素歩人徒然 アルコール 熟成させる法
素歩人徒然
(35)

アルコール


── 熟成させる法

 私は、どちらかというとアルコールが苦手である。つまり下戸なのだ。こう書くと「それは、飲む努力をしなかったからだ」と言われそうである。確かに酒というものは、努力をすればある程度は飲めるようになるものらしい。妻の実家の人達はみな酒が飲める。実家に行くと「酒くらい飲めなければ、‥‥」とよく言われたものである。しかし私はあえて飲めるようになりたいと思わなかった。幸いにして私の会社の同僚・友人たちは、飲めない者に酒を無理強いするようなことはしなかったから、私はサラリーマン生活を通して何とか下戸のままでも大過なく過ごしてきてしまった。飲み会などの場でにぎやかにやるのは、それはそれで楽しいものである。だからそういう席では失礼にならぬ程度に飲むことにはしてきた。しかしそれでも精々コップ12杯(*1)というところであろうか。私は酔うと直ぐ眠くなってしまうのである。
【注】(*1)「イチニハイ」と読んでほしい。「ジュウニハイ」ではない、念のため。

 酒宴でにぎやかにやるのは楽しいが、中には酔っ払うと人が変わったようになり絡んで来る人がいるから困る。アルコールが入らないと普段言いたいことも言えないという性格の人が多いのは、どうも困ったことだと私は思うのである。残業で夜遅くなって帰るときなど、電車の中で酔客の醜態を何度となく見せられてきた。その度に「酒飲みはいやだなぁ〜」とつくづくと思う。あぁはなりたくないものだ。したたかに飲んで座席で酔いつぶれていた酔客も、よく見ていると不思議なことに自分の降りる駅では何とか立ち上がろうとする。家族へのみやげなのであろう、右手にケーキの箱などをぶらさげてふらふらと降車口へと向かっていく。どうなることかと見ていると、案の定途中でスッテンコロリと派手に転び、手にしていたケーキの箱は無残にも押しつぶされてしまう。それでも、そのつぶれた箱(中のケーキが無残につぶれた様が見えるようだ)を後生大事に抱えて降りていく。その後ろ姿を見送りながら、私はその酔客よりも彼を迎えるであろう家族の方が気の毒で哀れに思えてくるのであった。やはり、あぁはなりたくないものだ。

 酒が飲めるかどうかは、生まれつきの体質によるところが大きい。生理学的にいうと体内のアルコールは分解されてアセトアルデヒドになる。このアセトアルデヒドが分解されないで体内に残ると、頭痛がしたり二日酔いになったりと身体に悪さをするのである。一方、アセトアルデヒドを簡単に分解できてしまう人は、酒には強いが今度は逆にアルコール依存症になりやすくなる。

 実はアルコールを代謝するADH2という酵素の型によって、アルコール依存症になる率が異なるという。体内アルコールは、主にADH2という酵素によってアセトアルデヒドに、さらにALDH2という酵素によって酢酸に変えられる。両酵素ともに1型と2型の二種類があり、ALDH2の2型は白色人種(コーカソイド)にはみられず、黄色人種(モンゴロイド)特有のものとされている。酵素の型は父母からひとつずつ受け継ぐが、ADH2が1型だけの人は一般には7%程度しかいないのに対し、アルコール依存症患者では31%を占める。2型だけの人は一般で57%いるが、アルコール依存症患者では35%にとどまるのだそうである。

 この酵素の型の組み合わせでアルコール依存症になる危険率をみると、「両酵素とも1型だけ」の人が平均の約8倍と最も高い。「ADH2は2型だけ、ALDH2は1型と2型の両方を持つ」人の危険率は平均の7分の1だという。日本人の1割弱を占めるALDH2が2型だけの人(私は多分これに当るのであろう)では、依存症になる人はいないという。ALDH2の2型はアセトアルデヒドを酸化できず、下戸の最大の原因なのである。なるほどなるほど。してみると私のように酒が飲めないのは、決して飲もうとする努力が足りなかったからではないのだ、‥‥やれやれ。

 ということで、私はアルコールにはさほど執着するところがない。関心があるとすれば、精々食前に飲むワインや果実酒くらいのものであろうか。そんな私でも、海外から帰国するときには、よく土産にウイスキーを購入してきたりした。皆が買っているから自分も買わねば‥‥と思ってしまうのである。不思議な心理である。

 以前、私はサントリーの白州蒸留所を見学したことがあった。そこでウイスキーが造られるまでの工程を初めて詳しく学んだのである。これは大変に興味深い体験であった。そのとき得た知識によれば、次のようになる。
 ウイスキーは二条大麦を侵麦・発芽させ、(1)麦芽製造、(2)仕込、(3)発酵、(4)蒸留、(5)貯蔵・熟成、という複雑な工程を経て、まずモルトウイスキーを造る。一方、トウモロコシと麦芽を粉砕・蒸留し、それを(1)酸化、(2)発酵、(3)蒸留、(4)樽詰貯蔵という工程をへてグレーンウイスキーを造る。このモルトウイスキーとグレーンウイスキーとを適当にブレンドして後熟という過程を経て造られたものが、いわゆる商品となるウイスキーなのである。もっと正確にいえば、モルトウイスキーの原酒だけを瓶詰めにしたものがピュアモルトウイスキーで、モルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドして瓶詰めにしたものが、ブレンデッドウイスキーと呼ばれるものなのである。

 このウイスキーの味は、水質とピート(泥炭)の薫煙(くんえん)をつけた麦芽、あるいはポットスチル(*2)による蒸留技術などによって様々に変わる。蒸留したてのウイスキーの香味は荒々しい。それがまろやかになり個性的な味を出す秘密は、貯蔵熟成工程にある。熟成されたうまいウイスキーを造るには、長い間ウイスキーを漏らすことなく貯蔵できる樽が必要なのである。時がウイスキー熟成の父なら、樽はウイスキーの母といわれている。ウイスキーのあの琥珀色、深い香り、円やかな味わいは、樽の中で長い年月貯蔵されてはじめて得られる成果なのである。
【注】(*2)銅製の単式蒸留器

 この樽を作るのも難しい。生きた樹木は毎日数十リットルの水を導管を通じて根から葉に運び蒸発させている。したがって木というものは、もともと水を通しやすい性質を持っている。この導管が樽材の表面に顔を出していれば、樽の中のウイスキーは漏れ出てしまう。樽材はこの導管を切らぬよう、樹齢80〜100年のホワイトオークから「柾目(まさめ)取り」と呼ばれるぜいたくな方法で切り出される。オークそのものには香りはほとんどないが、そこには繊維素のほかにリグニンやタンニンが含まれている。板材を湾曲させるため、樽造りでは熱処理が欠かせない。樽材の内面は生木の匂いを消すため焼いて焦がしたりもする。このときの熱が材木の構成物質を変化させ、板の表面にトースト状の層を形成する。そこにカルメラやバニリンといった物質が含まれていて、それらがウイスキーの熟成を更に進めるのだという。オーク樽は、硫黄や穀物臭などの好ましくない香りを吸収し、円熟したフルーティな味へと変化を促しブレンドされた芳香を引き出すことになる。

 貯蔵庫の樽の中でウイスキーはゆっくりと呼吸している。オークの木肌を通して揮発成分を蒸発させ、かわりに外気を吸っているのである。1年で2〜3%。10年で4分の1ものウイスキーが失われてしまう。これは熟成のための通行税のようなもので、ウイスキーの倉人たちはこの減り分を「天使の分け前」と呼んでいる。天使は25%もの上前をはねてしまうのだ。どうやら天使とは随分な酒飲みであるらしい。きっと彼らの体内のアルコール分解酵素の型には、かなりのかたよりがあるのであろう(大きな声では言えないが、もしかすると彼らはアルコール依存症なのかもしれませんぞ)。

 このように、良いウイスキーを造るには、良い樽、良い原酒、長い年月、そして自然の巧みにゆだねられ、熟成のピークまでじっくりと待つ必要がある。そして、‥‥そう、天使には忘れずに税金を支払う。これがコツのようである。なかなかに難しい。素人ではとても真似のできない作業工程が必要のようである。

 一方、ワインはどうか。ワインは果実を原料にした醸造酒である。果実には糖分があるので自然酵母がついている。したがって果汁を搾り、放っておくだけで発酵が自然に進むようになっている。ワイン工場では、ブドウをつぶす破砕機、発酵のための樽やタンク、そしてワインを搾る圧搾機くらいがあれば道具立ては十分であるという。そもそもワインがお酒なのかどうかも怪しい。ワインの産地であるフランスやスペインは清浄な河川に恵まれない乾燥地帯である。つまりワインとは、ブドウの木が地中からくみ上げた水分(そのままではとても飲めない)をいかに保存し飲み継ぐか。ワインはこの発想の延長に生まれた水代わりの飲み物なのである。我々素人でも、けっこう造ることはできる。食前の適量のワイン、自家製の果実酒、これは下戸の私でもなかなかのものであると思う。

 さて、このお話しの教訓は何か?
 コンピュータのソフトウェアは、急速な技術進歩に合わせるように最近は半年単位でバージョンアップされる時代である。ソフトウェア製品は今や生鮮食料品と同じく出荷時期を失すれば直ぐ陳腐化して腐ってしまう。ゆっくりと長い時間をかけて熟成されたソフトウェアなどどこを捜しても見当たらない。昔は、確か十分に使い込まれた(熟成した)素晴らしいソフトウェアが存在していたように思うのだが‥‥。

 しかし今でもフリーソフトウェアの分野では、長い時間をかけて熟成を待つソフトウェアがたくさん存在している。プログラム言語に特に関心のある私めは、これまでいろいろなプログラム言語とその処理系を使ってきた。そして最終的に、某MS社製品とは無縁のもので、Perlという言語に行き着いた。この言語の素晴らしさは、実際に体験していない人にいくら言葉で説明しても分かってはもらえまい。しかもこれが無料で手に入るのである。某MS社に毎度高い税金を支払う必要はないのだ。特定のサイト(http://www.ActiveState.com/)へアクセスすれば、最新のバージョンをいつでもダウンロードすることができる。多くの人が、開発中のバージョンを試用しているので、何か不都合が見つかればその情報は集められて直ちにシステムに反映される。システムは日々改善されているのである。

 このように、誰でもアクセスできる環境下に置いておくだけで自然と醸成されてよいソフトウェアに仕上がっていく。この仕組みは、まあ、言ってみれば特別な道具や技術を必要としない、誰でも造れるワインや果実酒を作るようなものであろうか。プログラミングに関心のある方は是非使ってみるとよい。頭の老化防止(*3)にこれ以上のものはないと私は思うのである。そういえば、ワインや果実酒も飲み続けると健康に良いというではないですか。■

【注】(*3)頭の体操になるPerlプログラムの例を以下に示す。このプログラムは正規表現を巧みに利用して、指定された数以下のすべての素数を表示するものである。解読するだけでも頭の老化防止に役立つであろう。

# primes.pl
use strict;
my $N = shift @ARGV;
print "$N以下のすべての素数は以下のとおり。\n";
for (my $number = 2; $number <= $N; $number++)
{
        my $string = '1' x $number;
        print "$number " if $string !~ m/^(11+)\1+$/;
}