素歩人徒然 白内障の手術と斜視 結膜下出血 眼の疲労 眼精疲労 眼内レンズ
素歩人徒然
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白内障の手術と斜視


── 長年の疑問が解けました

 最近、白内障の治療過程で自分の眼が斜視(*1)であることを知った。普通は左右の眼は同じところを見ているが、見ている積りでも左右の視線がずれてしまうのを「斜視」という。わずかな視線のずれは誰にでもあるらしいから、今まで私が眼のことでいろいろと悩まされてきた原因が実は斜視にあるのかもしれないと思うようになった。ご同輩の方々の参考になるかもしれないと思い、ことの顛末を記しておこうと思う。
【注】(*1)斜視とは、左右の眼の視線が違う場所に向いている状態を言う。ずれの方向によって、内斜視、外斜視、上下斜視、回旋性斜視などがある。
▼白内障の手術
 数か月前のことになるが、私は白内障の手術を受けた。手術の結果は良好だったのだが、慣れないせいかなかなか以前の状態に戻らない。もちろん手術をして良くなった面はいろいろある。不思議な体験もしている(それについては後述する)。逆に相変わらず悩まされている面も残っているので、最初にその点に触れることにしよう。

 特に左眼の調子がなかなか以前の状態に戻らない。それに何か違和感もあるのだ。その内に慣れるだろうと思っていたのだが一向によくならない。文字を読んでいるとすぐ疲れてしまうのも気になる。齢もとしだし、ある程度の不具合が生ずるのは覚悟していたのだが、それにしても想定外のことがいろいろと起こるものである。

 最初は、新聞の文字を読んでいると何故かすぐ眠くなってしまうのだった。しかしこれは、どうやら眠気に襲われたのではなく乱視で文字が読み難くて眼が疲れてしまうのが原因ではないかと思うようになった。そうか、それで字がかすんでしまい読み続けられなくなったのかもしれない。しかし白内障の手術では眼の水晶体を人工的なレンズに置き換えるのだから、その人工レンズが疲れ目になる筈はないとも考えた。
 そこで、術後検診の際に医師に相談すると、眼内レンズでもある程度の乱視対策はされているが乱視が強いようだから乱視用のメガネを作ったらどうかと言われた。疲れ目はドライアイのせいではないかと言う。

▼昔から斜視だった?
 そこで、術後の検査(月一回)を2回受けた後、ある程度安定してきたと判断し乱視用のメガネを作ることにした。以前から利用しているメガネ屋へ行って視力検査を受けると、何と、私は“斜視”であると告げられたのである。今までこのメガネ屋で何度もメガネを作ってもらっていたのだが、先代のマスターの代からの検査記録が残っていて、そこにも斜視の記録が残っているというではないか。驚いた。

 20年以上前のそのときのことを私は鮮明に覚えている。私の眼を検査してくれたマスターが驚きの声をあげたからである。一連の検査が終わったところで、私はその驚きの理由を聞いてみたのだが要領を得なかった。マスターは説明してくれたのだが、難しい眼の仕組みを説明するので結局私にはよく理解できなかったのだ。彼は“斜視”という言葉は使わなかった。ただ左右の眼のバランスが悪いということだけは理解できたのだった。

 マスターが斜視と言う病名を使わなかったのは、今から思うと医師ではないメガネ屋の立場を意識して具体的な病名まで言うのを避けたのではないかと思う。それを判断するのは医者の役目だからである。しかしマスターが作ってくくれたメガネでは、しっかりとその対応をしてくれていたことを後で知ることになる。

 このメガネ屋で作ったメガネを掛けると 私は不思議と何か安心した気持ちなれるのであった。以前作ってもらった古いメガネを取り出して実際に掛けてみても、度数こそ合わなくなっているが、視野が安定していてバランスがとれていることがすぐに分かる。その当時から私は、“近視”と“遠視”と“乱視”とが複雑に混ざり合った厄介な眼をしていたので、そういうのを“ガチャ目”と呼ぶのだろうと思っていた。左右の視力に大きな差があるとき「バランスが取れていない」という表現はまさにガチャ目の自分にピッタリの表現だと思ったのだが、斜視であるとは夢にも思っていなかった。

 斜視と言えば、小学校時代の同じクラスに斜視の学友がいた。黒目の位置が左右でずれているので外見ですぐそれと分かる状態だった。その友人は手術を受けて直ったから、私は斜視とは外見ですぐ分かり子供の頃に直る病気であると理解していた。

 しかし私のような高齢者になって初めて分かるというのはどういうことなのだろう。外見では分からない軽度の斜視だったのかもしれない。私は今まで病院の眼科で視力検査を受けたことは何度もあるが、左右の眼それぞれの視力を別々に測定するだけで、両目ならどの程度見えるかという検査は受けたことがない。したがって斜視かどうかの検査は一度も受けた記憶がないのである。

 最近は、デザインの良いメガネを廉価で買える時代である。そういう店が街中には沢山あるので私も何度か利用したことがある。しかし何故か、そういうところで作ったメガネは私の眼には合わないのであった。どうして合わないのかは分からない。1ヵ月と経たない内にそのメガネは使わなくなってしまうことが多かった。そんな訳で少し高いが、いつも同じ店で作ってもらう習慣になってしまった。今から考えると、斜視への対応をしてくれたかどうかの差だったのである。

▼疲れ目の原因は?
 一週間後、できあがったメガネを掛けて私は店を出た。出来上がりには満足していた。しかし使っていると、やはり疲れ目を感じることがある。物を見るという行為は、眼内レンズだけで見ているのではなく角膜全体を使って情報収集されているのであろう。やはり疲れ目とは無縁ではいられないようである。

 私がメガネを使うようになったのは比較的遅くて60代になってからである。会社までの往復に車を利用していた時期もあったが、まだメガネなしで運転をしていた。行きは1時間と少しで済むが帰りは道が混むので2時間以上掛かる。そうすると必ず左眼が疲れてしまうのであった。何故そうなるのかは分からない。左眼ばかりが酷使されていたのであろう。メガネを掛けるようになってからも遠くを見ている時間が長いとくたびれてしまう。買い物に行って数メートル先の商品をずっと眺めているだけて疲れてしまうのであった。こういうのを眼精疲労と言うのだろうか。

 近くのものを見続けていても特別疲労は感じない。しかしコンピュータ端末を使うのが仕事になるとドライアイとか眼精疲労を経験するようになった。特にコンピュータの画面を見続けていて眼が疲れるのは当たり前のことになっていった。こうなるとメガネの度が進むのは早くなる。何度もメガネを作り替えなければならなくなった。

 そして私は“結膜下出血”を何度も経験するようになってしまった(1年に数回)。それも常に左眼の白目の部分に出血が起こり真っ赤なウサギ眼になってしまうのである。症状によっては念のためと思って近所の眼科医院で診てもらう(数年に1回)が、いつも医師からは「原因は分からない」,「自然に直る」,「心配することはない」と言われるのが常であった。しかし私には、これまでの経験から疲れ目が原因だということは分かっていた。しかし何故いつも左眼だけが出血するのか、その理由の方は相変わらず分からないままであった。
 しかしこれからは確信をもって、斜視による偏った使い方が原因の疲れ目によるものだと断言できるだろう(少なくとも私の場合は)。

▼中学時代の眼に戻った?
 白内障の手術を受けた後では、想定外の良いこともあった。
 左眼を最初に手術し眼帯が取れた時、私は周りの風景が美しいのに驚いた。色が鮮やかなのだ。派手な色ではなく透き通るような色で、丁度「水彩画のような透き通った色」と表現したくなる程である。部屋の中の壁の色も思っていたより白い。その時まだ手術をしていなかった右眼で見ると、薄汚れた壁に見えてしまうのである。

 同時にその2種類の色を左右交互に見比べていると、中学生時代の思い出はこんな色の風景だったような気がしてくるのであった。残念ながらこの“見比べ”ができたのは2日間限りだったが。

 私は、毎朝起床直後に朝日を浴びることにしているが、同時に庭の景色を眺めていることが多い。その景色が、手術後は朝日に照らされて薄い紫色のもやが掛かっているように見えるのである(その理由は分からないが)。あぁ美しいなぁと思って今でも毎朝眺めている。

 私の記憶では、高等学校の頃の思い出は、風の強い日の高校のグラウンドで土煙りが舞っているときの印象が残っているためか、どうしてもくすんだ土色になってしまう。そのためか、私は手術後に中学時代の眼に戻ったような気分になってしまうのである。

 一方、新聞や書物の文字はメガネなしでも読めるようになった、しかし驚くほど色が薄く見えるのである。それが不思議でならなかった。それまでは新聞や書物の文字は黒インクで印刷された読み易いフォントであったが、手術後はフォントの字体も極細になってしまい、色は濃い目の灰色に見えるようになってしまった。明るい場所でなら読めるが薄暗い場所だと読み難い。パソコン画面の文字も同様である。これには心底参っている。もうあのクッキリとした美しい活字は見ることができないのである。
 身の回りの風景が水彩画のように“透き通った色に見える”と書いたが、これも同じで眼内レンズの影響と思われる(詳しくは眼内レンズの仕組みで説明します)。

▼眼内レンズが見えた?
 眼内レンズにもいろいろな種類があるが、私が利用したのは多焦点眼内レンズ(遠近の2焦点レンズ)である。

 先に、左眼に違和感があると書いたが、具体的にはときどき目がゴロゴロして異物が入ったときのように感じることがあった。眼内レンズが外れてポロリと落ちてしまうのではないかとさえ思ったことがある。
 光の加減によっては、まぶたの下の方からレンズの上端が(チラッと)白く見えることがある。そんなバカなことが! と言われそうなので誰にも話さなかったが。

 そんなことが何度もあったので、術後検診のとき恐るおそる医師に話してみた。すると、それはハレーションを起こしそう見えることがあります、とのことであった。そうか、やはり見えるんだ。あれは間違いなくレンズの上端で光が反射したものだったのである。

 多焦点眼内レンズの仕組みは、遠近の2焦点なら2か所(遠中近の3焦点なら3か所)に焦点が合うようにした焦点位置の異なる点(センサー)が細かく敷き詰められた帯状のものを作る。その帯が、丸く渦を巻いた形でレンズ部分に張り付けてあると考えると分かり易い。つまり“近焦点”を使って見ているときは“遠焦点”は使われない。したがって全体の分解能は同じでも“近”だけ、あるい“遠”だけで考えれば、分解能は1/2(あるいは3焦点なら1/3)になる筈である。同時に入射光の量も減るので色が薄く見えることになる。

 眼内レンズ全体をはっきりと目撃したこともある。某Hazukiルーペを使って新聞を読んでいたときである。読むのに疲れてソファーの背に頭を乗せてしばらく眼を閉じていた。ふと眼を開くと、ずり落ちそうになっているルーペのレンズ部分に丸い眼内レンズ全体が映っていたのである。全体が金色に輝いていて実に美しい。同心円(*2)の焦点帯がすべてハッキリと見えている。その美しさに見惚れてしまい身動きすると消えてしまうのではないかと恐れ、私は身体を動かすことができなかった。
【注】(*2)焦点帯が渦を巻いていると教えてくれたのはメガネ屋の主人である。別の機会に聞いてみると渦状のものと同心円状のものと、いろいろな種類があるのだそうである。
 ルーペの外から入射した光が、私の角膜を通過して眼内レンズで反射し、再びルーペに達してルーペの内側で像を結ぶ。その反射光が再び結膜を通過して、更に眼内レンズを(今度は)通過して網膜上で像を結んだのである。これを捉えることができたのは奇跡だと思う。

 私はもう一度見てみたかったが、何故か再現する試みを実行に移す気が起こらなかった。多分、再現はできないだろう。何度やっても再現は無理であろう、と思ったのだ。その内に、あれは夢だったのではないか、と自分で疑いだすかもしれない。それが怖かったのかもしれない。

 後に、焦点帯の同心円が幾つあるか数えておくべきだったと思った。5〜6個の同心円が見えたと思うが、正確に数えていればこの話の信憑性はそれだけ高くなったのに、‥‥と悔やんでいる。