素歩人徒然 自動車の運転免許 高齢化社会 交通標語 狭い日本、自分で歩かずどこへ行く
素歩人徒然
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自動車の運転免許


── 「狭い日本、自分で歩かずどこへ行く」

 私の自動車運転免許証の効力がなくなった。更新手続きをしなかったため期間満了による失効となったのである。
 「期間満了失効」となったのはこれで2回目である。ずっと昔のことだが、約2年間のアメリカ出張中に更新日を迎えてしまい、更新手続きができなかったことがあった。今回は意識的に回避して自動車の運転をやめることにしたのである。

 国際免許の有効期間は1年しかないから、それ以上の長期滞在となると現地で試験を受けて免許を取得するしかない。アメリカでは州ごとに交通法規が違うので私はアリゾナ州の交通法規を勉強し、首尾よく合格してアメリカの運転免許証を手に入れることができた。アメリカの交通法規では葬列の車の列に割り込むと違反になる。今でも葬列の車に出会うと、この時学んだ法規の条項を思い出すことがある。なつかしい思い出である。
 そう言えば、この時私が手に入れたアメリカの運転免許証も更新できずに失効してしまったから、私の「期間満了失効」は3回目ということになるのだろう。

 最近、高齢者による自動車事故のニュースに接する機会が多い。原因はアクセルとブレーキを“踏み間違えた”というケースが多いらしい。咄嗟の場合の判断が遅れて、うまく運転操作ができなくなったのが原因であろう。
 私も高齢者の一人であるから他人事とは思えない。自分の運転技術に自信がなくなった訳ではないが、ここらで車は卒業しておいた方がよいのではないかと思うようになった。まだ十分に運転はできるが、運転すること自体にそれ程の魅力も必要性も感じなくなってきているのだ。冷静な自己判断ができるうちに、やめる決断をしておく方が無難であろう。

 長年に渡り自動車を運転してきたが、運転免許を持っていて本当によかったと実感したのは、海外出張で長期間アメリカで生活していた時である。アメリカは車社会であるから車がなければ生活(仕事も含めて)のすべてが成り立たなくなる。主要幹線道路にバスは走っているが、それだけで日々の生活が満足に送れるかと言うと、必ずしもそういう訳にはいかない。

 勤め先のオフィスは郊外にあったから、毎日自分の車で通勤しなければならなかった。もし運転免許と車とを持っていなかったら、他人の助けに頼るしかなく、どうしようもなかったであろう。

 休みの日の買い物、あるいはどこかへ遊びに行きたければ、どうしても車が必要となる。連休ともなれば遠くまで泊まりがけで出かけたくなるものだ。アリゾナ州の州都フェニックスは、砂漠の中のオアシスのような所だったから、そこから周辺の国立公園へ観光に行きたければ、まず最初に砂漠を通り抜ける必要があった。延々と続く砂漠の中の州間道路を、いやという程長時間ドライブをしてやっと目的地に着くというのが普通であった。もし車がなかったら、ナイアガラの滝も、グランドキャニオンも、ヨセミテも、ペトリファイド・フォレスト(化石の森)も、そして西部劇ファンなら誰でも知っているモニュメントバレーやツームストンのOK牧場も、すべて体験できなかったであろう。

 音楽会へ行きたければ正装して車で行くのが普通だった。アメリカでは客の数だけ車を止められる(と思われるほどの)大きな駐車場が用意されているから、どこへでも車で行くようになる。もし車がなかったら、ボストン交響楽団の生演奏も、エルビス・プレスリーのショウも楽しむことはできなかったであろう。あるいはドライブイン・シアターで、車に乗ったままでの映画見物も体験できなかったろう。

 ベースボールを見物したければもちろん車で行く。もし車がなかったら、シンシナティ(*)で、シンシナティ・レッズの試合を見物したり応援したりすることもできなかったであろう。

【注】(*)シンシナティは、野球史上最初のプロ野球チームが誕生した場所である。最初のプロ野球チーム「シンシナティ・レッドストッキングス」は、その後選手の大半がボストンに移り「ボストン・レッドストッキングス」(現在のアトランタ・ブレーブス)へと変遷する。

 このように、自動車免許のおかげで、私は素晴らしい体験をさせてもらってきた。その体験から確信を持って言えることは、私の拙い英会話力よりも、自動車の運転免許証を持っていたという事実の方が、遥かに私のアメリカでの生活全般に対する貢献度が高かったということである。

 その大切な運転免許を失ってしまってよいのか、と迷ったのは確かである。
 車の運転をしなくなれば、車の保守に気を配らなくてもよくなる。それに税金も、ガソリン代やオイル代も心配しないでよくなるのだ。第一、今流行りのエコに全面的に協力できるのだからすごいと思う。高齢者による事故を減らすためにも、是非他の人にもすすめたいものである。現在の私の生活環境はアメリカではなく日本なのだ。日本では、特に都会では車は必須のものではない。

 交通標語で「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」というのがあったが、日本では車を使わず電車やバスや徒歩の方が早い場合が多い。特に年輩者にとって、歩くことは運動にもなるから、健康にも良いに違いない。高齢者による自動車事故のニュースを聞くたびに思うのだが、都会に住む高齢者に対して「そろそろ車をやめたらどうですか」とすすめたい。

 高齢化社会となる今後は

 「狭い日本、自分で歩かず どこへ行く

というのを交通標語として採用してもらいたいものである。■