素歩人徒然 原稿 自分の言葉で話す
素歩人徒然
(12)

原稿


── 自分の言葉で話す

 NHKの放送現場を見学する機会を持った。

 事の発端は、NHK技術局からの講演依頼がきっかけだった。私は、講演などという畏れ多いことはやらないことにしている。したがって今までは、そういう依頼が来ても丁重にお断りすることを建前としてきた(注1)
【注1】‥‥などともったいぶって言ってはいるが、要するにシャイで出不精なのである。
 しかし今回は東芝本社を通じての依頼だったので引き受ける気になった。NHKといえば東芝にとっては最重要顧客の一つであるから、もしかすると東芝のためになるかもしれぬと考えたのだ(注2)
【注2】‥‥などと恩着せがましく言ってはいるが、この機会にNHKを見学できればという下心があったことを白状せねばならない。
 当日は、東芝本社の方と一緒にNHKを訪問した。講演の方も万事うまく終了し、その後でいよいよ放送現場を見学させてもらうことになった(もちろん、あらかじめお願いしておいたのである)。それにしても、技術局の幹部の方々が先導して私一人のために案内してくれるのであるから、これはかなり贅沢な見学だったといえるであろう(注3)
【注3】‥‥などと自慢たらしく言ってはいるが、実は同道してくれた東芝本社の方2名、この機会に一緒に見学したいという東芝の新人(?)2名を入れての総勢5名による見学だった。

 最初にラジオの第一放送のスタジオへ案内された。丁度大阪で大相撲が行われているときだったので放送は大阪からの中継になっていた。そのためか東京の現場の関係者は、暇そうでゆったりとした様子に見えた(実際にはいろいろあるのであろうが)。隣りのブースでは、何か日本芸能に関する対談の録音作業が進行中である。対談者の一人が大きく手を振って合図すると、話の途中で舞台の声の録音を入れるといった具合で、ブース外の関係者も原稿に目を走らせながら真剣な表情で作業を進めている。録音に影響はないとはいえ、大きな声を出すのは憚られるような緊張した雰囲気であった。

 その次に、国際放送の各国向けアナウンサー室がずらっと並んでいる場所を見たり、衛星放送の行われている場所を見学したりした。テレビの総合放送の方も大相撲の中継になっており、そこら中どこへ行っても備え付けのテレビは相撲の画面ばかりになっていた。相撲も国際的になってきていて、ブースの中で外人アナウンサーがテレビ画面を見ながら盛んに実況放送をしている。案内してくれる方々には普段の見慣れた光景なのであろうが、私にはどれを見てもわくわくする程楽しいことばかりであった。

 朝の連続テレビ小説「あぐり」のスタジオを覗くと、今しも田中美里を真ん中にして他の見学者達が嬉々として記念写真の撮影をしている真っ最中であった。私も‥‥と一瞬思ったが、そこはそれ、余りにミーハー的に見られるのもいやなので、私はやせ我慢をしてまるで関心がないかのように装った。スタジオの裏手では、星由利子が演技の準備をしていた。何か照明の明るさをチェックしているのだという話だったが、その内に突然本番の撮影が始まってしまった。そばに置いてあるモニターテレビの画面にその様子が映し出されており、関係者全員が緊張している様がひしひしと感じられ、何となくそのスタジオを出るに出られなくなってしまった。「コメディーお江戸でござる」の撮影現場では、普段テレビには映らないけれど客席が昔風の立派な造りになっているのに驚いた。それにしてもテレビ局というところは、何時来ても実に楽しいところである。

 その昔、新入社員だった頃、某民間テレビ局へ上司のお供で行ったときのことがふと思い出された。確か、納入した当社製コンピュータの調整のためだったと思う。待ち時間の間に、上司に断ってテレビ局の中を少し見学して歩いたのだが、これが実に楽しかった。普段ブラウン管を通して見ていたテレビ場面が、実際に見ると実に狭苦しい場所であることを知ったときの驚き。狭い場所を広く奥行き深く見せるのも撮影技術の内なのであろう。何となく見物している内に、突然本番が始まったりして、楽しくて思わす知らず時間を過ごしてしまい、あわてて戻ったときには時既に遅く上司にこっぴどく叱られたものであった。

 大河ドラマのスタジオは見学者が一番喜ぶところらしいのだが、残念ながら改装中ということで見学はかなわなかった。

 そして、最後に101スタジオを見学した。夜の“7時のニュース”や9時から始まる“NHKニュース9”が放送されるところである。まだ時間が早いせいか人影はまばらである。こうして見ると、さすがにNHKのスタジオは広い。テレビ画面を見ていて普段感じていた広さそのままである。画面では見えない手前の方には、その2倍の広さの空間が広がっている。カメラのファインダーを覗いてみると、ニュースの画面で普段見慣れている地球儀を模したオブジェがバックに見える。意外にも、ファインダーの画面はモノクロ表示であった。カラーにするとピントが甘くなり、ピント合わせがやりにくくなるのだそうである。

 そのとき唐突に、私は藤澤キャスターが普段座っているあの場所に自分も座ってみたくなった。案内者に一言断ってから、私は長いテーブルの向こう側に回ってその椅子に座ってみた。なるほど、こうなっているのか‥‥。私は普段茶の間からテレビ画面を通してキャスターの位置を見ながら、あの位置からこちらを見るとどう見えるのだろうとかねがね考えていたのである(断っておくが、無論茶の間が見えるなどと思っていた訳ではない)。物理的に何が見えるかということではなく、どんな精神状態でしゃべれる環境なのかを知りたかったのである。実際に座ってみると意外にも、目の前には殺風景な空間が広がっているだけであった。足元は所狭しとケーブル類が這っている空間である。本番のときには大勢の関係者が立つのであろう。そこに向かってキャスターは一人でしゃべるのである。

 ふと、テーブルの左端を見るとニュース原稿らしきものが置き忘れられている。手に取ってみるとワープロ文字による縦書き原稿であった。字は太くて大きなゴチック体である。これをプロンプタを使って読むのだそうである。案内者に教えられ見上げると、私の真上には小型カメラが吊るされていてキャスターの手元の原稿を撮影できるようになっている。それがキャスターを撮影する正面のカメラの丁度レンズの位置に映し出されるのだ。レンズの位置に小型テレビ並みの大きさの画面があり、そこに反射投影される仕組みになっている(その向こう側に本物のレンズがあるのであろう)。したがって、キャスターは手元の原稿に目を落とすことなく、カメラに視線を向けたまま(視聴者の視線をとらえたまま)自然に原稿を読むことができるようになっている。

 このプロンプタの仕組みは前々から知ってはいたが、これほど直接的に体験するのは初めての経験であった。実際に手元で原稿をめくってみると、実にはっきりと字が読みとれる。なるほど、我々もこんなものを普段使えたら、講演などで人前でしゃべるのも楽な仕事になるに違いない。案内者の説明では、原稿は最初はワープロ化されていても、手直しが入るので結局は手書きになってしまうのだという。プロンプタがあっても、アナウンサーは手書きの読みにくい文字を読まなければならないのだ。突然のニュース原稿が入った場合でも、平然と対応しなければならない。プロンプタが使えるとは言っても、やはり大変な仕事なのであろう。

 原稿を読むといえば、ニュース画面などで政治家が官僚の用意した原稿を棒読みしている姿をよく目にすることがある。国民に自らの政治信念を述べるときくらいは、原稿なしで自分の言葉でしゃべってほしいものである。

 若い技術者が社内で技術発表などをするとき、私は彼らに原稿など見ないで自分の言葉でしゃべるようにと常日頃から言っている。しかしこれがなかなか難しいものなのだ。大勢の人の前での発表というプレッシャーに負けて、どうしてもアンチョコ(原稿)を用意してそれを読んでしまいがちである。

 私は結婚式の仲人を頼まれたとき、披露宴での挨拶は原稿なしでやることをこれまで自分に課してきた。原稿を見ながら祝辞を述べるのでは(たとえそれが自分の書いたものであったとしても)、結婚するご両人に対して甚だ失礼だと思うからである。それに、原稿なしで自分の言葉でしゃべる方が、結局は聞く人への話の伝わり方も迫力も違うと思うのだ。もちろん、原稿なしでしゃべるのは、かなりリスキーではある。途中で話す内容を忘れてしまい、頭の中が真っ白になってしまうかもしれない。そういう恐れ・プレッシャーと闘いながらも、間違ってもいい訥々とした話し振りでもいいからとにかく自分の言葉で話そう、とそう自分の心に言い聞かせながら話す。結局、その方がはるかに心がこもったスピーチができると思うのである。

 テレビのニュース報道のような失敗の許されないものとは違い、我々の技術発表ではしゃべる内容は普段自分が担当している専門分野のことばかりである。しかもあらかじめ話す内容は決まっているのだから、突然入ったニュース原稿を読むのとは事情が違う。それくらいのことが原稿なしでできなければおかしいと私は思うのである。
 原稿を見ながらのしゃべりでは、たとえどんなに内容のある良い話をしても、決して聞く人の心の琴線に触れることはなかろう。どんなに訥々としたしゃべりであっても、話し手が自分の言葉でしゃべる限り、それは必ずや聞く人の心を動かすに違いない。

 その日、帰宅するとテレビでは9時のニュースをやっていた。心なしか、いつもよりキャスターの視線の向きが気になって仕方がない夜であった。■