毛が薄くなりかかった年配の人でも平気で漫画本を読んでいる時代である。しかし当時は、漫画などに夢中になる子供はろくな大人になれぬと言われていた。もし今のような時代に少年期を過ごしていたなら、私も漫画家になっていたかもしれない。

 さて、この話から何か教訓を得るとすれば、それは「自己流では、いつか必ず行き詰まる」ということであろう。もし私がいきなり最初のページから詳細化を始めないで、全体を段階的に少しずつ詳細化していくという方法をとっていたら、つまり“トップダウン”という手法を知っていたら、素晴らしい傑作漫画があのとき誕生していたのではなかろうか。

 あるいは、トップダウン手法を知らなくても、全体の構想をラフに描いた資料(ドキュメント、メモなど)を残していたら、今からでも世紀の傑作(?)は日の目を見ることができたかもしれないのである。

 要するに、全体を少しずつ詳細化していくというあの“トップダウン”の考え方と“ドキュメント化”の重要性とを全く知らなかったのが、私の失敗の真の原因だったのである。

 ソフトウェア開発では、トップダウン設計法とドキュメント化の重要性はよく話題となる。特にトップダウンの考え方というのは人間が生来持っているものではないと私はかねがね思ってきた。それだからこそ、ソフトウェア教育での重要なテーマになっているのであろう。人間は生来トップダウン的なプローチは苦手で、放っておけば必ずボトムアップ(3)に詳細化を始めるものなのである。

 今でもときどき思う。私があのときトップダウンの手法を知っていたら、もしかすると偉大な漫画家が出現していたかもしれないと。いや、それは無理としても、少なくともあの傑作漫画だけは世に出ていたと信じたいのである。

◆漫画とアイコン
 こうして久し振りに昔夢中になった漫画のことなどを思い返していると、漫画や絵文字(アイコン)に対する社会の評価は、昔も今も変わらないなあとつくづくと思う。前述したように、昔は漫画などに夢中になると“頭のかたい大人”からよく叱られたものだが、今やアイコンについても同様のことが言われている。

 最近のコンピュータの使い方は画面上のアイコン操作が中心になってきているのは周知のとおりである。これは、漫画における様々なアイコンの意味を子供が自然に習得してしまうのと同じように、説明なしで誰でもコンピュータを容易に操作できるようにしたいという意図から導入されたものである。コンピュータに不慣れな人であっても何も悩むことはない。あの分厚いマニュアルの説明など読まなくても、アイコンの形状からその機能を適当に類推することができる。機能の詳細を知りたければカーソル(4)をそのアイコンの上へもっていって、突っ突いて(クリックして)みればよいのである。そうすれば、手探りで何とか使えるようになってしまう。しかも、標準的なアイコンならその操作法を一度覚えてしまえば、他のソフトウェアに対しても共通に使える点が素晴らしいところである。漫画におけるアイコンと実によく似ているではないか。

 しかしコンピュータの初心者ではなく、昔ながらの文字入力を前提とするキーボード操作に慣れている人にとっては、このアイコンなるものが嫌悪感をもよおす元凶であるらしい。キーボード操作(DOSの世界)の方がよいとか、いや、アイコン操作(Windowsの世界)の方が使い易いとか、様々な熱い議論が戦わされている。このように、今でも“頭のかたい大人”からは漫画やアイコンは毛嫌いされており、その利用についての理解がなかなか得られないのが現状である。漫画やアイコンというのは何時の時代にあっても、そういう運命にあるものらしい。昔の漫画少年の一人として、甚だ残念なことである。私も頭のかたい大人の部類に属してしまっているが、何とか若者たちのコミュニケーション手段に乗り遅れないよう日々努力している最中である。

 昔は漫画の世界を卒業すれば、次には自然に文字文化による「読書」という素晴らしい世界が開けてきたものだ(漫画は読書には含まれない。いや、断じて!)。アイコン操作を基本とするウィンドウズ(5)の世界は、視覚に訴えることを重視した、いわば絵本や漫画の世界であるといってもよいであろう。いずれ、それを卒業すれば、文字文化の読書の世界が開けてくるはずである。いや、開けてこなければいけない。そして、そこで待ち受けているのは、今度は素晴らしい挿し絵のある本となるであろう。

 昔ながらのDOS(6)の世界は、いわば挿し絵や図の全く含まれない文字だけの書物であった。それに対し、これからの読書の世界では挿し絵のある書物が中心となる。挿し絵というのは、文字だけでは表現できないものを読者に伝える重要な役割を担っている。更には、絵だけでなく音声(いってみれば“挿し音”である)や動画のたぐいも挿入できるようになる。これらのメディア表現は、文字による表現の不足を補い、文字だけでは表現できない情報を伝え、読む者の理解を一層深める役割を果たしてくれる。

 これから開けてくる、そういった読書の世界では、書物というものは多分Java言語(7)などで記述されたハイパーメディア文書になるであろう。HTML(8)形式で記述された文書の中に、アプレット(9)と呼ばれる特別な形式で絵や音声や動画・静止画などが任意に挿入されたものである。そうなれば、DOSがよいかWindowsがよいかなどという議論は、絵のない本と漫画とどちらがよいかという議論と同じで、もはや全く意味のないものとなるに違いない。システムへの命令の与え方が文字コードであろうがアイコンであろうが、たいした問題ではない。問題とすべきなのは、人間同士がお互いに情報交換を行う際の媒体としての文書を、どのような形態にするのが望ましいかということである。

 先に私は「ウィンドウズは絵本や漫画の世界だ」と述べたが、そう言ったからといって決してウィンドウズの役割を軽視しているわけではない。むしろ、必要な通過段階だと考えている。ウィンドウズという漫画の世界が存在することによって、それまで書物などに親しんだことのなかった大多数の人達が、読書の楽しさ、素晴らしさを自然に体得するようになる。そしてそれが近い将来、大量の読書人口の増加という形でコンピュータ業界に貢献してくれると信じている。

◆ソフトウェアの法則
 ここでは、我々が実生活で出くわす様々な出来事になぞらえてソフトウェアの世界の話題についてふれた。たとえば漫画の絵文字(アイコン)からコンピュータの操作法という「コンピュータ一般」に関する話題を紹介した。全体を少しずつ詳細化することの重要性からトップダウン設計法という「ソフトウェア技術」の一つを紹介し、更に文書を残すことの重要性から「ソフトウェア開発」におけるドキュメント化の重要性についても言及した。

 このようにソフトウェアの世界には、我々が実生活で出くわす諸々の出来事やきまりと非常に似通った法則性があることに気付かれたことと思う。以下では、「コンピュータ一般」、「ソフトウェア技術」、「ソフトウェア開発」という3つのカテゴリーに分けて、それぞれの分野でのソフトウェアの話題を紹介することにしたい。■

法則【アイコンの賢い使い方】
◆見慣れぬクモを見付けたら(毒蜘蛛のセアカゴケグモかもしれぬ)、とりあえず棒で突っ突いて反応を見る。
 見慣れぬアイコンを見付けたら、とりあえずカーソルで突っ突いて反応を見る。

【用語解説】
(1)ハードディスク
 大容量の補助記憶装置
(2)Multicsシステム
 Honeywell社とMITが共同開発した先進的なコンピュータシステム
(3)ボトムアップ
 個々のものから詳細化を始めて、(下から上へと)次第に全体を組み立てていく方式
(4)カーソル
 画面上の位置を表示するポインタ
(5)ウィンドウズ(Windows)
 コンピュータへのアクセスを、グラフィカルな絵を用いて行うシステム
(6)DOS
 コンピュータへのアクセスを、文字コード中心で行うシステム
(7)Java言語
 インターネットで使われるプログラミング言語
(8)HTML
 Hypertext Markup Languageの略で、ハイパーメディア文書の記述形式
(9)アプレット
 Java言語などで記述されたアプリケーションプログラムで、HTML文書に埋め込まれる
(1996-03-04:掲示、1998-5-1:削除、2006-3-1:再掲示)