ソフトウェアの法則 ソフトウェアと肥満 肥満ソフトウェアについて
ソフトウェアの法則
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ソフトウェアと肥満


── 肥満ソフトウェアについて

◆肥満との闘い
 年とともに太ってきた。齢五十に近づく頃より徐々に体重が増え始め、今や私もすっかり肥満体になろうとしている。バブル経済崩壊後の世の中は右肩下がりの景気動向を続けているというのに、我が体重カーブのみは“右肩上がり”を呈し続けている。若い頃は多少体重が増えても、ちょっと運動をすればすぐ痩せられたものだ。鉄亜鈴などを毎日振り回していれば、すぐ筋肉のもりもりとした均整のとれた身体に戻れたものである<*1>

【注】<*1>ここで誤解のないように記しておくが、「太った」とか「痩せた」とかいうのは多分に相対的・心理的なものであって、人によってその定義は異なる。したがって読者は「筋肉もりもりの均整のとれた身体」などという表現に出くわしたとしても、必ずしもそれを言葉通りに受け取ってはならない。筆者が自分の定義で勝手にそう思い込んでいるだけのことなのだから。

 しかし最近では、運動をしてもほとんど減量の効果が出てこない。身体の中に取り込まれたエネルギーという所得を処分できなくて、いわゆる“非可処分所得”が増えるばかりなのだ。それでもめげずに私は定期的に運動をしているが、じりじりと増えていく体重カーブの上昇率を、多少でも下向きに押さえるのが精一杯のところである。

 一般に理想的な体重の算出方法は、身長と体重の間に次の関係が成立することだといわれている。

    身長(cm)−105=体重(kg)
あるいは、

    (身長−100)*0.9=体重
が使われることもある。

 容易に分かることだが、太って困っている人で身長が150cm以上の場合は、前者の式を用いるとよい。身長が150cm未満の場合は後者を用いる。その方が多少とも目標達成が楽になるからである。更に、年齢や性別を加味した算出法もあるが、これは肥満度<*2>なども判定できるのでプログラミングの練習問題にはもってこいのものである。最近では、BMI法が有名である。

【注】<*2>私はこの肥満度なる表示単位がどうも好きになれない。肥満度が「プラス何パーセント」などといわれても、減量の目標値としては何かつかみどころがないからだ。単純に体重が何キロオーバーといわれた方がまだ減量の目標値としては分かりやすいと思うのだが。

 私の場合、最近はこの目標値をうんぬんできる事態ではなくなってきた。非常事態といった方がよいくらいのものなのだ。週一度の運動で減量を期待するのは、どだい無理な話なのであろう。そこで、運動の頻度を週2〜3回に増やしたりしているが、平日の運動はなかなか長続きしない。仕事を終わってからの運動は、どうしても時間的に無理があり「今日はやめておくか」となってしまう。

 若い頃は勤務先の工場の回りを昼休みにジョギングしたりしたものだが、今や“体力”的にも、年齢にともなって強化される傾向のある“見栄”の点からも、もはやそういうことを気軽にできる年代ではなくなってしまったようだ。悲しいことである。

 新しい背広を新調するときなど、胴回りが以前より1サイズ上のものになったりすると実に何とも情けなくなる。以前着ていた洋服がきつくて着られなくなったときも悲しいものだ。それが、特に気に入っていた洋服のときは尚更で、どうしても処分する気にはなれない。今度こそ必ず痩せるぞと堅く心に誓うのだが、実現した試しがない。最近は、妻がそろそろ背広を新調したらどうかと言うと「まだいいよ。もう少し痩せてからにする」と答えることにしている。このままでは何時まで経っても新調はできそうにない。

 同窓会などで久し振りに会った友人達との話題も、自然と肥満の話になることが多い。私だけでなく中年を過ぎると誰にでも巡ってくる共通の悩みなのであろう。ある女性は弁護士である夫の体重をコントロールするために徹底的な食事療法を試みたそうである。奥さんの努力の甲斐あってか弁護士の夫は痩せることができたが、どの背広もだぶだぶになってしまってすべて作り直さなければならなかったとか。
 「それも、新調したばかりの背広なのよ。全部だめになってしまって」
と彼女は誇らしげにのたもうた。
 さすがに内助の功というのは凄いものだ。食事制限など、意思の弱い私にはとうてい無理であろう。

 そのとき、ある男がすかさず質問した。それは誰もが共通に持っていた疑問であり、是非とも聞きたかったことであるが、それでいて非常に重要で問題の核心を突いており、ある面では非常に残酷な、そしてまた、もしかすると減量作戦を成功させるための重大なヒントを秘めているかもしれない、そういう質問であった。
 「で、その新調したばかりのだぶだぶの背広はどうなったの? 捨てたの?」
 この予期せぬ質問にぐっと詰まった彼女は、心の動揺を押し隠し必死で態勢を立て直すと、憮然とした表情で答えた。
「まだ、‥‥とってある」
 それを聞いた男性達は何故かほっとしたのであった。再びその背広が役に立つときがくることを全員が体験的に知っていたからである。

 で、私は考えた。この種の減量作戦を完全に成功させるためには、この弁護士先生の目の前で彼のだぶだぶの背広を惜しげもなく処分することではなかろうか。たとえば火を付けて燃やしてしまうとか、ズタズタに切り裂くとか、過激な方法であればあるほどよろしい。そうすることによってこの減量作戦は成功裡に完了すること請け合いであると。

◆肥満の仕組み
 ところで、このような“肥満”という大問題に対処するためには、まず肥満の仕組みを知ることが大切であろう。敵を知り己を知れば、百戦してもこれ危うからずというではないですか。「肥満などには関心がない」という若者たちも、いずれは自己の問題としてとらえなければならない時が来るであろうから、今から心して読んでおかれることを期待する。

 以下では肥満の仕組みについて少しく考察してみることにしよう。
 そもそも人間が太る原因は、摂取したエネルギーを消費しきれなくて身体の中に蓄積してしまうからである。したがって肥満を防止するには、摂取エネルギーを少なくし(つまり食事を抑えて)、消費エネルギーを上げる(つまり運動する)ことである。要するに、食事量を減らして運動するのが一番であり、実に単純明快なことなのだ。しかし誰でも知っているように、その実行が一番難しいのである。

 しかし専門家の話<*3>によると、肥満の仕組みというのはそう単純なものではないらしい。たいして食べないのに肥満する人もいる。一時的に運動をしても、その分エネルギーが消費されるわけではない。肥満成立のメカニズムはもっともっと複雑なものであるらしい。

【注】<*3>「ゑれきてる」1995年 第56号 季刊(東芝)

 まず肥満の原因となる“食欲”についてであるが、これは複雑な制御機構を持っている。人間の食欲は脳の視床下部にある中枢で制御され、食欲を抑える満腹中枢と、食欲を高める空腹中枢(摂食中枢ともいう)とがある。胃や腸などの消化器官から自律神経を通じて送られた信号は、この摂食中枢へと伝えられる。血液中の血糖などの物質の量もこの中枢に伝えられる。このような血液中の情報伝達物質は数多くあり、その濃度によって満腹中枢が刺激されるのである。

 情報伝達物質としては血糖が代表的なもので、低いときは空腹中枢を、高いときは満腹中枢を刺激するようになっている。食欲というのはこの満腹中枢と空腹中枢の活動のバランスで決まるのだそうである。更に最近、この二つの中枢以外に室傍核といわれる部位も破壊されると肥満が起こることが発見されている。三つの中枢部位がお互いにバランスを取りながら食欲を調整しているらしいのだ。まだまだ未解決の部分がある複雑な機構なのである。

 一方、インシュリンという物質も肥満と深い関係があり、摂食中枢を刺激して摂食を増加させる作用がある。運動不足もインシュリンと関係があるけれど、運動不足で摂取したエネルギーが消費しきれなくて肥満になる、というほど単純なものではないらしい。運動不足状態になるとインシュリンの血糖降下作用が減少し過剰インシュリン状態になることがある。運動不足というのは、エネルギーの消費量が少ないという一時的な影響よりも、運動していない状態でも肥満しやすい代謝状態にしてしまうという長期的な影響の方がおそろしいのである。

 生物学的に見て人間が太るのは簡単であるという。文明の発達にともなって運動不足が進み、現在の日本人の6割から7割はカロリーを過剰に摂取しているという。運動不足のために過剰エネルギーは益々消費されにくくなり、ストレスによる食欲上昇という要因も加わって肥満は益々増えていく傾向にある。

 ところで人間が過剰なカロリーを摂取するようになったのは、人間の生物としての長い歴史の中ではごく最近のことなのだそうである。それまでは十分な食糧を確保できず、摂取したエネルギーを蓄えて有効に活用する必要があったのだ。したがって人間の代謝機能は、痩せることを防ぐ力は強く働くが生物学的には太るのは容易で、一度肥満になると簡単には痩せられないようにできているのだそうである。あぁ。

◆肥満ソフトウェアについて
 ところで、我々の扱っているソフトウェアという製品も常に肥満の問題を抱えている。最近のソフトウェアは、メモリを大量に消費するものが増えてきており、インストール(1)するのも大変である。インストールに要する時間が掛かるだけでなく、様々なオプションの選択を一般利用者が指示しなければならなくなり、利用者側の負担も大きくなってきている。工場出荷段階からあらかじめソフトウェアをインストールしておくという、いわゆる“プレインストール”のコンピュータが増えてきたのもむべなるかなと思える。

 OSやワープロソフト、表計算ソフトなどのような誰でもが使う必須のソフトウェアならそれでもよいが、プレインストールに向かないソフトウェアはCD-ROMがないと、もはやインストールすることができない。

 こういった肥満度の高いソフトウェア(fatware とか bloatware と呼ぶ)はぜい肉が多いせいか例外なく動作がのろい。全体的な印象が“のろま”で“とろい”ものが多いのだ。最近の若い技術者がよく使う表現を借りれば「サクサク」と動いてくれない、「バリバリ」と反応してくれない、ということになろう。

 更に、そういうソフトウェア製品に付属してくるマニュアル等のドキュメント類は、そのソフトウェアの大きさに見合う程度にまで量的に(決して質的ではない)充実している。かつては2桁の数のマニュアルが同梱されていたという話があるくらいだが、さすがに最近はドキュメント類も電子化されてヘルプファイルとして参照できるようになってきた。それが、更に肥満を助長する所以なのであるが。もちろん、ドキュメントの文章はひどいものであろう。読む気にならないから正確には誰も確かめようがない。いやはや、嘆かわしいことである。

 そもそも、このような肥満体質になってしまったについては、その責任の一端は利用者の側にもあると私は思うのである。特定のソフトウェアメーカの製品群に囲い込まれて優雅に生活している内に運動不足に陥ってしまっていたのだ。気が付いたら、それらなしには生活していけない中毒状態になってしまっている。完全な肥満体質になる前兆である。アップグレード(2)版が売り出されたという情報が神経中枢に伝えられると、たちまち空腹中枢を刺激されてしまう。更には、前バージョンの利用者は安く購入できるという“特権”を目の前にちらつかされると、たちまち食欲が昂進してしまう。このようして、ソフトウェアメーカの策略にまんまと乗せられてしまうことになる。

 一度、このようなアップグレード地獄に陥ってしまうと、もはや抜け出すことはできなくなる。そして慢性的な肥満体への坂道を転げ落ちていくことになる。アップグレード地獄の行き着くところは、肥満ソフトウェアという“のろま”で“とろい”ソフトウェアでも、本人は結構満足して使っているという中毒症状に陥ってしまうことだ。しかも本人はそれに全く気が付かない。仮に“のろま”で“とろい”と感じたとしても、それは自分の使っているマシンの方が“のろま”で“とろい”のだと勝手に解釈してくれるから、ソフトウェアメーカにとってはこの上なくありがたいことである。そのことに大抵の利用者は気付いていないのが悲しい。いやはや、苦々しいことである。

 自分のマシンが“のろま”で“とろい”と思ったら、まずシステムリソース(3)の使い方に問題がないか調べてみるとよい。特にウィンドウズの環境下では、システムリソースを無駄に浪費している場合が多いからだ。当面必要のないプログラムは直ちに終了させるべきである。デスクトップ(4)上にある趣味のプログラムなどは当面の仕事には不要のものであろう。無駄に動作しているプログラムがあったらどんどん減らすことによってダイエットし、システムリソースを節約するのが第一である。デスクトップ上にアイコン化して置いてあるプログラムも、立派にシステムリソースを消費している。美しい壁紙や画面一杯に広がる美女の写真などは、心を和ませ眼の保養にはなるかもしれないが大量のリソースを浪費している元凶なのだ。そのことに利用者はほとんど気が付いていない。いやはや、嘆かわしいことである。

 ところで、ソフトウェアがこのように肥満するようになったのは、コンピュータの長い歴史の中ではごくごく最近のことである。それまでは、もともとハードウェア的に十分なメモリを確保できなかったので、ソフトウェアが肥満しようにも肥満する余地がなかったのだ。そう言えば昔大型機をやっていた頃、メモリを大量に使う(と言っても、たった30K語程度であるが)コンパイラを作ったところ、非国民のように叩かれたことがあった。悔しいことであった。今の世であったならば‥‥。

 メモリ素子が格段に安く手に入るようになり、かつオペレーティング・システムの改良によってアプリケーションプログラムの利用可能領域の壁が次々と取り除かれていくにつれ、ソフトウェアの肥満という悪夢が始まったのである。ソフトウェア機能の充実という大義名分の前に、コンピュータの装備する標準メモリのサイズは次々と拡大していき、一方その上で動作するソフトウェアはそれを有効に活用することが求められるようになる。したがってコンピュータの機能向上は、もともとソフトウェアを太る方向へ押しやるもので、決して痩せさせる方向には働かないものなのだ。つまり、機能的にも、商業的にも、生物学的(?)にも太るのは容易で一度肥満になると簡単には痩せられないようにできているのである。あぁ。

 ソフトウェアを作る側から言えば、ソフトウェアというのはいじればいじる程肥満してくるものなのである。トラブル解決のために虫を潰したら、大抵は肥満する。虫を潰してかつ痩せるなどということはありえない。それでは余りに“虫”の良すぎる期待というものであろう。開発プロジェクトでは、出荷が近づくとサイズ・リダクションという仕事が重要な項目になってくるのが普通であった。つまり、ダイエットさせることが出荷条件として必須のものとなっていたのである。ソフトウェアというのは、やはりそうなる運命にあるのであろう。あぁ。

 いやはや、嘆かわしいことである。苦々しいことである。私は自分の腹を眺めながら思った。■

【肥満に関する不思議な傾向】
◆人間は、肥満した身体に合わせてうつわ(洋服のサイズ)を選ぶが、ソフトウェアは、うつわ(メモリのサイズ)に合わせて肥満する傾向がある。

【用語解説】
(1)インストール
 プログラムをハードディスク上などに置き、いつでも使えるようにすること
(2)アップグレード
 プログラムの版を、新しい版に置き換えること
(3)システムリソース
 コンピュータシステムが使う資源
(4)デスクトップ
 机の上に見立てたコンピュータ上の作業場所
(1996-07-12:掲示、1998-5-1:削除、2006-6-1:一部加筆修正・再掲示)