素歩人徒然 猿の世界 新社会人に贈る言葉
素歩人徒然
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猿の世界


── 新社会人に贈る言葉

 「情報と職業」に関する後期の授業が終了した。しかし学生に話そうと思っていて結局は果たせなかった話題がいくつか残ってしまった。企業での経験を話してほしいと依頼されて引き受けた講義ではあったが、経験談ばかりやっていたのでは本来講義しなければならないテーマが伝えられなくなる。そこで、自分の経験談は最後の授業でまとめて行うことにしていたのである。しかし最後の授業も結局は時間が足りなくなり、予定していた話ができないままに授業は終了してしまった。いつもは、今日はいい授業ができたと思うことが多いのだが、このときばかりは何となく不完全燃焼で終わってしまった感が強かった。残念でならない。その、やり残した話とは概略次のようなものである。

◆価値は個人へシフトする
 IT技術の登場で企業活動は劇的に変容しつつある(それを、私の授業では繰返し言及してきた)。しかし同時に、企業はそこに属する個人に対しても変容を求めている。その結果として、各種の情報が個人サイドにシフトするようになってきた。そしてそれがまた企業自身に変化をもたらす結果となっている。モバイルの発展はそれを象徴するものと言える。

 企業活動にモバイルが導入されて以来、顧客からの情報は会社よりもむしろモバイル機器を持つ個人へ送られるようになってきた。そしてそれほど価値のない、あるいは緊急でない情報ほど会社に送られるようになった。企業活動で最も重要度の高い情報の交換は、次々と個人の世界へシフトしつつある。そういう環境では、その個人がどういう固有性を持っているか、どういう人的ネットワークを持っているか、どういう付加価値を生み出せるかという観点からの評価が重要となる。そして、そういった情報がモバイルを通して企業や個人の中に蓄積されつつある。

 しかも、こうした個人の能力はその企業に限られたものではなくなり、別の企業に対しても影響力を及ぼすようになる。そして、それがまた新しいビジネスを生む土壌にもなるのである。あるプロジェクトを企画した場合、企業の壁を越えて最適の人材をどうやって集めるかがビジネスの成否に直結するようになる。個人と個人を直結させるモバイルは、こうした企業の中の個人を速やかに見つけ出すことを可能にし、企業から個人へのパワーシフトをますます加速させていく。

‥‥といった話から始める予定だった。

 確かに、電車の中などでサラリーマンが携帯電話にかじりついている姿をよく見かける。ぐっすりと眠り込んでいたサラリーマン氏が突然目を覚まし、慌ただしく自分のかばんや洋服のポケットをまさぐり携帯電話を取り出す。バイブレーション機能で呼び出されたのである。今や、呼出し音など鳴らさないようにするくらいの最低限のマナーは彼らも自覚しているらしい。日頃から、彼ら携帯族を腹立たしく思って見ている私だが、そうか、彼らは企業活動に必要な“最も重要度の高い情報”を今まさに送りつけられたところだったのだ。‥‥そうだったのか、‥‥なるほど、なるほど。

◆自分のコア・コンピテンスは何か
 企業は自立した個人を必要としている。そういった世界に漕ぎ出すには自分が本当にやりたいことは何かという原点に戻り現実を直視する必要がある。企業は自らのバリューチェーンを再構築し変容しているが、それと同様のことが個人にも要求されている。個人のバリューチェーンを見直すことにより、自分のコア・コンピテンス(核となる強み)は何か、自分は何のプロになるべきかをよくよく考える必要がある。

 これからは自分の身は自分で守らなければならないという危機感を持つ必要がある。変化の激しい世の中の動きを的確に捉えるには、自ら情報を仕入れる努力が必要である。ところが大企業の中にいると、誰しも自分の身は安泰だと思い込みがちになる。だから市場の情報収集よりも社内のポリティクスの方向にセンサーが向いてしまう。それは“会社人(間)”ではあっても決して“社会人”とは言えない。

‥‥といった話を概略して、これから新社会人となる学生諸君へのはなむけの言葉とする予定だった。

 しかし自分が社会人としてそれほど立派にやってきた訳ではなし、あまり大きなことは言えない。そこで次の猿の話になぞらえて、これはこれからの世の中の傾向であるという風な少しひかえめな表現にしたらどうかと考えていたのである。

◆フリーランスの猿
 個人がどの企業にも属さずに活躍するという傾向は、自然界における猿の世界でも見られるという。動物園にあるサル山の猿の世界では、必ずボス猿が一匹いて全体をとりしきっている。ボス猿をさしおいての勝手な行動は許されない。ボス猿以下、ピラミッド型の序列にしたがって何事にも優先順位が決まっているという。よそ者の猿が入ってくると徹底的にいじめて阻害する(実は私は、本当はサル山で確認したことなぞないのだが、そうなっていると聞かされてきた。多分本当であろう)。

 しかし自然界の猿の世界では少し様子が違うのだそうである。サル山のような単独の大きなグループではなく、普通はもっと小さなグループに分かれて構成されているのだそうである。その各グループの中に必ずリーダーとなるボス猿がいるのは同様であるが、どのグループにも属さないフリーの猿もいるのだそうである。ボス猿はそういうフリーの猿がグループに入ってきても阻害したりはしないで、あるときは鷹揚に受け入れる度量を持っている。受け入れる理由はえさを探してくる能力に期待するからである。えさがあるという情報を持ってくると協力してえさを獲得する。

 自然界では、腕力がなくてもえさを見つける能力のある猿の方が有能なのであろう。サル山で管理された猿はえさを自ら見つける努力をする必要がない。飼育係から与えられたえさを配分する権限さえ持っていれば十分なのだ。そのような環境では、えさを見つける才覚よりも、声が大きいとか、身体が大きいとか、要するに相手を威圧し恫喝する能力さえあればボスが務まるのである。どこかの国の政治家に、声の大きい恫喝することに長けた人がいたではないですか。予算を獲得し、それを自分が稼いできたかのような顔をして配分することで自分の権威を高めている輩がどこの世界にも必ずいるのである。

 これからの企業活動では、自然界の猿の世界のようにフリーランスの猿が活躍する場が多くなるに違いない。自分でえさをさがしてくる才覚のある猿が求められているのである。就職難の時代であるからなお更のこと、大企業(サル山)によらずに、すべからく自らの力だけで生き抜く決意が必要であろう。

‥‥という具合の話でまとめる予定だったのである

 もっとも、新社会人を“猿”にたとえるのはいかがなものかという意見もあろうから、この話をしなかったのはそれはそれでよかったのではないか‥‥などと私はいつまでもうじうじと思い返しているのである。■