素歩人徒然 きんたらんと欲す 大らかな世界
素歩人徒然
(18)

「きんたらんと欲す」


── 大らかな世界

 拙著「プログラマ、石をみがく」(1998-5-10:中央公論社刊)の中で“長い名前”についてふれた。人名の中で一番長い名前は、多分ピカソのものであろうと書いたのである。そして注として、カタカナ表記で
「パブロ・ディエゴ・ホセ・ツランチェスコ・ド・ポール・ジャン・ネボム・チェーノ・クリスバン・クリスピアノ・ド・ラ・ンチシュ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ」
と記しておいた。

 しかしこの名前の信憑性について、私はいささか自信が持てなかった。と言うのは、その出典が新聞で見た広告欄の記述をメモしておいたものがもとになっていたからである。編集者と行う校正の段階では、もっと別のことに注意が向けられていたのでそれ以上踏み込んだ調査をする余裕もなかった。しかしこうして本ができ上がってしまうと、もう少し調査をすべきだったという思いが次第に募ってきたのである。

 そこで、出版社に勤める長女に頼んで各種の百科事典で調べてもらったところ、色々な名前が出てきた(注1)。一方、スペインの美術史に詳しい次女が言うには、このカタカナ表記はカタルーニャ語(スペインのカタルーニャ地方の方言)の発音になっているとか。そうなのか、これはどうやらカタカナ表記はあきらめて英字による本物のつづりを調べてみる必要がありそうである。
【注1】一例をあげれば、『ピカソ 天才とその世紀』(マリ・ロール・ベルナダック/ポール・デュ・フーシェ著 高階秀爾監修(株)創元社)には、ピカソの本名は「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パオロ・フアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティッシマ・トリニダッド」となっている。

 こういったことを調べるには、そうだインターネットだ! インターネットという道具があるではないか。これを利用しない手はない。しかし私はWeb上をナビゲートして時間をつぶすような趣味は持ち合わせていないし慣れてもいない。その道の専門家に聞いてみよう。ピカソの作品ばかりを扱っている美術館などに問い合わせるのが一番手っ取り早い解決法であろう。そう思った私は、すぐさま「ピカソ画房」(http://www.picasso.co.jp/)に問い合わせてみた。

 そしてこの種の情報が得られる場所として、米国マサチューセッツ州にある大学(Wellesley Collage)など二ヶ所のサイトを教えてもらうことができた。やはり人間同士の情報交換の方が、私の性には合っているようである。

 その結果分かったことは、ピカソには実は二種類の名前が存在するということであった。

A:「Pablo Diego Jose Francisco de Paula Juan Nepomuceno Maria de los Remedios Cipriano Santisima Trinidad Ruiz y Picasso」

B:「Pablo Diego Rivera Jose Francisco de Paula Juan Nepomuceno Maria de los Remedios Cipriano de la Santisima Trinidad Ruiz Picasso」

 更に面白いことに、A氏の方は1881年10月25日生まれであるのに対し、B氏は1881年11月25日生まれとなっている。どうやら、ピカソ氏は二人いたものとみえる。沢山のすぐれた作品を残し、しかもそれ以外の分野でもあのように精力的に活動した芸術家を、私は他に例を知らない。あれは二人の人物による成果だったのであろうか(注2)
【注2】あの高名な芸術家ピカソが二人いたという珍説をとなえた者は、今まで誰もいないであろう。しかし将来そういう説が出てきたとしたら、それを最初に言い出したのは、他でもない私めであることをここで明記しておきたい。

 同じ本の中で、私は日本における長い名前の例として落語の「寿限無」をとりあげた(これは実在の人物ではないが)。原稿段階で私が用意した寿限無‥‥は以下のとおりであった。

“寿限無寿限無五劫の摺り切れ海砂利水魚の水行末雲末風来末食う寝る所に住む所ヤブラコウジのブラコウジパイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助”(106文字)

 これに対し、編集者が独自に確認してくれたものが初版に記載されている以下のものである。

“寿限無寿限無五劫のすり切れ海砂利水魚の水行末雲末風来末食う寝る所に住む所ヤブラ小路ブラ小路パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命長久命の長助”(106文字)

 どちらが正しいのかは分からない。編集者の方は「読者から質問がくれば私が責任を持って対応します」と絶対の自信をもっている。一方私の方は、昔プログラマの性として、こういった細かいことを人任せにして放置しておくことができない性分なのである。そこで私は、またもや娘の助けを借りて各種の書物から出典を漁ってみた。しかし本によって記述はまちまちで、どうにも収拾がつかなくなってしまったのである。

 そこで私は、またまた決心したのであった。こういうことはインターネットだ! インターネットを利用することにしよう。しかし私はWeb上をナビゲートして時間をつぶすような趣味は持ち合わせていないし慣れてもいない(分かったよ)。その道の専門家に聞いてみよう。落語の専門家とはつまり落語家のことである。落語家に実際に聞いてみればたちどころに正解が得られるであろう。そう思った私は、早速三遊亭円丈師匠(注3)にメールで問い合わせてみた。するとうれしいことに懇切丁寧なメールによる回答をいただけたのである。
【注3】なぜ三遊亭円丈師匠にしたかというと、“落語家”というキーワードで検索したところ、個人ホームページを持つ落語家として最初に目にとまったからである。円丈師匠がパソコンを活用しているということは、何かで読んで知っていた。なら、あいだに人を介さず直接のやりとりができるであろうと思ったのだ。あいだに人が入ると、こういった細かい文字の確認はできなくなるからである。
 それによると、落語というものは口移しで伝える芸であるから、意外とどう表記するかはいい加減というか無頓着なところがあるのだそうである。「たらちめ」(注4)という古典落語があるが、その中で「‥‥キンたらんと欲す!」というセリフがあったので「きんたらんと欲す」とはどういう意味ですかと、教わった円生に聞いたところ「知らない!」といわれたとか。
【注4】「たらちね」の間違いではないかと思う。ただし、たらちめ(垂乳女)という言葉は存在する。
 もし単なる入力ミスなら、この文面から円丈師匠はローマ字入力派であると断定してまず間違いはなかろう。キー入力法に詳しくない人(このページの読者にそんな人はまずいないであろうが)のために念のため記しておくと、「ね」と「め」のキーは離れているけれど「M」と「N」のキーは隣り合っているからである。

 他のどの先輩に聞いても誰も知らないという。つまり誰も知らない言葉が堂々と演じられているのである。途中で一部間違って覚えてしまうと、以後そのまま伝えられたりして元が何だったのかは分からなくなってしまうらしい。

 それから「狛犬」という落語をやっていて気づいたことなのだが、江戸時代の人間は自分の名前を今のように正確に表記・発音していなかったらしい。そのときどきによって“太郎”になったり“太呂”になつたりと、かなりいい加減な部分があったのだそうである。

 したがって“寿限無”も正確な表記というものは、音として正しければそれでよいのではないか、ということであった。私の原稿段階のものは正確であるとのこと。ただ、「やぶらこうじにぶらこうじ」の部分を漢字にするかどうかだと思います、とある。

 なに?「やぶらこうじにぶらこうじ」だと? なるほど。円丈師匠は「やぶらこうじの‥‥」ではなく「やぶらこうじに‥‥」と伝えられたものとみえる。

 日ごろから、1文字間違っただけでも致命的な事態を引き起こしシステム全体が動かなくなるような厳しい分野の仕事に携わっている者にとっては、何とも大らかというかいい加減というか、うらやましくなるような世界である。我々もこのくらい大らかにやっていけたら、さぞかし長生きできることであろう。

 したがって「“たらちめ”とは“たらちね”のことではありませんか?」などと円丈師匠に聞き返すのは、折角の文意を理解しない礼を失した行為というべきである。ここは何も言わずに、円丈師匠はローマ字入力派なのだ(なんと奥床しい表現であることか!)とするのが礼儀というものであろう。

 しかし、我々の世界でも似たようなことが行われているのではないだろうか。プログラムのソースレベルでの互換性が実現されて以来、間違ったアルゴリズムのプログラムがそのまま無批判に移植され、長年に渡って使われていることが多いのではないか。コンピュータの世界では、「きんたらんと欲す」の意味を問われたら「知らん!」と言っていてはいけないと思うのである。■