私がクリスチャンになるまで・・・


1998年7月11日、洗礼を授かりました。洗礼名はセシリアです。

私は幼い時から漠然とクリスチャンになりたいと思っていました。小学校の頃はシスターになりたいと
思っていました。
中学進学の際、両親から進路を聞かれ、迷わずカトリックの女子校を受けさせてほしいと頼みました。

私が入った学校は中高一貫教育で、思春期の多感な時代を先生も友達もほとんど変わらない環境で
過ごしました。
あの学校に入る事が出来なければ、今の私はないと思えるほどに色々な影響を受けた場所でした。

この時初めて、洗礼を受けたいと両親に伝えました。でもその時は反対されてしまいました。理由は、
宗教を持つ事に関して反対しているのではなく、私自身が洗礼を受けるに値する行いをしているか?
という事でした。

「洗礼を受ける事がゴールなのではなく、そこからがスタートなのだ」と言われました。確かに当時の
私は、ひとつの信念をもって生きていくには、準備が不十分だったと思います。

高校を卒業してからは、遊びや恋愛が楽しくて、教会から離れた時期がありました。でもある時、私は
教会の前に立っていました。
人にはそれぞれ聖霊に呼ばれる時期があると聞いた事があります。私はようやく20代の終わりに呼ばれ
入り口に辿り着きました。
それから1年以上、神父様に色んな事を教えていただき、洗礼を授かりました。

セシリアという洗礼名は、敬愛する母校の名前です。
私は歌が大好きなので音楽の聖人に守られて、ずっと心に歌を忘れないよう、そして聖セシリアのように
強い信念を持つ、凛とした女性であり続けたいと望んでこの名前を頂きました。
聖セシリアおとめ殉教者(2−3世紀ごろ)

セシリアは、ローマの裕福な貴族の家に生まれた。
父の意志により、信者ではない青年バレリアノと結婚したが、彼女は神のために生涯貞潔を
守ることを彼に話した。
彼女の熱心な信仰態度に心を打たれたバレリアノは、弟のティブルツィオとともに洗礼を受けた。
そして彼らは、迫害されて殉教した人々の遺体を引き取り、手厚く葬った。
このことがローマ総督の耳に入りバレリアノと弟は捕らえられ、信仰を捨てるように命じられたが
拒んだ為、2人は斬首の刑を受けた。


セシリアは、彼らの遺体を引き取り埋葬した。その後自分の家をカタコンブ(地下墓地)にしたり、
聖堂(のちに聖セシリア教会と呼ばれる)にしたことが、総督に知られ捕らえられ棄教するように
強要された。彼女は蒸し風呂の刑にあっても苦痛もなく汗ひとつかかなかったので最後は首を
切りつけられて3日間の苦しみののち殉教した。


彼女は「心のうちで神に音楽を奏でていた」といわれる伝承があることから、音楽家の保護の聖人
として親しまれている。