素歩人徒然 喪中はがき コミュニケーションを取る
素歩人徒然
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喪中はがき


── コミュニケーションを取る

 今年の1月に義父が亡くなったので、喪中による欠礼のはがきを11月の末に発送した。毎年12月も末になると年賀はがきの図案作成に頭を悩ませるのだが今年はその必要もなくなり、難しい宿題をやらなくてよいと突然言われたような感じで何となく妙な気分で過ごしている。

 年賀はがきの交換は日本独特の行事になっているが、海外ではクリスマスカードの交換という習慣がある。クリスマスカードの場合は12月25日までに届くよう散発的に発送されるので集配する方も比較的楽だが(*1)、日本の年賀状は1月1日にどんぴしゃりで届くように(それが理想であろう)しなければならないから郵政公社も大変である。別に正月の1日の日に届かなくても構わないのだが、遅れて届いた年賀状は何となく気が抜けたビールのようで面白くないものである。集配する側はアルバイトを多数雇って努力しているらしいが、中には配達が面倒になってはがきの束をそのまま捨ててしまったりする事件もときどき起こったりする。クリスマスカードのように1月元旦までに届けばよいという方式にすればよかったのにと思う。でも、暮れの忙しいときに賀状が届くのはどうも‥‥と思う人は多かろう。

【注】(*1)“Merry Christmas and A Happy New Year”としておけば多少遅れて届いても何ら不自然ではない。

 喪中の人には賀状は出さないのが礼儀となっているから、喪中が2年も続くと賀状も続けて受け取れないことになる。3年続けて喪中となり友人から便りがもらえなくて寂しい思いをしたという話を聞いたことがある。賀状を年に一度の近況報告の機会として利用している人には辛いものがあろう。

 今回喪中はがきを出して初めて知ったのは、喪中はがきに対しても返信する人が比較的多いということである。電話で見舞いを言ってくる人もいる。私も中学校時代の恩師から電話をいただいたが本当に心にしみるものがあった。

 ということで、私めの今年の正月は賀状の届かないさびしい年明けとなりそうである。毎年昔の会社関係の友人から届く近況報告を読むのを(家族の写真だけのことが多いが)楽しみにしているのだが残念ながら今年はそれもない。学生から届くリポートのはがきをじっくりと読んで過ごすことにしよう。

 人間はコミュニケーションをとることが好きな動物である。無人島で一人で生活しているのでない限り、何らかの形で人と交わらなければ生きていけない社会の中で我々は生活している。したがってコミュニケーションを取りたくなるのも無理からぬことであろう。
 人と人とのコミュニケーションの形態も時代とともに変化し、手紙による情報交換が主流だった時代から電話や更には電子メールの時代へと変わってきた。そして携帯電話の普及とともにどこにいても簡単に誰とでも何時でもコミュニケーションが取れるようになった。親と子供の間のコミュニケーションも、携帯で何時でも連絡できるからと放置された結果、子供が家出しても気が付かない(気にしない?)親が増えてきているという。

 電車の中では老若男女が携帯を使って盛んにメール交換をしている。座席でいねむりをしている人でも、見よ、その手にはしっかと携帯が握られているではないか。何時でも応答できる体勢になっているという訳である。本当に人間はコミュニケーションを取るのが好きな動物なのである。
 恋人同士が手をつなぎ、それぞれが携帯で別の人とコミュニケーションを取りながら歩いている。車で運転をしながら携帯でコミュニケーションを取っているドライバー氏(そんな車が自分の車の後ろに付いたら怖いよなぁ)。授業中に私の話も聞かずに携帯で一生懸命コミュニケーションを取っている学生の君! 本当に日本人はコミュニケーションを取るのが好きな国民である。

 我々は何事か大きなことを成し遂げよう(*2)とする場合、まず最初にすることは外部との連絡を遮断することであろう。つまり簡単には外部とコミュニケーションを取れないような環境に自分の身を置くことをまず第一に考える。

【注】(*2)成し遂げるべき何事かの事例:
・フェルマーの最終定理を証明するため電話のない書斎にこもる
・悟りを開くため禅寺にこもる
・社員の研修のため連絡の取れない研修場所に泊り込む
・大学受験のため勉強部屋にこもる
・  ‥‥
・手塚治虫の漫画本を読破するため書斎にこもる(私めの場合)

“成し遂げるべき何事か”にもいろいろと程度があるということである。

 何事をやるにしても長時間意識を集中させることが大切である。しかしコミュニケーションばかり取っているとこの意識の集中が難しくなる。特にコンピュータは、使い方を間違えると意識の集中を妨げる元凶ともなるツールである。コンピュータはもはや物を書く際の必須の文房具といってもよい存在である。コミュニケーションを絶って部屋にこもったつもりでも最近のコンピュータのように常時接続で(あるいは無線LANで)メールが何時でも飛び込んでくる環境では仕事の妨げになる。仕事を中断して何となく「メールは来ていないかな」とメーラーを呼び出してみたくなるからである。
 携帯でコミュニケーションを取っているときの人間の脳の活動状況を観察してみたいものである。ある研究によれば、テレビゲームや携帯メールをやりすぎると脳の前頭前野の活動が悪くなり、そのままの状態が続くと前頭前野が退化して若年性痴呆になったりキレやすくなったりするという。最近の学生の学力低下もこのへんと関係があるのかもしれない。

 これからは何事かを成し遂げようと思ったら、携帯を持参しないことは勿論のこと、まず無線LANを遮断してから部屋にこもるべきではなかろうか。■