素歩人徒然 私の筆名 NUH& Knuhs 昔プログラマ 今も昔もプログラマ 
私の筆名
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【まだ未完成品です】私の筆名


── ニックネームについて
この齢になり、やりたいことが沢山あるということは幸せなことです。しかし当然のことながら未完成のままになるのは明らかですから、できるだけそういう状況にならぬよう未完の段階でもホームページ上に掲載することにしました。公開されたまま手直しを続ける積りです。みっともないかもしれませんが、それしか良い方法を思い付かないのです。
 首尾よく完成したものは、別枠で設けた欄に移して広く読んでいただこうと思うのです。(2023-9-3 記す)。

 ニックネーム(Nickname)とは、日本ではあだな(渾名)などと呼ばれていますが、これは他人が嫌がることを目的として使われる場合が多いですね。最近では、匿名で投稿や応募をしたい場合などに使われるもので“ラジオネーム”などのように自分で好きなものを作ることができるようになっています。メール文化の発展に伴ってアカウントの一部に使うようにもなっています。

・最初の筆名(NUH&)
 私が最初に作ったのは“筆名”の代わりになるものでした。私は昔から投稿するのが好きだったのですが、投稿では常に本名を使ってきました。しかし1970年頃、国の設けた情報処理技術者試験が始まった頃ですが、批判的な内容の投稿だったので、投稿自体は本名で行ったのですが、原稿の上では自分の判断で匿名を使うことにしました。そこで初めて私は匿名で使える筆名を持つことになったのです。

 当時はまだワープロもない時代でしたから、原稿は手書きでした。その原稿の最後に私は筆名を初めて使ったのです。


 しかし当時の掲載された本を書庫の中から見つけ出して確認してみたところ、自分の記憶力というのはいい加減なものですね、自分の作った筆名とは少し異なるものに変形されていたのを思い出しました。私は“ИUH&”と書いたのに出版社の編集者は少し変えていたのです。当時私はそれを見て少し落胆したのを思い出しました。出版社にはそれを案の通りに印刷できない事情があったのです。私は自分の名前のローマ字表現を裏返しにしたものを提案したのですが、当時は“N”を裏返しにする技術(鏡文字)がなかった(?)のです。


鏡文字の例

・Knuhs時代
 結局、この最初の筆名は一度使っただけで終りとなりました。
 その後、私は自分の姓の“kinoshita”の“K”を付けて“Knuhs”または“knuhs”を用いるようになりました。あの高名なドナルド・クヌース(Donald Ervin Knuth)先生のお名前をパクった訳ではありません。

 特にコンピュータの世界では、“ハンドルネーム”と呼ばれる英字表現の名前を使うことが多いので、私はそれに習い自分のホームページ上では“Knuhs”を用いるようになりました。インターネットの世界で使われるメールアドレスのアカウントとして、あるいはホームページの名称として“Knuhsの書斎”のように、そしてブログの名称として“(付録)゛:どっと混む・Knuhsの書斎”などとして活用してきました。


これまでの筆名の変化をgif
ファイルにしてまとめました
   
・昔プログラマ
 私のホームページが、特選ホームページに選ばれてご褒美に名刺を作ってもらえることになりました。もう会社は定年退職し大学の教師をしている時代でしたから、名刺など必要としない生活だったのですが記念のためと思って作ってもらうことにしました。何の肩書もない身なので名前のずっと下の方に“昔プログラマ”と書き入れて貰いました。当時は既に一人でプログラムを作っていましたから極々自然な命名であったと思います。

・今も昔もプログラマ
 大学教師の仕事も一区切りつき以後は自分の興味のあることは何でもプログラム化するようになりました。そこで何となく“今も昔もプログラマ”という筆名に変えることになりました。こう称していれば何時までもプログラム作りに没頭できると思ったのです。

 コンピュータ以外にも関心のあることはいろいろありますが、そういう場で使う積りは全くなかったのです。今までいろいろと投稿を重ねてきましたが、入選するようなことはありませんでした。毎回落選を重ねてきたことになります。そのとき使っていたニックネームも時代とともに変遷してきて、そのときは“今も昔もプログラマ”に変わっていました。

 数か月前のことですが、私の投稿がどういう偶然が働いたのか、某朝日新聞に採用され新聞に掲載されることになりました。新聞社より電話があったとき、いろいろ確認事項の打ち合わせが済んだ後で編集者が私のニックネームについて不審そうに質問がありました。“高齢のプログラマ”が不思議なのかと勘違いした私は、慌てて「ずっと昔から投稿をしていて‥‥ ずっと落選続きでしたから…」等と的外れな返答を繰り返してしまいました。

 翌日の朝刊が届くと早速私の作品を見ましたが、“縦書きのニックネーム”の方が何故か気になってしまいました。しかも、その真下(!)には“■無断転載を禁止します”のマークが大書されているじゃないですか。これには参りましたねぇ〜。これは滅多なことでは他人に話せないなと感じました。こうして“今も昔もプログラマ”という筆名が初めて公の場に出たのでした(ホームページ上では2015年頃から使っていましたが‥‥)。


 私の筆名が、プログラム作りの分野で使われるより先に他の分野で使われてしまったのです。喜ぶべきか、悲しむべきか分かりませんが、私もプログラム作りの分野で成果をあげなければなりません。作っているプログラムを早く完成させなければと焦っているところです。今までは、死ぬまでに完成させればいいや、と思っていたのですが、このままでは、死んだ後に家族から「何か作っていたようだけど‥‥」と関係資料はまとめて捨てられてしまいそうです。

 それでは情けないので、早く成果を出して読者の皆さんに内容を紹介できるようになりたい、と強く強く思いました。