素歩人徒然 脳 右派と左派
素歩人徒然
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── 右派と左派

◆カラス
 今年の夏は、我が家の庭で鳴くセミの数が心なしか少なかったような気がする。世間一般ではそのような傾向は報告されていないから、これは我が家だけの異変なのだろうか‥‥などと考えていて、私はハタと思い当たった。カラスである。毎朝カラスがやってきて、桜の木に群がるセミを餌にしているらしいのである。

 世間ではカラスによる被害が話題になっている。早朝、街角に出されたごみ箱を漁って人間が残した食物を餌にし、驚く程の数にまで繁殖しているのだという。私の家の近所では、ごみの収集場所に網をかけたり、ごみバケツの蓋がとれないようにしたりと、いろいろと対策をしているのでさすがのカラスの狼藉も少なくなってきている。その反動として餌に困ったカラス達はセミを食するようになったのであろう。

 毎朝ジョーキング(*1)していると、カラスの狼藉現場に出くわすことが多い。ごみの収集場所に白いポリ袋に入ったごみが出されていたりすると、目ざとくそれを見つけて引っ張り出し、突付いて袋を破って中身をぶちまけてしまう。毎朝そうやって群がっては食物を漁っているのである。カラスによる狼藉の跡は、ごみが散乱し惨澹たる有り様となっているから直ぐそれと分かる。狼藉行為の真っ最中に私が通りかかると、カラス達は少し離れたところに避難し様子をうかがっている。決して逃げようとはしない。人間が手に何かを持っていない限り決して危害を加えられることはないと高を括っているのだ。悔しいけれど実に頭が良い。栄養が良いせいか不気味なほど真っ黒でつやのある羽根をしている。ハシブトガラスというらしい。
【注】(*1)ジョーキング =(jog+walk)ing(私の造語)

 このハシブトガラスは実に頭が良い。ごみ袋の山に網をかけておいても、仲間のカラスがくちばしで網の端を持ち上げている間に他のカラスが袋を引っ張り出してしまう。共同作戦をとっているのだ。信じられない光景である。ごみをポリバケツに入れておいてもくちばしで突付いてひっくり返す。そのはずみで蓋が取れると、すかさず中身をぶちまける。こういったカラスの悪知恵にはほとほと手を焼かされる。カラスというのは我々が想像する以上に頭が良い鳥なのであろう。

 最近では人の声を真似るカラスもいるという。普通、人間の言葉の物まねができる鳥としては、九官鳥、オウム、セキセイインコ、モズなどが有名である。カラスが物まねをするという話は今まで聞いたことがなかったが、先日テレビで紹介されているのを見た。あの頭の良さからして本当なのかもしれない。

 カラスの脳の大きさは、普通の鳥の脳と比較して格段に大きいという。脳の大きさだけで頭の善し悪しが決まる訳ではなかろうが、カラスの脳が柔らかい脳であることだけは確かなようである。

 脳には「柔らかい脳」と「固い脳」とがある。鳥が物まねをできるということは、新しい音声を学習できる柔らかい脳を持っている証拠である。しかし普通の鳥は固い脳しか持っていない。たとえばニワトリは、ふ化したばかりのときに親鳥から引き離されてしまっても、成鳥になれば普通の鳴き声を発するようになる。つまりニワトリは、学習しなくても発声できるよう発声の仕組みが最初から作り込まれているのである。つまりワンパターンの固い脳なのだ。脳に可塑性がないといってもよい。それに対し九官鳥のように物まねができる鳥は、可塑性の豊かな柔らかい脳を持っている。脳が柔らかいから、環境の条件次第でびっくりするような才能を発揮することができる。

◆脳の働き
 人間の脳はもちろん柔らかい。この可塑性の豊かな脳をより一層活性化させるには、脳のそれぞれの部位の働きを知っていると参考になるのではなかろうか。
 一般に左脳は、分析的・合理的・論理的・順次的な方法で情報処理を行う機能を有するという。言い換えれば、データを収集・分析し、論理的な結論にたどり着くための合理的な思考プロセスをつかさどり、問題や状況を処理する働きを持っている。一方右脳は、相互の関係を認識し、情報を一つにまとめ上げ、直感的な洞察にたどり着く機能を有するという。言い換えれば、洞察力と認識に基づいて直感的にひらめいた解答を得ることによって、同じ問題や状況にアプローチする働きを持っている。

 もちろんこれは一般的な傾向を言ったものであって、大雑把にいうと左脳が分析のために情報を分割する(トップダウン的)傾向があるのに対し、右脳は情報を一つの全体像にまとめ上げる(ボトムアップ的)傾向があるということであろう。

 ゼネラルエレクトリック社のハーマン(Hermann)は、様々な職業の人々が左脳傾向と右脳傾向のいずれかに分類されることを示した。たとえば、会社の経営者は組織の編成・構成に集中し状況を管理するために、左脳支配の傾向がある。ソーシャルワーカーは自分の能力を感情と結び付けて状況に対する洞察力を得るために右脳支配の傾向がある、という具合である。

 ハーマンを真似て、ソフトウェア技術者はどういった傾向を持っているか(あるいは持つべきか)考えてみることにしよう。
 幅広い概念・技術・手法を用い、統計的手法を用いてプロジェクトの推進や計画作成を行うのは明らかに左脳の活動分野である。問題解決のための流れ図・関連図の作成、システム分析、ZD運動などのチーム作りは直感的発想が必要だから右脳の活動分野であろうか。
 深く考察するまでもなく、ソフトウェア技術者はトップダウンのアプローチもボトムアップのアプローチも求められるから、両方の傾向を合わせ求められるのは明らかである。ハーマン流の分類は余りに一面的過ぎて役には立たないような気がするのである。

 ハーマン流に分類するよりも、特定の技術者の思考傾向を観察してどちらの傾向が強いか(あるいは弱いか)考える方が、その人の成長のためにも、はるかに有効なのではないかと思う。たとえば、データを注意深く扱う意識に欠けている技術者は、右脳タイプであって左脳を強化する必要がある。融通性が欠けていて問題の原因を把握するのが遅い技術者は、左脳タイプであって右脳を強化する必要がある、といった具合になる。

 普通、トラブルの原因を分析するには二つのアプローチがある。
 一つのアプローチは、あらかじめ用意してある一連の質問事項(チェックリスト)を用いて、あらかじめ用意してあるトラブル原因の中から1つを選んで調査してみる方法である。これは左脳タイプの思考プロセスの代表的なもので、問題解決のための手順やシステム開発の各段階を重視する立場の人がよく用いる方法である。

 しかしこのアプローチは、今までに経験したことのない(チェックリストにない)種類の原因で引き起こされたトラブルに対してはまったく無力である。そのようなときは、もう一つのアプローチが必要となる。それは右脳タイプの技術者がとる方法で、現象を観察して「なぜ‥‥となるのか」を深く考えることにより直感的ひらめきでトラブル原因を探る方法である。場合によっては、そういう解決法の方がうまくいくこともある(滅多にないけれど)。

 トラブルの原因究明がうまく進まなくてプログラマが苦しんでいるとき、上司として手助けできることはほとんどない。コードの詳細が分かるのは、それを作成したプログラマ本人しかいないからである。そういうとき部下の思考傾向を知っていれば、考察の仕方について何か有益なヒント(たとえば、上記アプローチのどちらか)を与えることができるかもしれない。発想の転換を促すことができるかもしれない。

 私の印象では、ソフトウェア技術者には一般的に左脳傾向の人の方が多いように思う。その結果、どうしても発想の転換を促す必要性に迫られることが多い。
 数学者が未解決の問題に取り組むとき求められるのは、どちらかと言えば右脳の働きの方ではなかろうか。その意味では、コンピュータの黎明期にプログラマとして数学科卒の人を採用したのは正解であったと思う。しかし今や誰でもプログラマを目指す時代である。必ずしも右脳傾向の人でなくてもプログラマになれる(それはそれで結構なことではあるが)。

 コンピュータ・オタクのことを“ナード”というが、世の多くのナード達は余りにコンピュータに飼い慣らされてしまっていて、いろいろと問題を起すことが多い。すべてが二者択一的で(二進法を勉強したからだろうか?)、独特の用語(ジャーゴン)や言い回しを駆使して早口でしゃべり、普通の言葉で話す人間のファジー(あいまい)な部分が理解できない。それなりのひらめきはあっても現実の事態を直感的に把握できていないので、それに応用することができないという、実に困った特質を持っている。気配り、根回し、玉虫色表現ができず、奇異の目で見る普通の人間に反発し、逆に彼らを阻害するようになってしまう。
 こういったナードの持つ特質は、左脳の機能だけを持ち、右脳の機能を持たなかったいわゆる第3世代までのコンピュータと機能的に同じような存在だと私には思われて仕方ないのである。

 これからのソフトウェア技術者は、決してこういったナード的な人間にならぬよう、自分自身の思考傾向つまり右派か左派かを承知していて、情報処理に必要なこれら傾向の長所と短所をよく認識した上でトラブル解決に取り組む必要があるのではなかろうか。
 私も子供の頃にこの「右派と左派」の違いを知っていたら、もう少しましな頭脳の持ち主になれたのではないか、などと今頃になって悔しがっているところである。■