スポーツ仲間 初めて仲間ができました
素歩人徒然
(209)

スポーツ仲間


── 初めて仲間ができました

 最近、面白い経験をした。多摩川のサイクリングロード(*1)を歩いていて親しく話の出来る仲間を見つけたのである。

▼私の好きなコース
 私は天気が良ければ毎日でも運動をしたくなる性格で、最近は専らウオーキングをすることを日課としている。私が好きなウオーキングのコースは、景色が良くて太陽が輝いてさえいれば良い。したがって大抵は明るい時間帯に運動をすることにしている。特に夏の太陽がじりじりと照り付ける環境下で汗を流しながら運動する(*2)のが一番生きがいを感じる瞬間である。最近の医学知識では紫外線の害や熱中症の危険性が指摘されているが、そういう知見がなかった頃からの習慣であるから容易にはやめられないでいる。
【注】(*1)正式名称は「多摩川ふれあいロード」と言う。

【注】(*2)春の桜の季節に撮った写真ですが、太陽の光に溢れる雰囲気は感じ取れると思います。左手の桜並木が切れるあたりからは東京の街並みが見えるようになります。


 いつ頃からこのコースで運動をし始めたのか正確には覚えていない。多分50年くらいは続けていると思う。最初の頃はジョギングとサイクリングが主だったが、齢を取るにつれてジョギングとウオーキングへと変わっていった。最近は専らウオーキングである。脚力が落ち、同じ距離でも時間が掛かるようになった。今や女性にも追い越される有様である。そろそろ引退を考えなければならない時期となっている。

 家から多摩川の堤に出るのに25分程掛かる。つまり堤までの往復だけで50分を要することになる。堤のサイクリングロードを歩いて日頃のストレスを発散するのが目的だから堤の上を歩く時間をできるだけ長く確保したいのだが、歩く時間は良くて30分程しか取れない。齢を取るにつけ、この貴重な30分という時間がどんどん短くなっていくような気がしている。残念なことである。

▼顔見知りになる
 多摩川のサイクリングロード上を歩いていると、いろいろな人と行き交うことになる。初めて会う人が圧倒的に多いが、以前会ったことのある人、あるいはしばしば出会い顔見知りになっている人といろいろである。ジョギングやサイクリングで走りながら行き違うだけでは顔見知りになる可能性は少ないが、ウオーキングの場合は(特に私のようにゆっくりとした歩行では)顔見知りが増えていく。しかしそういう人と話をすることはない。

 以前、堤を歩いていたら高齢の女性に呼び止められ選挙の投票依頼をされたことがあった。たまたまその時選挙が行われていた時期だったのである。しかしそのとき依頼された候補者の名前を見ると私の選挙区ではなかったので丁重にお断りした。宗教関係の政党だったので、女性は団体の幹部から投票依頼をするよう指示されていたのであろう。

 十数年前の経験だが、何時も熱心にジョギングをしている女性がいた。私の折り返し点と同じ場所で何時も折り返していたので一度気軽に挨拶したら完全に無視されてしまったことがある。なるほど、こんな年寄りから声を掛けられたら警戒するのは当たり前だなと気が付いた。登山中に山道で出会った人と気軽に挨拶し合う習慣と同じように考えていたのが甘かった。ちょっとだけ声掛けをしただけだったのだが大いに反省させられる出来事であった。以来、運動中に他人に声掛けするのは堅く控えるようになった。

 しかし毎日出会っていると、声を交わさなくても自然に仲間意識らしきものが生まれてくるものである。そういう人たちの中に一人、年配の男性がいた。いつも熱心にジョギングをしている。ゆっくりと歩いているときもある。赤銅色に日焼けしていて紫外線など気にも留めないという様子である。痩せていてすらっとした姿勢の良いスポーツマンであった。哲学者のように難しい顔をして一人で黙々と毎日運動をしているようである。

 実は、以前から関心をもって見ていたのである。私より若いようだがほぼ同年配のようにも見える。会う度に、彼がどういう人物なのかと歩きながら考えるようになっていた。まだジョギングをしているのだから凄いなと思う。あの几帳面さから見て、きっと昔は技術者だったのではないかなどと勝手に推測したりしていた。

▼話しかけてみる
 一度、折り返し点で休んでいるところに出会ったことがあった。
 今日も折り返し点の大分手前で、ウオーキング中の私を追い越して走り去って行く姿を見た。いつも赤い半袖のスポーツシャツを着ているので背を見ただけで分かる。その瞬間、私はちょっと話しかけてみたくなったのである。

 しかし折り返し点でしか話しかけるチャンスはない。私が折り返し点に着く頃にはもういないかもしれない。この時はまだ本気で話しかける気にはなっていなかった。折り返し点が見えてくると、折り返し点で彼が休んでいるのが見えた。運動を終える前のクールダウンをしていたのである。まだ迷いながら私も折り返し点に到着した。

 私には折り返し点で行うルーチン・ワークがある。折り返し点に到着した時間と距離が正しく記録されていることを時計やスマホのアプリ上で確認する。次いで水分補給をする。その間に彼が立ち去る様子を見せたので、頃合いだと思い私は「失礼ですが、いつもお見かけしますね。毎日走っているのですか‥‥」と話しかけてみた。彼も気持ちよく話に乗ってくれたのだった。

 彼はもう30年くらいここで運動をしているとのことだった。昔はテニスをしていたのだが、引退後こうしてずっとジョギングをしていたので最近テニスをやる機会があったが結構身体が動いたと言う。体力を維持するにはジョギングが最適だったそうである。

 この折り返し点は、実は彼にとってはスタート地点にあたることが分かった。この地点のすぐ先に彼の家があるのだそうである。道理で、ここで何時も柔軟体操をしている姿を見かけたが、それは準備体操と終了時のクールダウンのストレッチをしていたのである。なるほど、そういうことだったのか。

 私はこういうとき自分のことは(年齢も含めて)余り話さないで相手の話を聞くことにしている。しかしこちらの話も少しはしないといけない思い、住んでいる場所を話して最近はウオーキングばかりなんですよという話をしたのであった。

 別れ際に彼は、突然私に向かって「何年生まれですか」と聞いてきた。突然の質問に私は西暦で答えるか元号表現にするかで一瞬迷っている内に、口の方が自然に動いて「14年です」という言葉が発せられていた。お互いに昭和生まれであるから、それが一番自然な答え方だったと後になってから自分で納得したのであった。

 それに対し彼は「あっ、ひと回り違いますね。私は26年なんですよ」と言ってくれた。なるほど“年齢”を尋ねるより“生年”を尋ねた方がはるかにスマートな質問の仕方になると、このとき初めて学んだのだった。そして、別れる時の私の言葉は自然と「いや、勉強になりました」となったのである。

 と言う訳で、スポーツ中に初めて「仲間ができる」という経験をしたのでした。無口な私としては珍しいことで、楽しい経験でした。