素歩人徒然 二分木 二分木とルーツヒーリング
素歩人徒然
(73)

二分木


── 二分木とルーツヒーリング

 私は毎週1回は、K市にある大学のキャンパスへ講義のため通っている。電車で2時間以上はかかるので、電車事故などでダイヤが乱れると大幅な到着遅れとなって授業にも差し支えることになる。それを避けるため私は二つの通勤ルートを用意していて、順調に運行している方のルートを選んで大学に向かうようにしている。そのため、出勤の日は朝からラジオの交通情報に耳を傾け、家を出る直前にはインターネットで交通の事故情報を確認するのを習慣としている。

 こういった事故情報では、事故原因が“人身事故”となっていることが多い。春先など学期の初めには、特に人身事故に起因する電車事故が多発するようである。人身事故と聞いても我々は何気なく見過ごしてしまうが、たいていは飛び込み自殺であることが多いらしい。多くの人は「また事故か」と自分の被る迷惑の方に関心を向けてしまうが、その陰で、人知れず悩んだ末に自身の人生に区切りをつけてしまった人がいるのかと思うと、痛ましい気持ちになるのである。

 大学で若者達に接していると、彼らが青年期特有の色々な悩みを持ちつつも、着実に生きていってほしいと思う。誰でも、新たな環境で学業や仕事を始める時はいろいろとストレスに直面し悩むことも多いであろう。そういう壁を乗り越えていくための参考になればと、私は授業の中でストレスへの対処法など、多少なりとも役立ちそうな自分の経験談を語って聞かせることにしている。

 少し専門技術の話になるが、私はプログラミングの授業の中で二分木(binary tree)を取り上げることがある。周知のように二分木というのは1つの値と2つのポインタ(番地)情報から成る構造体データのことである(図1参照)

 
(図1)(図2)

 この二分木の左右の枝に同じ構造の他の二分木を何重にもつないでいって、木構造を構築していく手法を教えているのである(図2)。左右のポインタの指す先に何もデータが無ければ(図3、点線の矢印で示した部分の枝)、その枝を書かないで済ますことにすると、図4のように表わせる。

 
(図3)(図4)

 この木構造を扱う時、私は何時も家系図に似ているなぁと思う。たとえば、図4の上下を逆転させた図5では、AさんとBさんが結婚して子供Xが生まれたことを示す図と考えれば家系図の表現そのままである。このXを自分だと仮定すると、将来、図6のようになるのではないかと想像することができる。

 
(図5)(図6)

 この図6を見ながら、もし自分が若くして死んでしまったら、ここから派生する下方向への枝はすべて存在しないことになる。今ここに自殺したいと思っている人がいるとする。自分が死んでも誰も悲しむ人はいないから、と後腐れなく死んでしまいたいと考えている。しかし、たとえそう思ったとしてもこの図を見れば思い返してくれるのではないか。将来自分の子孫となるはずの人達が大変な迷惑(?)を被ることになるではないか、と。いや、迷惑と感ずるためにはこの世に存在しなければならないのだが、その存在そのものを否定されてしまうのである。そのことに思い当ってくれないものだろうか。

 昔見た「Back to the Future」という映画にも似たような場面があった。この図から、そういう教訓的な話が引き出せないものか、と私はかねがね考えていたのである。ところが、これがなかなかうまく説明できないのである。Xが存在しなければ、そこから派生する下向きの枝にぶらさがるすべての二分木が消えてしまうことになる。それを劇的に表現できるような図を作りたいのだが、まだうまくいっていない。2次元表示の図では、そういう家系図を作るのが難しいのかもしれない。

 もっとも、今まさに死にたいと思っている人にこんな話をしても何の効果も期待できないであろう。健全な心理状態の人に教えておいて、将来壁にぶつかった時に思い出してほしいと思うのである。残念ながら、あまり説得力のある話にまとめることはできそうにないのだが。

 ところで、先日ラジオを聞いていて偶然「ルーツヒーリング」という言葉に出合った。正確には聞き取れなかったが、多分“Roots Healing”ではないかと思う。これは自分の家系図を見て先祖の人々のことを振り返ることによって、心の癒しを得るというものである。なるほど、自分の親類・縁者や先祖の人々がどんな人生を歩んできたか、どういう足跡を残してきたかを知ることは、連帯感を育み、必ずや自分に生きる喜び、希望、勇気などを与えてくれるのではないか、と実感したのである。
 私の“二分木”による教訓話も、あながち的外れではないと勇気づけられたのであった。ルーツヒーリングの説明と効能を加えて、もう少し考察を進めてみようと思っているところである。■