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素歩人徒然
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プーチンの戦争とパルナスの職業倫理


── 集団の中での倫理観はどうあるべきか

 プーチンの引き起こした戦争で ウクライナの地に送り込まれたロシア軍の兵士達のことを考えていて、私は 企業人であった頃先輩から教えられた“パルナスの職業倫理(*1),(*2)”というのを思い出した。
【注】(*1)Parnas 教授の講演 1994 IFIP Congress' 94
【注】(*2)給与生活者としての企業の技術者の職業倫理 米田栄一
    (電子化知的財産・社会基盤 3-15, 1999-1-30)
 パルナスの職業倫理によれば、職業人の守るべき倫理綱領の一つに「雇主が技術的に不可能なこと、技術的に間違ったことを強要してきたときは、断固それを拒否しなければならない」というのがある。

 そのとき先輩から教えられたのは、パルナスの言葉の“職業人”を“プロの技術者”に置き換えれば我々コンピュータ技術者に対しても同じようなことが言えるのではないか、というものであった。後に情報倫理の重要性が叫ばれるようになるずっと以前のことである。

 こういう話を通じて私たちコンピュータ技術者は個人レベルで倫理観を磨くことの重要性を教えられてきたのである。

 しかし、今ここで問題にしたいのは“個人レベルの倫理観”ではない。国家をも含めた何らかの集団の一員となったとき、そこで求められる行動についての判断基準となり得る“職業倫理”はどうあるべきかが問われる時代になったような気がする。

 倫理観というのは大人になると急に身に付く類いのものではない。子供のころから少しずつ経験を積み重ねて身に付けていくものであろう。しかし大人になり何らかの集団の一員になると、そこで求められる倫理観は個人レベルの倫理観だけでは対処できない別種のものとなる。ここでは“集団の中での倫理”について考えることにしよう。

 戦時中に上官の命令に従った日本兵の行動を例に挙げるまでもなく、今でも同じような出来事は日々起こっている。世の中を騒がせた新興宗教の団体が引き起こしたテロ事件、あるいは政治家や官僚が引き起こす組織的な不正行為などを照らし合わせて考えるとき、我々は集団の中にいるとそれまでの(個人レベルの)倫理観では対処できないような場面に遭遇することが多い。そのようなとき集団の中で一人の人間としてどのように行動したらよいか、倫理面から考え直す覚悟が必要であると思う。

 例えば、仕事に慣れてくると仕事の流れの中でセキュリティの穴を見つけて自分だけ不正に利益を得ようと考える人が出てくる。しかし、この程度なら個人レベルの倫理観で十分対処できるだろう。一方、上司の命令だと(不正と知りつつも)断りきれずに実行してしまうかもしれない。断れば自分が冷や飯を食うことになるかもしれない。あるいは左遷されるかもしれないと恐れ、いろいろと対応に迷っているうちに普段なら考えもしない結論を選択してしまう可能性がある。

 人間はある集団に属すると自分の倫理観の“ほころび”に気が付くことがある。本人は確固とした倫理観を持っている積りでも、いざとなると簡単に集団の意思に従わざるを得なくなるから不思議である。心の中では反対であっても声に出せないで沈黙してしまうことになる。そして、最初から立派な倫理観など持っていた訳でもないのに自分の倫理観がほころびて劣化してしまったと錯覚する。しかしこれは倫理観の劣化ではないのだ。初めての経験で、どう対応したらよいか分からないだけのことである。

 集団の中で地位が上がっていくと自ずと部下を持つようになる。すると腹心の部下を引き連れて集団で劣化していく人もいる。倫理観の欠如した上司の元で仕事をしなければならない人はどうしようもない。これを避けるためには常に高い倫理観を持ち続ける努力が必要になる。個人的な倫理観から出発して、集団の中で働き続けたければしっかりとした倫理観(職業倫理)を身に付ける必要がある。それができなければ集団を抜けるしか方法はない。
 いい加減な倫理観の持ち主が たまたま集団のトップになってしまったら、それこそ取り返しのつかない損失を集団に与えてしまうことになる。

 職業倫理を正しく行使する上で、民主主義を標榜する日本では命に関わるような決断を迫られることは滅多にないと思うが、専制主義の国では日本よりはるかに厳しい環境にある。自分の倫理観を押し通すのは命がけでないとできない世界である。プーチンのロシア軍兵士達にも倫理観というものがあるのだろうか。平時のときはともかくとして、戦争中は職業倫理などという概念は存在しないのかもしれない。恐ろしいことである。

 私は大学で情報倫理の授業を担当していた頃、このパルナスの職業倫理を授業で取り上げて学生たちに紹介したことがあった。当時の学生たちが考える倫理とは、ほとんどの場合「マナー」とか「礼儀作法」に関するものばかりであった。彼らが社会人になったとき直面するであろう問題に、早めに触れておく必要があると考えたのである。

 しかし当時は、私も職業倫理が実は“命がけの”テーマになり得るということを(不覚にも)予想してはいなかったのである。

 やはり、戦争は絶対に避けなければいけない!(2022-3-11 : ロシア軍がウクライナの首都 (キエフ) キーウを包囲している日)