素歩人徒然 またウイルスメール 窓ガラス理論か教育的配慮か
素歩人徒然
(47)

またウイルスメール


── 窓ガラス理論か教育的配慮か

 そのメールは学内から発信されたもののようであった。
 この1ヶ月半程の間、私は頻繁にウイルスメールによる攻撃を受けていた。ウイルスに対する備えは万全なので、既知のウイルスである限り何の心配もない。最近届くウイルスの多くは、あの“クレズ”(*)である。クレズウイルスの最盛期の頃は1日に16件も届いたことがあったが、その後は下火になっていた。それがまた頻繁に届くようになったのである。これはどこかおかしい。

【注】(*)素歩人徒然(46)「ウイルスメール」参照

 ウイルスメールの受信ログを調べてみると、どうやら同一人物から送られてきているようである。しかもあろうことか、私が講義を担当している大学のキャンパス内から発せられているようにみえる。私はその大学で「情報と職業」というテーマで、主に情報倫理を中心に講義をしているので、これはその内容に対する受講者からの悪質な挑戦であるように思われた。

 このまま放置しておくという手もあった。しかし小さな不正をそのままにしておくと碌なことにならない。たとえば、窓ガラスの一枚が(外から石などを投げられて)割られたとする。これを放置しておくと、次々と他のガラスも割られてすべての窓ガラスが破壊された状態になってしまうという。つまり小さな不正を見過ごしにしていると、次第に治安が悪化し大きな犯罪を生む原因になるという考え方である。これを「窓ガラス理論」と言う。

 大学内からの発信であると知ったときの私のショックは大きかった。私の授業の進め方に何か問題があるということであろう。私は別に学生に好かれようとは思わない。しかし、ウイルスメールを送りつけて嫌がらせをしてやろうと思う程学生に憎まれるのは、やはり尋常なことではない。教え方のどこかに問題があったのである。学生への対応の仕方が厳し過ぎたということであろうか。しかしそれはそれとして、窓ガラス理論にしたがえば、これは必ず犯人を捕らえて厳罰に処さねばならない。決して放置しておいてはならないのである。

 そこで私は受信ログから得られた情報をもとに、大学の情報システム部に捜査依頼を行った。真の発信者のメールアドレスから学生の学籍番号は分かる。この学籍番号から見る限りでは私の受講生ではないらしい。しかしどんな間抜けなクラッカーでも自分のアドレスは分からないよう工夫するものであるから、この学生のIDとパスワードが盗まれて「なりすまし」によるメール発信行為に利用されたのであろう。そう考えて私はシステム部にこの学生の協力を得て真犯人を捕まえるようお願いしたのである。

 しかし1週間ほどしてシステム部から届いた調査報告は意外なものであった。(私が、IDとパスワードを盗まれたと思っていた)その学生が実は真犯人だったのである。その学生の使用していたパソコンがウイルスに汚染されていたため、今回の事件になったというのである。どうも「教育的配慮」が感じられるが、システム部の正式回答がそうなっている以上、それを認めるしかない。
 しかし攻撃された私のアドレスは実は2つあり、その一方は一部の人しか知らないアドレスだったのである。しかも、そこには自動返信が設定されていたから、知らずにメールが発信されたとしても、必ず返信メールが届くから本人が気が付かないはずはない。どうも教育現場では、“窓ガラス理論”よりも“教育的配慮”の方を優先するらしい。

 しかし真犯人が自分の受講生ではなかったということで私はホッとし、先ほどの反省点などすっかり忘れて、学生にはもっともっと厳しく対応すべきだと思うようになった。何しろ彼らは一般社会の厳しさをほとんど知らないのだから。
 そうだ、これは恰好のケーススタディーになるぞ。今度の授業で使ってみよう。■