素歩人徒然 ウェアラブル端末 歩きスマホ 自転車スマホ 授業中スマホ ながらスマホ 
素歩人徒然
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ウェアラブル端末


── 歩きスマホ から ウェアラブル端末の時代へ

 歩きながらスマートフォンを使うことを「歩きスマホ」と呼ぶようになって間もないのに、もうこの言葉が国語辞典等に取り上げられているという。驚きである。これは 歩きスマホ という行為が世間に及ぼす影響の大きさを示すものでもあろう。歩きながらケータイを使うのに比べて、スマホの場合ははるかに危険な行為であることが分かってきたからである。

 「走りスマホ」と言うのもある。これは、マラソンや駅伝の選手が走りながらスマホを活用して自分の予想ラップタイムを確認したり、コーチからの指示をメールで受け取ったりするのに利用する行為(そんな訳ないだろ)… ではなく、自転車で走りながらスマホを利用することを言う。まあ「自転車スマホ」と呼ぶ方が分かりやすいかもしれない。

 私は先日、この自転車スマホをしている人にたまたま遭遇してしまった。それはそれは見事にスマホを使いこなしているように見えた。両腕を肘のところで曲げて自転車のハンドルの上に置き、肘から下の腕の部分だけでハンドル操作をする。そして空いている両手でスマホを持ち、指先で画面操作をしながら時々前方に視線を走らせる(実は、このとき私としっかりと視線が合ってしまったのだ)。このようにして、ゆっくりと自転車を走らせていたのである(決して真似をしてはいけません)。

 「授業中スマホ」と言うのもある。授業中、講義も聞かずに机の下あるいは机上に置いたスマホの画面を指先でつついている姿をよく見かけるようになった。もちろん私は授業中スマホを禁止しているのだが、そんな注意は聞こうともしない。注意した直後はさすがに止めた振りをするが、しばらくするとまたスマホの世界に没入してしまっている。困ったものである。
 「久しぶりにスマホに90分間触らないでいました」という感想を寄せた学生もいた。他の授業の先生は、まったく注意をしていないらしい。

 企業人から大学教師に転じた当座、私は授業中の私語(おしゃべり)に悩まされたものだが、ある年を境にして授業中の私語がまったくなくなった。後から気が付いたのだが、それはケータイが流行りだした頃であった。私語するより一人でケータイで遊んでいる方がはるかに楽しかったのであろう。このように、携帯端末の存在が授業の進行に及ぼす影響は年々大きくなってきている。そして今年は、スマホの存在(とその性能)が授業に影響を及ぼし始めた年として後々まで記憶されることになるのではないかと思う。授業中スマホを禁止しても、もはや守られなくなった年として。

 更に、スマホの充電能力が貧弱なので授業中に充電しようとするけしからん輩が増えてきたことも特記しておきたい。私は「情報倫理」の授業中に、教室の後ろの方まで歩いていった折に教室の隅にある電源コンセントに2台のスマホが接続され充電中であるのを発見した。こういう行為を「盗電」と呼ぶことを事前に教えていたのだが、それを全く聞いていなかったらしい。授業のついでに充電しているのではなく、充電のついでに講義を聞いているという感じなのである。

 家で十分に充電しておいても、大学へ行くまでの電車の中で使い、授業中にも使い、休憩時間にも使い…していると、その日の午後にはもう電池切れになってしまうのだという。したがって常に学生達は電源コンセントを求めて歩き回っている。いつでも充電、どこでも充電… というわけだ。フル充電されるまでの間は講義でも聞いていようか…、という具合なのであろう。

 食事中のスマホ、授乳中のスマホ、デート中のスマホ、… 。
 恋人同士が手をつないで歩きながら、それぞれの空いている方の手にスマホを持ち、それぞれがスマホを指で巧みに操っている。これが普通の風景となる日も近いのではないか。いよいよ「ながらスマホ」の時代になったということであろう。

 以前、ウェアラブルコンピュータという言葉が流行った時期があった。ながらスマホの時代になって再びこの言葉が登場し、今やウェアラブル端末の眼鏡として現実のものとなりつつある。
 グーグルグラスと呼ばれるものは、眼鏡の一部にスマホやPCの画面が表示されるようになっているという。眼鏡上の画面でメールを読んだり、ゲームに熱中しながら公道を歩きまわられたら、多分歩きスマホなどより一層怖いことになるのではないか。

 歩きスマホの時代には、手元を見ながら(通行人と視線を合わせることなく)近づいて来る人がいたら、これは歩きスマホをやっている人だと判断し身をかわすこともできる。しかしウェアラブル端末の場合は、なまじ視線が合っている(と、こちらには見える)から、その人がそのまま突然こちらにぶつかってきたらさぞかし怖いことになるであろう。アメリカンフットボールの選手のように、ヘルメットや肩当て等のプロテクターを身に着けて、常に防御できる体勢で外出しないと怪我をする事態になるかもしれない。恐ろしいことである。

 それよりも私にとっての心配の種は、授業中に学生がウェアラブル端末の眼鏡を使っていたら、教える側はどう対応すべきかという点である。そろそろ真剣に考えておかねばならぬ時代になったのである。