素歩人徒然 つぶやきの病理 つぶやくより明確に主張しよう
素歩人徒然
(104)

つぶやきの病理


── つぶやくより明確に“主張”しよう

 政治家による舌禍事件は昔からよくあったが、最近はSNS(social networking service)を通じてのものが多くなってきている。ツイッターやフェイスブック上で、議員、官僚、組織の幹部、あるいは一部有名人による筆禍事件が頻繁に起こっている。特に、インターネット選挙が現実のものとなってからは、政治家がらみのものが増えてきてTVのニュース番組では話題の中心になったりしている。

 ツイッター上で何気なく“つぶやいた”一言が、第三者を傷つけて物議をかもす原因となってしまう。思うに、書いた本人は単に“独り言”をつぶやいた程度の感覚なのであろう。それが予想外に広範囲で読まれてしまい、あれよあれよと言う間に大問題となってしまう。言論の自由(*)があるからと、インターネット上で無責任な発言を繰り返す匿名の投稿者と根は同じ感覚なのではあるまいか。

【注】(*)誰であっても、自分の発言にはそれなりの良識と責任が求められる。特に公的な高い立場にある人は何でも構わず発言できるというものではない。有名人ではない一般の人でも、不用意な発言がもとで“炎上”という名の懲罰を受けることがある。世の中には、匿名なら(自分の日頃の行為はすべて棚上げし)他人の失態に対し いくらでも残酷な懲罰を下せる“正義の人”が沢山いるのである。

 ツイッター(Twitter)が日本でも使えるようになったとき、私もやってみようかと考えた事があったが、結局は手を出さなかった。日本では Twitter は“つぶやく”と訳されていて、私は最初の頃はうまい訳だなぁと感心していたのである。しかし独り言のようなものをインターネット上に公開する意味がどこにあるのか、私にはよく理解できなかった。
 今から思うと、Twitter を“つぶやく”と訳したのが、そもそもの間違いだったのではないか。Twitter とは“つぶやく”ことではなく、小鳥の鳴き声のように短く、気軽に“さえずる”ことである。ここは「短い文章でメッセージを発信する」ツールと捉えるべきであろう。

 ツイッターの投稿者は、自分のつぶやきが他人に読まれることを先刻承知している。決して独り言だと思っている訳ではない。むしろ、多くの人に読まれることを期待しているのである。自分の考えをウェッブ上に公開し、周囲の人々の共感を得たいと思っている。
 なかには、自らつぶやくことによってそれとなく自分の「意見らしきもの」を披歴し、反応を見ようとしている人もいる。つまり、つぶやきという形で ふと漏らした一言 が誰かに支持されることを期待しているのである。要するに自分の考えたことに自信が持てないのである。周囲の共感が得られないと不安でならないのだ。KYという略語がよく使われるように、常に周辺の空気に合わせていたいのであろう。こういう人は、他人がどう思おうと自分が正しいと思ったことは断固主張するという気概や勇気が足りないのではないかと思う(もちろん、投稿者のすべてがそうだという意味ではない)。

 筆禍事件が起こるもう一つの原因として、インターネット上で情報発信する際に注意しなければならない基本的な知識、スキルを身に付けていないという問題がある。
 多くの人は、ツイッターやフェイスブックを操作する方法さえ身に付ければ、誰でもウェッブ上で情報発信ができると早合点してしまう。偉い議員さんともなれば、そういう環境を周りの関係者が構築してくれて、ただメッセージ入力をしているだけの人もいるであろう。あるいは、入力自体も人任せにしている剛の者もいるかもしれない。

 ウェブ上で情報発信するためには色々なことを学ばねばならない。自分の考えをいかに表現するか、いかにしてそれを人に正しく伝えるか、情報リテラシー(情報社会における“読み書き算盤”)の最も基本的なところである。Face to face で話し合うのとは違って、文章を使って相手に自分の真意正しく伝えるのは、実は大変に難しい作業なのである。インターネットの世界では、このことを十分に理解せず、ただ一方的に書きなぐっているだけの人が少なくない。問題が起こってから「真意が伝わっていない」などと言い訳をしても遅いのである。それならなぜ、最初から真意が伝わるように情報発信しなかったのか? と問いたい。

 政治家の演説や議会での論争を聞いていると、情報発信の基本的ルールに則っていないと思う発言形態が多いことに気づく。自分の考えを相手に伝え、かつ説得しようと努力しているようには見えない。ただ相手の言葉尻を捉えて非難、攻撃することに主眼が置かれているように見える。攻撃は最大の防御ということであろうか。
 相手を攻撃するのが巧みだから「自分は演説がうまいのだ」と思い込んでいる節がある。あのやり方では、企業で求められるプレゼンテーション能力にはまるで役立たない。ツイッターやフェイスブック上でのやりとりで馬脚を現すのは当然の結末と言えよう。

 情報リテラシーでは、次のような技術を磨くことの重要性を教えている。

 (1) 深く考える
  その場の思いつきではなく事前により深く考えておく
 (2) 表現する
  それを文章で順序立てて表現する
 (3) 伝える
  こちらの真意を相手に間違いなく伝える
 (4) 正しい言葉づかい
  相手に不快な思いをさせないよう正しい言葉づかいで

 これらは、いずれも異なる技術である。それぞれのスキルを身に付けていないと、ウェッブ上での円滑な情報交換ができないことになる。ましてや、つぶやき程度の発言ではどうにもならない。つぶやきというのはその人の思いのほんの一部が、ぽろっと表に出てきただけのものであるから、上記(1)から(4)までのどれも考慮されていない。
 現在起こっているウェッブ上の筆禍事件は、いずれもこれらスキルのいずれかを欠いた発言から端を発していると言えるであろう。

 特に、最も拙劣で最も広く使われている表現として、以下のものがある。

 「死ね、死ね、死ね!」

 これは相手の発言を(いじめ目的で)封殺するために用いられることが多い。こういう手法を使う人は、言葉で相手を説得する能力がない。最初から説得する意欲もないのだ。文章力が皆無であることを自ら証明しているようなものである。絶対に真似をしてはならない。

 誰でもが犯しがちな表現として、以下のものがある。これも相手の発言を封じようとする点では同類である。

 「そういう発言はすべきでない」
 「語る資格がない」
  …

 某国の某首相は、自分に向けた一民間人の発言を捉えて「外交を語る資格がない」と断じていた。恥ずかしい発言である。教育上からも、その地位にふさわしくない表現というべきであろう。

 これから情報リテラシーを身に付けようとする人は、是非ともこれらの点に気を付けて、“つぶやく”のではなく 明確に、説得力ある“主張”ができるようになってほしいものである。