素歩人徒然 桜 宴の後始末
素歩人徒然
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── 宴の後始末

 今年は桜の花を堪能することができた。
 例年より早く開花し、普通は1週間程度で満開になるのに今年は開花後に寒い日が続いたせいか花が長持ちしたのである。満開までに10日以上も要したから花見る人にとってはこの上ない贈り物となった。

 そして花見の宴の騒がしい時期を過ぎると、再び何時もの静かな生活が戻ってくる。我が家の庭の染井吉野も盛大に花びらを散らしつつ、緑の若葉へと次第にその装いを変えていく。そしてこの時から私にとっての悩みが始まるのである。

 まず第一の悩みの種は桜の花びらである。
 桜の花びらが盛大に散る様は、見ている人に何かしら感慨を催さずにはおかない見事な光景である。sakurachiru特に日本人にとって、桜の散り際というのは特別なものと映るようである。しかし散り積もった後のことは誰もあまり話題にしない。散った直後の光景ならそれはそれで美しいと思う。風が吹けば花びらはいずこへともなく飛んでいって、いずれは土に帰するであろう。したがって誰もその先のことまでは関心をはらわないのである。

 しかし今年は、散り際にあまり風が吹かなかったのでハラハラと静かに散った花びらは我が家の庭の芝生の上やデッキの上に盛大に降り積もりそのまま残されることになった(*1)。二階のベランダ(10畳ほど)にも盛大に降り積もっている。sakurachiru2これが日が経つにつれ薄いピンクから茶へと変色し、昨夜来の雨による水を含んで今や分厚く堆積した状態になってしまった。芝やデッキの上に降り積もったものなら、放っておいてもいずれ土と同化していくだろうが、二階のベランダの上のものは放置しておく訳にいかない。その結果、私めは自らの老体に鞭打ってベランダ上の花びらの残骸を掃き集めなければならない仕儀と相なった。屋根の上にも樋(とい)の中にも降り積もっているが、これはとりあえず無視する(次の悩みと一緒に解決するつもりなのだ)。

【注】(*1)35年ほどの古木では、約59万枚の花びらを付けるという(トリビアの泉から)。

 その、次の悩みというのは、がくである。桜の花が散ってからしばらくすると、今度は花の付いていた部分と茎の部分(これを萼(がく)と言う)が落ちてくる。
gaku  そして、今度はこれが芝生の上といわず、デッキの上といわず、ベランダの上といわず、つまり庭中のいたる所に、そして屋根の上にも、ところ構わず落ちてくるのである。これには本当にまいる。家内は毎日毎日デッキの上のがくを掃いているが、ベランダや屋根の上、あるいは樋の中に降り積もったがくはそのまま残される。それを掃除するのは私めの役目になっている。あ〜ぁ。
 桜の木から、がくがあらかた落ちたとおぼしき時期を見はからって私めは再び老体に鞭打つ仕儀となる。屋根にのぼって上から樋の中を掃除するのはかなり危険な作業である。あ〜ぁ。

 さて、次なる悩みは桜の木に取り付く毛虫である。毛虫以外にも小さな虫がいろいろいるらしいが私めの老眼ではほとんど確認ができない。この対策としては殺虫剤をただ闇雲に撒くしかない。桜の木は大きいので風の無い日を選んで近所の人々が起きだしてこない早朝を選んで薬を散布する。これも結構我が老体にはこたえる。これを春先に2度くらいやらぬと効果がない。

 夏ともなれば、桜の木の下に長年住み着いていたセミが姿を現してミンミン、ジージーとうるさく鳴き続ける。桜の木の樹液を吸いつくしてしまうのではないか、セミの鳴き声がうるさいと近所からクレームがつくのではないか‥‥などと気をもむことになる。

 秋になれば、当然のこととして桜の木の葉が落ちる。我が家の庭に落ちた葉は我が老体に鞭打てば何とかなるが、隣り近所の家々の庭に飛んでいった落ち葉は私めにはいかんともしがたい。表の通りに落ちた葉はお隣のご主人が早朝掃き集めてくださるが、何時も何時もそれに頼っている訳にもいかず、時には家内が、あるいは我が老体を鞭打つ必要にも迫られる(いや、私めは滅多にやらないが)。

 かくの如くに桜の木の世話は大変なのである。花見る人に、この裏方の苦労は分からないであろう。

 昔から「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言うらしいが、最近は桜の木も切って手入れをしないと枯れてしまうと言われている。特に染井吉野は接ぎ木でしか育たない種類の桜である。つまりクローンなのだ。クローンは環境の変化に対応して遺伝子を変化させていく能力がない。したがって環境の変化に弱いのである。手入れをして守ってやらないと絶滅してしまう恐れがある。

 桜の木の古くなった枝には虫が付きやすいという。つまり外部からの攻撃にやられやすいのである。したがって古くて痛んだ枝は出来るだけ切り落とし、その切り口に薬品を塗って虫などが侵入しないように常時手入れをしてやらねばならない。一方、若い枝はできるだけ伸ばしてやると、そこに見事な花を咲かせるようになる。この選別は結構大変な作業である。高い手間賃を払っても植木職人にやってもらうしかない。

 普通、花見る人はこういった裏方の悩みは知らないものである。そんな些細な悩みなど知らない方がよいとも言える。ただ素直に桜の花にだけ注目し、その美しさに酔いしれている方が幸せかもしれない。

 コンピュータの場合も、エンドユーザーは自分が使用するアプリケーションにだけ注目していればよい。裏方がどんな苦労をしているかなどということは知る必要がない。知らない方がそのアプリケーションについて有益な意見を出せるかもしれない。裏方の苦労を知ってしまうと、つい同情してしまって言いたい苦情も言えなくなってしまうかもしれないからである。

 しかし最近のウイルス被害の実態を見ていると、自分は自分、裏方は裏方と割り切っている訳にはいかなくなってきている。エンドユーザーといえどもコンピュータの裏方の苦労を知る必要がある。コンピュータシステムの手入れを定期的にやっていないと長生きできないことを知るべきであろう。古くて痛んだ枝(システムの欠陥)があればそれを修復し、ウイルスなどが外部からの不正な侵入口として利用することのないようふさいで防御してやらねばならない。
 これを怠ると、ウイルスに侵入されて桜の木を根こそぎ切り倒されることになるかもしれない。花見どころではなくなってしまうからである。■