素歩人徒然 スケジュール遅延の言い訳 裁判員制度
素歩人徒然
(62)

スケジュール遅延の言い訳


── 裁判員制度

 旧版の【素歩人徒然(62)】「裁判員制度」(2008-1-1)の原稿は2007年末に書いたものですが、執筆当時はまだ守秘義務もあり詳しく書くことができませんでした。文章も未熟でした。その後【今だから話そう(2)】欄の「グリーンベレー」で仕事の詳細を報告しましたので、こちらの原稿も書き直すことにしました。タイトルも変えました(2022-12-9)。
▼裁判員制度の導入
 2009年春から日本でも裁判員制度が始まった。新しい制度の導入時には、私も自分がもし裁判員に選ばれたらどう対応したらよいかと考えるようになった。国民としての義務を果たしたいと思う反面、他人を裁くという行為では責任の重さについて悩むことになるのではないかとも思った。しかし、多分一番迷うのは当面の自分の仕事に対する影響から「辞退したい」という気持ちになるのではないか、という点であった。

 当時、私は大学の教師をしていたので、裁判長との面談の際に「自分は教師をしているので、講義を休むことになれば卒業に差し支える学生も出てきます」などと情けない辞退理由を説明している自分を想像したりしていた(本当に情けない(!))。

 裁判長は候補者と面接した後、別室で検察官、弁護人と協議し最終的に裁判員6名を決めるのだそうである。辞退しないでいて運よく(?)選ばれなかった場合でも、今度はなぜ自分が選ばれなかったのかとその理由を知りたくなるかもしれない。いずれにしても厄介なことである。

 アメリカでも同じように陪審員制度というのがある。日本とはだいぶ様式が異なるが、仕事との関係ではやはり問題になることが多い。それにまつわる話をしてみようと思う。

▼私の経験したこと
 だいぶ昔のことになるが、技術提携先の米社との共同研究に従事することになり、二人の部下とともにボストンにある研究所に派遣され、約1年間滞在したことがあった。

 プロジェクトのリーダーはアメリカ人で、その指導のもとで先駆的ソフトウェアの開発を行ったのである。しかし、しばらくする内にそのリーダーのやり方ではうまくいかないと私には思えてきた。東京の本社へ毎週送る報告書に私はそのことを率直に記したのである。しかし本社からはこっぴどく叱られる結果になった。リーダー批判は許さないというのであろう。ソフトウェア関係では初めての海外での共同研究であったから提携相手の米社に気兼ねしていたのかもしれない。

 しかし最終的に「うまくいきませんでした」と言ってすごすごと帰国するのは何としても避けたい。そこで私は下手な英語を最大限駆使してプロジェクトを自分の思う方向へもっていこうと懸命に努力した。その結果、すったもんだ(*1)の末に「それならお前がやれ(!)」ということになり半年後には私がプロジェクトを推進する立場になってしまった。
【注】(*1)詳細は【今だから話そう(2)】「グリーンベレー」の 「▼共同開発の実態」の章を参照されたい。
 技術的な側面から言えば私は十分にやっていける自信があったが、毎週研究所の所長にプロジェクトの進捗状況についての報告書を書かねばならぬのが最も厄介な仕事であることに気が付いた。何しろ毎週、英語の苦手な私が英作文をしなければならないのだ。プロジェクトが順調に進展していることが分かるように書かなければならないのだから大変である。その他にも日本の本社に週報(これは日本語でよい)を書かねばならない。週の後半は本当に忙しくて研究どころではなかった。

 しかし努力の甲斐あって、何とかボストンでの研究開発は予定通り1年間で終り、次の段階の製品化を進めるためにアリゾナ州にある工場のソフトウェア開発部門へと移動することになった。
 その結果、研究所長への報告義務からは解放されたが、今度はソフトウェア開発部門の長に毎週週報を書くことになってしまった。毎週、英作文に悩まされる状況は何ら変わらなかったのである。

▼言い訳の仕方を学ぶ
 研究所から工場の現場に移動するのだから仕事の環境は著しく変わることになる。
 ソフトウェア開発部門では、驚いたことに他の部門のマネージャークラスの人たちの書いた週報のコピーが私のところにも配布されるようになった。同じ職場で働いているとはいえ、私はあくまでも別会社の人間である。彼らの週報には当然機密に触れるような情報も沢山含まれていたことであろう(今ほど情報の管理が厳密に行われていなかった時代の話である)。工場ではプロジェクトリーダーはマネージャーと同格の扱いになっていたので秘書が社内ルールにしたがってそのまま私にも配布してしまったものと思われる。

 私は他人の週報など読んでいる時間的な余裕はなかったが、毎週の週報作成で苦労していたので彼らマネージャー達はどんな風に週報を書いて上司に報告しているのか参考にしようと思った。そこで彼らの週報をじっくりと読んでみたのである。

 そして彼らの週報から私は様々な表現や言い回しの方法などを学んだ。特に興味深かったのは彼らは比較的簡単にスケジュールを変えていくことであった。もちろん彼らもそれなりの理由付けをしてスケジュール変更を正当化しようとする。自分の責任ではなく外部要因により発展的にスケジュールを組み替える必要が出てきたのだと主張するのである。

 我々日本人は一度スケジュールが確定すると、それを守るために全力を尽くすものだ。計画を変えられるのはスケジュールを前倒しできる場合(そんなことは滅多にないが)だけで、遅れるような計画変更は普通ならなかなか許されない。

 彼らの週報を読んでいるとスケジュール遅延の言い訳が多い。様々な言い訳が登場するので大変参考(?)になる。いろいろな言い訳が出てくるけれど言い訳の種が尽きると最後の手段は「メンバーが陪審員(Juror)に選ばれたため」となる。最初の頃はこの“Juror”の意味が分からなかったが、ある人が教えてくれた。これに選ばれると州民の義務として裁判の陪審員を務めなければならないという。しかもかなりの長期間にわたって拘束されることになる。州民の義務であるから誰もこれを拒否することはできない。したがって、当然のことながら会社の仕事よりも優先しなければならなくなる。
 これは日本では通用しない言い訳だなあ、と当時私は思ったものである。

 しかし今や、日本でも通用する“言い訳”になろうとしている。これからは「プロジェクトのキーメンバーが裁判員に選ばれたのでスケジュールを見直さねばならなくなりました」という言い訳が、日本の様々な職場で使われるようになるに違いない。少なくともプロジェクト管理の分野では「日本もやっとアメリカ並みになった」と言えるようになるのではないか。まずはめでたい(?)ことである。知らんけど。(2008-01-01, 2022-12-10)