素歩人徒然 プレゼンテーション 説得力のある発表とは
素歩人徒然
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プレゼンテーション


── 説得力のある発表とは

 複数の人に向かって何かを説明したり紹介したりする行為を一般に“プレゼンテーション”という(*1)。プレゼンテーションには、講演に類するものから客先への製品説明、技術者による学会発表や社内での技術発表、小集団活動での成果発表など様々のものがある。
【注1】何でも4文字言葉に置き換えてしまう昨今では、これを単に“プレゼン”と称する人がいるようであるが、何もここまで短くする必要はなかろう。断っておくが、私はこういう表現は使わないことにしている。短くしたいのなら単に“発表”と言えばよいではないか。
 こういったプレゼンテーションの際に使われる表示のための道具として、つい最近まではオーバーヘッドプロジェクタ(OHP)が広く使われてきた。しかしパソコン上で簡単に扱えるプレゼンテーションソフトとしてパワーポイントと称するソフトウェア(マイクロソフト社製:以下PPTと略記)が普及して以来、高性能の投影機器(プロジェクタ)の出現とあいまって急速にプレゼンテーションの手法が変わってきた。今やOHPを使っていたのでは、技術的に“遅れている”とみなされるようになってしまったのである(*2)
【注2】しかし最も進んだプレゼンテーションの方法は、インターネットを利用することだという。講演先に出かけるときは何も資料を持たずに行き、講演会場からインターネットを通じてプレゼンテーションのための資料にアクセスするのが、最もスマートでナウい方法なのだそうである。しかし、実際にやってみると分かるが(“分かるが”などと書いているが、私は実際にやったことはありませんよ、私は)日本の現在の通信事情では、アクセスやダウンロードに時間が掛かり過ぎ、結局は聴衆を待たせることになり実用にはならないそうである。

 以前、日本サンソフトの幹部が弊社を訪れたことがあった。その幹部とは旧知の間柄だったので久しぶりに話が弾んだが、いざ技術的な打ち合わせに入ると彼は自分の鞄の中から説明用の資料としてOHPシートを取り出したのである。しかし、たまたまその場にOHPの投影装置が用意されていなかったので、結局その資料は使われずに終ってしまった。そのとき、ふと私は(失礼にも)思ったのである。はて? まだOHPを使っているとは、サンソフトはずいぶんと遅れているなあと。

 しかし数ヶ月後、返礼として私の方が日本サンマイクロシステムズ本社を訪れたとき、この疑問は氷解した。彼はポータブルのOHPプロジェクタを片手にぶら下げて応接室に現れ、こう言ったのである。「うちの会長はパワーポイントが嫌いでねぇ」

 “会長”というのは、もちろんアメリカ本社のスコット・マクニーリー(*3)会長のことである。マイクロソフトの会長ビル・ゲイツとは犬猿の仲であるスコット・マクニーリーとしては、ビル・ゲイツの作ったものなど使えるか!ということなのであろう。聞くところによるとサンマイクロシステムズ社内では、PPTは絶対使わないことになっているのだそうである。いつまでこの頑張りが続けられるものか、その後の成り行きに私は大いに感心を持っている。
【注3】マクネリーと発音する人もいる。どちらが正しいのか?

 このように大勢となってしまったPPTではあるが、批判する人も結構多い。元東大教授のW氏はPPTのことをホッテントット語だと言っているそうである。私にはこの発言の真意がよく分からないのだが、これはホッテントット族に対する差別的な発言になるのではないかといささか危惧しているところである。
 一方サンマイクロシステムズ社と同じように、PPT禁止令を出している会社は結構多いらしい。私は何もそこまでやらなくてもよいのでは、と思うのであるが。今更OHPの時代でもあるまい。

 たとえば、東芝のY氏は日頃からPPTの情報密度と互換性の無さを問題にされている。その情報量に比して、PPTで作られたデータファイルの量が途方もなく大きいことの無駄を指摘しているのである。一方互換性については、たとえば新しいバージョンのPPTで作られたファイルが、古いバージョンのPPTでは読めないことがある(もちろん、特別な対応をすれば読めるようになるのだが、ここで指摘されているのはそんな程度の問題ではない)。

 一般的に言えば、たしかにY氏の指摘の通りであろう。PPTの利用者なら、大抵の人は多かれ少なかれ上記のような問題を一度は経験しているはずだ。したがって、PPTなど絶対に使わずOHPのみを用いるという方針は、それはそれで立派な見識というものであろう。

 しか〜し。私はここで一言異論をとなえたいのである。
 情報量の無駄を言うなら、一太郎やWordなどの日本語ワープロの方がもっとひどいのではないか。必要なのは単にテキスト情報だけなのに、ワープロを使うと結果として膨大なファイル量のデータに変わってしまったりする。互換性だって実にいいかげんなもので、図などの情報はバージョンが違うと大幅に描き直さねばならなくなる。私は普段はワープロなど使わず、シェアウェアの秀丸エディタを使っている。機能は豊富だし、何よりも軽くて軽快に動作するのがよい。Wordなど使う気も起こらない。Wordを使うのは、Wordで作ったファイルをメールで送り付けてくる人がいるからである。そういうときだけは、マクロウィルスに感染するかもしれないと恐れながら、こわごわWordを呼び出して使っているような状態である。したがって(何が“したがって”なのか、いささか曖昧ではあるが)PPTの情報密度を問題にする人は、ワープロソフトの情報密度に関しても(声高らかに?)問題にしなければいけないと私は主張したいのである。

 私はむしろ、ここで問題にすべきはPPTの使い方の方ではないかと思う。使い方が下手だから、結果としてPPTが悪評ふんぷんとしたものになってしまったのではあるまいか。これは「自動車は危険だから使わない」と言っているのとたいして違いはないように思えて仕方がないのである。むしろ、事故を起こさない正しい運転マナー(作法)を身に付けさせる方向へ持っていくべきであろう。

 たとえば、PPTの使い方の悪い例をいくつか上げてみよう(まだまだ他にもあろうが)。

(1)PPTの画面を必要以上に大量に用意する
 大きなPPTファイルを呼び出すには、ものすごく時間が掛かるのは周知のとおりである(あらかじめ呼び出しておいてアイコン化しておく等の対応が必要である)。一般的に言っても、PPTはOHPに比べて立ち上げに時間を要するものであるから、そこへもってきて大きなファイルを使えばどういう結果になるかは自明であろう。暗い会議室の中で、出席者全員がスクリーンに映る砂時計(*4)をじっと凝視している様は、まさに異様といってもよいくらいの光景である。待ち時間×出席者の人数 を計算してみるがよい。大変な無駄をしていることが実感できるであろう。やはり、適度な画面数にまとめる努力の方も怠ってはなるまい。
【注4】ファイル呼出しなどの“Wait”状態を示すカーソルのアイコン表示。
(2)動画などを用いた派手な画面を用いる
 PPTの多彩な機能の利用におぼれてしまっている人がいる。派手な画面(そういったものは例外なく動的なものであることが多い)ではあるが、どうも内容的に感心しないものばかりだ。動的で派手な画面の作成に凝りだすと、いくらやっても満足することがなく際限がなくなってしまうことはよく指摘されるところである。PPTのことをよく知らないか、あるいはPPT初心者なら、その表示に(一時的には)感心してくれるかもしれないが‥‥。
 動的な画面として許されるのは、話の展開に合わせて一行ずつ画面に文字を表示していく機能を使う程度のことであろう。

 こういった派手な画面を用いた発表では、大抵発表内容が貧弱なものであることが多い。内容のない点を画面の派手さで補っていると思われても致し方なかろう。やはり、PPTの画面の方が主役であってはならない。あくまでも自分のしゃべりが主であって、PPTはそれを補助するものであるという発表の原点に立ちかえるべきであろう。

(3)背景色や文字の配色に凝る
 F氏の見解では、画面の背景色に凝るのは無駄なことであるという。そう主張してF氏自身は常に背景色なしにしているそうである。これも一つの立派な見識であろう。

 しか〜し。私はここで一言異論をとなえたいのである。
 背景色に凝るのは確かに無駄なことではあるが、背景色なしというのはいただけない。暗い会場の中で、背景色なしの明るい画面では視覚的にいってもコントラストが強すぎて見る人の目を疲れさせる。暗い背景色に黄色か緑色の明るい色で文字を表示するのが一番無難で、かつ目にやさしいのではないかと私は思っている。最近はプロジェクタの性能がよくなってきて、明るい会場でも十分に画面の文字を読めるようになってきた。したがって、なおさら背景は無色であってはならない。やはり、背景色にも細かい配慮は必要であろう(凝る必要はないが)。

 一方、文字の色をいろいろと変えて表示している人をよく見かけるが、配色が悪いと折角の画面が見えにくくなってしまうことが多い。色の選択というのは非常に難しいもので、へたをすると発表者の色に対するセンスを問われかねないことになる。特に色については、コンピュータの画面上での見え方と、プロジェクタでスクリーンに投影されたときの見え方とは著しく異なることを知るべきであろう。さらに、色覚に障害のある人への配慮を欠く画面にならぬよう、色の選択に当たっては十二分な配慮が必要である。どう配慮したらよいのか分らない人は、あまり色の選択で冒険をすべきではない。

 以上のような点に配慮すれば、PPTはそれなりに有効に活用できると私は信じている。特に私がPPTは便利だと実感したのは、研修会で用いたときであった。企業でよく行う、旅館や研修所などに缶詰になって泊り込みでやる研修会では、あるテーマをグループに分かれて徹夜で議論し、翌朝結果をまとめて代表者が発表したりする。そのとき、今まではOHPシートを作るための設備が会場になかったので、大きなケント紙などに油性ペンで書きなぐったものを掲げて発表するのが通例であった。しかしPPTが出現してからは、パソコンさえあれば簡単に発表資料を作れるようになった。しかも修正が簡単で整理された形で表示できるので、議論の結果をまとめるのが容易になり、しかも聞く人にとっても理解し易くなるという利点がある。実際に使ってみて、こいつはなかなかいいものだと私は実感したのであった。

 PPTは、あくまでも発表のための二次的な道具であり、派手な画面を見せるのが目的のものであってはならない。発表の主力は、あくまでも口頭による直接的な語り掛けによるべきであって、発表者は常に聴衆の方(顔)を見ながら語り掛けることを主とすべきである。パソコンの操作画面を覗き込みながら、うつむき加減でボソボソしゃべるといった発表スタイルは決してとるべきではない。それでは余りに迫力に欠け、結果としてPPTの画面も生かされないであろう。自分の言葉で直接語り掛ける以上に、説得力のある発表方法はないと私は思うのである。■