素歩人徒然 同時通訳 ジャバ語は、ゆっくりと
素歩人徒然
(1)

同時通訳


── ジャバ語は、ゆっくりと

 男ありて、シィ語によう似たジャバ語なる言葉を考案し、もって世界共通の言葉にしようと目論んだ、と(注1)。彼、その翻訳機(インタプリタ)なるものを作るにおよび、これをもちうればどの国の民も世界中の誰とでも自由に意志の疎通がはかれるようになると主張した、と。結構なことではないか。
【注1】ここでいうシィ語には、シィ語から派生したシィプラプラ語も含んでいる。なお、老婆心ながら付け加えておくと、この最後の「‥‥、と。」のところは、3音階程度上げるような気持ちで読むのが正しい読み方なんだ、と(そうそう、その調子)。

 これまでにも、似たような話しがあったと記憶する。たしか、パスカル語とかエスペラント語とかいうたと思う。その後の消息は聞こえてこんから、おそらく成功はせなんだのであろう。しかし、今度のは少し違うんだ、と。それぞれの国の民は自分の土俵で、しかも自分の言葉でしゃべっていて構わないのだ、と。なぜ、そんなことが可能になるのか問うと、インタプリタが常時控えていて“同時通訳”してくれるからだ、と。結構なことではないか。

 しかし、同時通訳だからいささか制限がつくんだ、と。どんな制限かというと、話者はお互いにゆ〜っくりとしゃべらにゃいかんのだ、と。そりゃマ、しょうがあるまいよ、なにしろ同時通訳してくれるんじゃからのう。聞く方も、ゆ〜っくりと気長に対応せねばなるまいよ。とはいえ、もうシィ語で書かれた文書のやっかいな翻訳作業などしなくて済むんだから、結構なことではないか。

 早速に試した人がいた、と。「Hello」,「Hi!」,「Bye」,「See You」などと簡単な単語をしゃべると見事に翻訳してくれた、と。簡単な絵や動画を見せおうて、お互いの意志の疎通がはかれたような気分になった、と。それを見た人々は感嘆し、われもわれもと殺到して使いたがった、と。そして自分にもできることを発見し歓喜した、と。これからは、どこの国の民も、駅前ノバにかよってシィ会話など学ばなくてもよくなる訳だ。結構なことではないか。

 も少し長い文章で試した人がいた、と。しかし彼は「I 〜〜 am 〜〜 a 〜〜 boy 〜〜 .」という具合に、普通より20倍(注2)くらいの長さでゆ〜っくりと、ゆ〜っくりとしゃべらにゃならんかった、と。だども、こうしてゆるゆるとしゃべれば世界中の民が等しく理解できるのだと思やぁ、それはそれで良いことではないかのう。これこそ「最大多数の最大幸福」ということならん。結構なことではないか。
【注2】この値については目下流動的である。

 さて、大国 Wintel の民は本来シィ語をしゃべっていたので、ジャバ語の使用に当たってはさしたる困難を感じなかった、と。ほう、うらやましいことじゃのう。もっとも、Wintel 国の民同士が会話するときも、同じようにゆ〜っくりと、ゆ〜っくりとしゃべらにゃならんと知ってからは、いささか疑問を感じない訳にはいかんかった、と。そら、しょうがあるまいよ。同時通訳を通して話すのがルールなんじゃからのう。なにしろ、すべては「最大多数の最大幸福」のためなんじゃ。

 ここに心配症の男(注3)ありて、この同時通訳の噂を聞きおよび、例によって素朴な疑問を持った、と。
【注3】気の毒なことに、この男不眠症であるという。
 世間の人が電話で、
  「やぁ、元気?」            「元気!」
  「そう! じゃ、またね〜」       「バ〜ィ!」
などと愚にもつかぬ会話を同時通訳で交わしているのを見て思った、と。そんな会話ができたとて、通常の込み入った仕事上の会話ができるとは限らんじゃろうが、と。

 簡単な単語や短い文章(アプレット。つまり小型アプリ)の翻訳なら、遅くても何の問題もなかろうが、もっとまともな長い文章(大型アプリ)の翻訳はうまくできるんじゃろうか。ちょっとした小道具ならいざ知らず、まともな大道具を使おうとすると遅くて使いものにならんのじゃなかろうか、と。世間の人は、そのうち速くなるじゃろうと楽観しているらしいが。心配じゃ、心配じゃ、と。

 ジャバ語の発案者は、こういった不満の声にいささか不安を感じたのか、新たな提案を行った、と。“ジャバチップ”とかいう名の特製ポテトチップで、小さい頃から子どもを育てていけば、同時通訳なしでジャバ語がジャ〜バジャバ話せるようになる、だから心配はいらぬ、と。結構なことではないか。

 でも、Wintel 国の民は納得しなかった、と。俺達だけは今まで通りお互いにスピーディーな会話を楽しみたい、ペラペラと流暢にしゃべり合いたいと主張した、と。ジャパチップを食べずに育った世代の者達も、すぐそれに同意した、と。俺達のことを忘れてもらっては困る、と。そうじゃ、そうじゃ、その通りじゃ。少数派の Unixxx 連合という多民族国家群に属する民や小国 Macos の民のために、今自分が不自由をすることにどれだけの意味があるんじゃ、何もなかろうに、と。

 心配症の男、生来シィ語の会話を苦手としていたが、いままで Wintel 国へ行ったときも決して同時通訳なんぞ使ったことがないと自慢にしておった、と。そういえば、昔バシク語(Basic)などという方言が流行ったことがあり、同時通訳で使ってみたことがあったがまるで仕事にはならんかった、と。そんな時代に逆戻りする気はさらさらない、と。下手は下手なりにシィ語の直接会話で通してきたのだから、これからもその積もりだ、と。遊びならともかく、大道具(大型アプリ)を扱う仕事にジャバ語の同時通訳など聞いて呆れるわい。「笑止千万とはこのことじゃ」とひとりごちた、と。

 “年老いて新技術を信じられない”この心配症の男は、また考えた、と。 Wintel 国の君主は、そのうちジャバ語に似たジェイ語なるものを作り出し、大道具の仕事でも同時通訳なしでなめらかに使えるようにするじゃろう、と。いまのジャバ語は、どちらかというと、インター納豆の出現でこれから切り開かれるであろう新たな分野(注4)の仕事で使われる小道具(小型アプリ(注5))を作る手段と見るべきであって、従来の大道具の仕事の分野を置き換えるものと考えるべきではないのでは、と。

【注4】(解説者の注)「インター納豆の出現‥‥」以下の部分は、はなはだ難解な文章であるが、おそらく高速道路網のどこかに「納豆」という名のインターチェンジが新設されたということではないかと思う。多分、そのインター周辺で商売を始めるとしたら、どうしたらよいかという話ではないかと推測する。いや、そうに違いない。電子出版、娯楽、販売・広告、金融サービス、教育などの分野での利用が考えられているという。

【注5】たとえば、アナリストの作成した企業レポートをダウンロードして読むと、その企業の株価や財務状況を示した図が動的に変化して表示されるとか、そこに表計算方式になった財務表があり、読む者が勝手に将来予測したりできる、とかの使い方である。
 ワープロ、表計算、などの大掛かりな機能を実現するために、直接使われることはないのでは。

 心配症の男は、またまた考えた、と。世間の人がジャバ語にとりつかれ、同時通訳で、従来の分野の大道具で扱う仕事に応用したいと期待している間に、自分はシィプラプラ語による直接会話で、大道具による仕事を効率よく仕上げてやろう、と。

 そう心に決めると不眠症の男はすっかり安心し、ゆ〜〜っくりと、ゆ〜〜っくりと眠りに落ちていった、と。■