素歩人徒然 携帯 本質的な問題解決を避ける手法
素歩人徒然
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携帯


── 本質的な問題解決を避ける手法

 携帯については色々と言いたいことがある。
 私も携帯は持っている。実に便利なものだ。二つ折りのやつで、色違いのものが三種類あって時と場合により使い分けている。特に梅雨時などには重宝している。携帯型の折り畳み傘のことである。
 しかしここで主題にしたい“携帯”とは携帯電話のことである。何時の頃からか携帯電話のことを「携帯」と称するようになってしまった。以前、英語の論文を読んでいたら「K-Tai」と出ていたから、もしかすると携帯はもはや英語になっているのかもしれない。私にとっての携帯とはあくまでも折り畳み傘のことであるが、ここは百歩譲って電話のことであるとしよう。

 最近、電車内で気になるのは多くの人が無遠慮に携帯を使用していることである。車内放送で「携帯の使用はご遠慮ください」と言っているのに知らぬ顔で利用し続けている。特に女性にその傾向が強いようだ。機械の扱いが苦手だった女性達が(こういう表現は女性差別と言われかねないが)、とうとう自分で自由に扱える機器を手に入れたのだから、喜々として人前で利用して見せたいという気持ちはある程度分からぬでもない。しかし車内放送で注意されているのをまったく無視して利用し続けている姿は、実に何とも見苦しいものである。どんなに素敵な美人でも、どんなに素敵な格好をしている人でも、あるいはどんなに素敵に着飾っている人でも、これでは傲慢不遜な女性に見えてしまう。

 思うに、彼らは機器の扱いに夢中になると、ついつい周りのことに気が向かなくなってしまうのであろう。車内放送の声など彼らの耳にはまったく届いていないのである。車内禁煙という規則はほとんどの人が守っているのに、携帯の使用禁止の規則の方はほとんど徹底されず守られていないのはなぜであろうか。「ご遠慮ください」などというなまぬるい呼びかけや要請の形では効き目がないということであろうか。あるいは携帯を使って音声会話をしていなければ、つまりメール機能の利用なら携帯での「通話」には当たらないと勝手に解釈しているためであろうか。もっと明確な「使用厳禁」の呼びかけに変える必要があるのではなかろうか。

 このような状況を見ていると車内での携帯の使用禁止という規則が車内禁煙と同じように徹底されるには、今後10年以上の時間が必要となるのではないかとさえ私には思えてくるのである。

 ところが最近のニュースによれば、JR東日本と関東の私鉄、地下鉄の各社は車内ルールを変更しメールやiモードでの利用に限り車内使用を認めることにしたという。音声通話は今まで通り禁止だそうであるが、心臓のペースメーカー等への影響に配慮して優先席の付近では電源オフを求めるという。これでは全くの逆行ではないか。規制を強めるどころか逆に骨抜きにしてしまっている。全く嘆かわしいことである。

 もともと携帯の車内使用が問題となるのは、それが発する電波の人体への影響を危惧したものであった。音声会話での声が気になるからという程度の問題ではないのだ。特に最近の車両の構造は軽量化が進んでいて、その材質から携帯の発する微弱な電波を反射しやすくなっているという。乗客の持つすべての携帯(私めを除くほとんどの乗客が保持していると想像してみよ!)から発せられる微弱な電波が乱反射して、車内は電波のるつぼと化しているであろうことは容易に推測がつく。ペースメーカーを埋め込んでいる人にとっては、満員電車などは怖くて到底乗り込めるような環境ではないのである。この問題の本質的なところを忘れて車内ルールを作っても、全く意味がないと言えるであろう。一般乗客の声に押されて‥‥という迎合の姿勢が見て取れて全くもって不愉快なことである。

 こういった周りの声だけに配慮して本質的な問題解決を避ける姿勢は、昔からどこでもよく見られた手法である。たとえばソフトウェアのトラブルを解決するときにもよく採用されてきた。
 普通、ソフトウェアの問題解決では二通りの対応方法がある。
 一つは、問題に真正面から対峙して問題の根源を絶つ方法である。これは望ましい姿ではあるが、どんな場合でもその実行は極めて難しい上に時間も掛かる。
 二つ目は、本質的な問題解決を避けるための手法である。滅多に起こらない類いの問題がたまたま発生してしまったようなときには特に有効である。滅多に起こらない問題だから普通はその原因究明は大変に難しい。しかしよく調べてみると色々な条件が重なった最悪の条件下でのみ起こる問題であることが分かってきたりする。そのような場合は、各条件を精査してその複数の条件が決して同時には重複して起こらないように工夫すればよい。つまり条件が重複しないように何らかの細工を施すのが当面の取るべき対策となる(根本的に直すよりこの方が数段簡単なのである)。

 もっとも、この方法では根本的な問題解決にはなっていないから、将来別の条件下でまた同じ問題が発生するかもしれない。しかしとりあえず問題の発生を押さえ込んでしまえるから当面の策としては実に魅力的な方法なのである(私もよくやったよなぁ‥‥。いやなに、これはひとり言)。もっとも、管理者の側は問題プログラムの細かいロジックまでは分からないから、この対応策で根本的に問題解決が図られたと錯覚してしまう点が問題なのであるが。

 携帯の話題からついつい昔の手抜きの手法を白状することになってしまった。しかし携帯の利用については手抜きをせずに根本的な問題解決に取り組んでもらいたいものである。■