素歩人徒然 話す速さ 聴き手に伝わる喋りとは
素歩人徒然
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話す速さ


── 聴き手に伝わる喋りとは

 私は、大学での一連の講義が終わった段階で、受講者全員に受講感想を書いてもらうことにしている。次の年の授業内容に反映させて少しでも良くしたいと思うからである。
 昨年は、その感想の中に「ゆっくり話されると眠くなります」というのがあった。私は意識的にゆっくり話すことを心掛けてきたので、この感想を自分なりに満足して受けとめたのである。しかしよくよく考えてみると、どうもそういうことではないように思えてきた。

 私は、若い頃から比較的早口で喋る習慣があったように思う。企業内での発表、あるいは所属する学会の学会発表のようなとき、普通は10分で発表し5分の質疑応答となるが、喋りたいことが沢山あると10分間では収まらず2〜3分オーバーしてしまうことが多い。それで、できるだけ早口で喋って時間内に収まるよう努力する。早口で喋ることも技術の一つなのである。私は長年、企業で過ごしてきたので早口の喋りで特に問題はなかったが、大学の講師を兼ねるようになってからは、喋る速さについては注意を払う必要が出てきたのである。

 大勢の人の前で話すときは、ゆっくりと明確に区切って正しく発音する必要がある。普通の話し言葉の速さで喋ったのでは聞き取りにくい場合がある。ある程度の声量も必要である。パワーポイントなどの表示装置を使いながら話す場合は、画面を切り替えるタイミングも考慮して時間を取るためゆっくりと話す習慣にしないと聴き手はついてこれないことがある。特に、聴き手に自分の考えを十分理解させたいと思うなら尚更である。機械的に喋って時間内に終わらせることが目的なのではなく、聴き手に話の内容を理解してもらうのが目的なのである。そういう場合は、話し方の速さが重要なポイントになる。

 しかし講義内容の方に意識が集中してくると、どうしても話す速さへの配慮が忘れ去られてしまう。そこが、新米教師の至らないところなのであろう。
 昔、大学教授だった美濃部さんが都知事に選出されたとき、TVカメラに向かって施政方針を諄々と諭すようにゆっくりと話されるのを見て思ったものだ。あぁ、これが大学の先生の喋り方なのだと。後年、大学の授業で喋るときに、これを手本にしなければいけないと思ったのである。しかしこれがなかなか難しくて、前述したようにうまくできないままに経過してきた。

 それが、突然できるようになったのである。意識しないでも、ゆっくりと喋ることができるようになった。なぜ、できるようになったのか?
 そこで私は、ハタと気が付いたのである。これは私が年を取った結果、口を動かす筋肉が衰えてきたためではなかろうか。つまり早口で喋れなくなる前兆なのかもしれない。そう気が付いた私は、授業での喋り方に濃淡を付けることにした。時には速く(早口の速球を投げたり)、時には遅く(ゆっくりとしたチェンジアップを投げたり)と、眠くならないように声の大きさにも濃淡を付けることにしたのである。

 年を取れば、自然に口の動きが滑らかにはいかなくなる。今流に言えば“カム”ことが多くなる。いや、カムどころではなく、ろれつが回らなくなると言った方が正確であろう。人前で話す際は、老いて醜態をさらすことのないよう、心して臨みたいものである。■