素歩人徒然 狭心症 カテーテル手術
素歩人徒然
(179)

狭心症


── カテーテル手術を受ける

▼はじめに
 私は、三十余年に渡って駄文を連ねエッセイらしきものを書き続けてきたが、自分の病気についてはほとんど触れることがなかった。他人の病気の話など読んでも大して面白くはなかろうと考えたからである。

 しかし令和元年の暮れ、突然狭心症の疑いで緊急手術を受けなければならない事態になってしまった。どうやらかなり深刻な状態であったらしい。怠惰な私めがこれまでやってきた事を包み隠さず公開すれば、読者の方々が何らかの(反面教師としての)教訓を得てくれるのではないか と思うようになった。そこで、事の顛末を以下に記してみようと思う(長文です。覚悟召されよ)。

▼病気の前兆
 半年ほど前から、歩いていると息が切れるようになっていた。しかしこれは高齢になれば誰でも経験することだと思い込んでいた。私は昔からジョギングとか山登りなどをしていたので、呼吸が苦しくてもそれに耐える訓練はしてきた積りだった。したがってそれ程苦にもせず、普段通りの生活をしていたのである。

 ほぼ毎日運動(ウオーキング)をしていたが異常は感じなかった。多分運動中ずっと呼吸リハビリを実行していたからだろうと思う。肺活量を維持するため、歩速に合わせて2回深く吸い、歩速に合わせて4〜6回ゆっくりと吐くという呼吸法(*1)を繰り返しながら運動をしていたのである。歩速を早めるとそれに合わせて息を吐く回数も増やしていく(運動はより一層激しくなる)。運動中にこれをやるとかなり苦しくなるのは当然のことで、自分の身体の状態が特に悪いとは感じていなかった。
【注】(*1)呼気をゆっくりと吐き出す呼吸法を続けていると副交感神経が優位となる。つまり気持ちが安らいでくる。
 ところが、運動ではなく所用で外出したようなときは呼吸法など意識しないから、普通に歩いているだけで苦しくなってくることに気が付いた。最近では寒くなってきた影響からか、冷たい空気を肺一杯に吸い込むと何か違和感があった。胸が締め付けられるような感じがして、もしかしたら狭心症ではないかと思うようになったのである。これが10月中旬頃のことである。

▼検査の先送り
 病院で検査を受けようと決心したが、以後いろいろと悩むことになった。

 ・10月中は既にいろいろとスケジュールが詰まっているなぁ。
  何となく躊躇している内に11月になってしまいそうだ。

 ・どうせ11月になるのなら、呼吸器内科の定期検診(11/13日)
  の予定があるから、その際に医師に相談してみることにし
  よう。そうだ、それがいい。

 ・私にはこれが名案のように思えた。もしかすると私の勘違
  いで、何も心配することはないのかもしれない。

 11/13日に呼吸器内科を受診すると、先生は症状を聞くなり即座に循環器内科を受診するようにと指示し、直ぐに予約手続きができる体勢を作ってくださった。

 ・しかし愚かな私めは、循環器内科の予約日を決めるに当り
  11月の終りに計画されていた高校の同期会には出席したい
  なぁ。それが終わってからにしたい。そうだ、それがいい。
  とまたまた先送りしてしまった。

 その13日後の11/26日を循環器内科を受診する日に決めてしまったのである。

 ・これで、2ヶ月くらいの先送りとなった。

 11/26日の循環器内科で問診を受けた結果、まず冠動脈CT検査をしてみましょう、ということになった。
 そして、検査の日は15日後の12/11日と決まった。

 ・CT検査の日を決めたのは私ではない。実は、私の来院予定
  日に合わせて先生がこの日を提案してくれたのである。呼
  吸器内科の診察の前に、循環器内科のCT検査ができるよう
  時間の調整をしてくれたのである。後から考えると、その
  提案に乗って何でも先送りする悪い癖が出てしまったよう
  だ。この時点ではまだまだ余裕があると思っていたのであ
  る。

 ・これで2ヶ月半も先送りに成功(?)したことになる。

▼検査の日
 いよいよ12/11日の検査の日となった。早朝に家を出てラッシュアワーの電車に乗り、駅から病院まで歩いて行くことになる。途中で息が切れ、やっとのことで病院にたどり着いたという感じであった。私はこの時点でようやくことの重大性に気が付いたのであった。自分の身体の中で何か重大な異変が生じているらしい。

 最初に採血を行なった。この血液検査は呼吸器内科の受診前には必ずやる検査で毎回分析には結構時間が掛かる。したがってその後の呼吸器内科の診察までには1時間の余裕がとられていた。この空き時間の間に冠動脈CT検査を行なうことにしたのである。

 そこで画像診断部門へ移動しCT検査を受けた。検査の結果は、呼吸器内科の後に循環器内科の診療予約を入れてあるのでそこで聞く予定になっていた。

▼診断
 CT検査を終わって待合室に戻り、呼吸器内科の診察時間が来るのを待つことにした。しばらくすると内科の診察室とは反対側に位置する中央治療室から出てきた看護師が私の名前を呼んでいるではないか。慌てて中央治療室に入ると循環器内科の医師が待っていた。緊急なので呼吸器内科を飛ばして、CT検査の結果を説明するとのこと。いよいよ来たかと覚悟を決めることにした。

 医師と一緒に画像表示専用のモニターを見ながら説明を受ける。画面には私の心臓のカラー写真が表示されている。それを見た瞬間の衝撃は今でも我が脳裏に鮮明に焼き付けられている。私は検査結果に驚いたのではなく、表示さている画像の鮮明さに驚いたのである(*2)。後から考えると、それはコンピュータが作成したイメージ画像だったのだが、如何にも本物らしい説得力のある画像だった。心臓以外の部分はすべて消されていて心臓部分だけが本物の心臓らしく表示されている。
【注】(*2)昔、医用機器技術研究所にいた頃、CTやMRI機器の開発に携わっていたので、当時の画像処理技術よりも格段に進歩しているのに驚いたのである。
 医師は画面上の一点を指差しながら、ここに狭窄がありますと言う。なるほど冠動脈の左前下行枝と呼ばれる血管の根本の部分が高度狭窄の状態になっているようだ。髪の毛が1〜2本しか通らない位の隙間しかないとのこと。心筋梗塞の一歩手前であるという。

▼入院と手術
 正式な病名は不安定狭心症と呼ぶらしい。即入院で、すぐ手術をする必要があると宣告されてしまった。
 覚悟していたことなので、その場で説明の内容を了解し手術を受けることに決めた。しかし家族にはその旨を報せなければならない。

 電話で家族に連絡することになったが、電話を掛けに行きたいと言う私に対し医師は動いてはいけないと言う。車椅子での移動を指示された。困っていると医師が自分の携帯電話から電話をしてくれたが、不在で連絡が取れないようであった。仕方なく以後の家族への連絡は、自分のスマホ上のアプリLINEを用いることにした(*3)
【注】(*3)私のスマホには、音声通話機能がない。
▼カテーテル手術
 LINEを用いて家族(二人の娘)への連絡メッセージを入力する。手術までにどの程度の時間的余裕があるのか分からないので、簡潔な文章で一つ記述するとその都度送信していった。これを繰り返して取りあえず必要最小限の事を伝え終わると、どれも既読にならない内に手術の時間になってしまった。

 車椅子で集中治療室に用意されたベッドに移動し、着替えて手術を受ける準備をする。ベッドに寝た姿勢のまま手術室へと移動する。何の心構えもできていない内に周りの準備はどんどん進行しているようである。余計な事を考えている暇もないから、その方が良いのかもしれない。

 いよいよ手術室に入る。麻酔は部分麻酔でカテーテル手術を受けることになった。カテーテルを挿入する場所は股のところと聞いていたが、実際は臍の下10cm程の位置で、そこから右足方向に5cmほど寄った部分であった。

 手術開始。以後は何が行われているのか全く分からないまま、時間が進んでいく。カテーテル挿入位置付近に医師の手が当たっているのが感じられるから、今まさにカテーテルの挿入作業をしているのだろう。一番大切な作業を行っているらしい。

 その内に作業をしていない時間帯が訪れた。人声もしない時間が長く続く。何をしているのだろう。傍に人が来た機会を捉えて一度「今、どうなっているのですか?」と聞いてみた。すると「血管内部を調べているところです」の一言。作業の邪魔にならない様、以後は余計なことは聞かないことにした。

 かなり長い時間この状態が続き、また作業が始まったようである。眼を閉じていてときどき開いて様子を見ると、両側から私の胸部に向けてビニールカバーで覆われたテレビ端末状のものが迫ってきている。多分X線の撮影装置であろう。少し離れたかと思うとまた近づいてきたりしている。X線撮影が必要なときだけ近づいてくるようである。

▼寒い!
 その内に寒くなってきた。強烈な寒さである。何かを注射されて寒くなったのかと最初は思ったがそうではないようだ。手術室全体が寒くなっている。身体が寒さで小刻みに震え出してきたから相当な寒さである。震えが止まらない。

 後で確認したところ、エアコンを目一杯の能力で冷やしていたらしい。体表面の血管や手足の末梢血管を寒さで収縮させ、血液の流れを心臓付近に大量に集中させるためらしい。

▼熱い!
 寒さが少し和らいできた。身体の震えもおさまったようである。手術の時間が終りに近づいた頃、突然身体が熱くなってきた。頬が火照るような感じで全身に暖かい血液が流れ込んできたように感じられる。血管の詰まっていたところが開通したのだろうか。しかし後で確かめたところでは、そうではなかったようである。

 こういう手術では、問題のある部分が最初にどうなっていたか、それが最終的にどうなったかを正確に記録した写真を撮る必要がある。ところが、血管壁というのは普段から太くなったり細くなったりと脈打っているので、写真を撮った瞬間にたまたま血管壁が細くなっていたら、折角の手術がうまくいかなかったように見えてしまう。それを避けるため、意図的に一瞬だけ全血管壁を広げてその瞬間の写真を撮るのだそうである。なるほど、広告写真を撮るのと同じで絶好のシャッターチャンスを捉えて写真を撮る必要があるのだ。

 かくして、カテーテル手術は約1時間半で無事終了した。

▼手術後の方が大変
 カテーテルが抜き取られると私の上半身の胴体部分と右足とが一つに固定された。幅の広い医療用テープを用いてまるで荷物を梱包するかのように固定していく。腹部はX字形にテープ止めされてしまった。両手は開放されているが、これでは寝返りも打てない。医師の許可が出るまではこの体勢で、特に右足は動かさないようにと指示された。

 無事に手術室を出ると、急遽駆けつけてくれた家族(娘たち)が迎えてくれたようだ。首を動かせないので私の視界には入らなかったが、声だけは確認できた。
 この後、私は集中治療室に戻ることになり、家族の者たちには医師から病気の詳細が説明されたとのことであった。

 実は、私は仰向けに長時間寝ていると背中が痛くなるという問題を抱えている。何故そうなるのかは不明だが左肩甲骨の辺りが我慢ができなくなる程痛くなるのだ。丁度心臓の裏側にあたる場所なので、今まで病院で何度か調べてもらったが原因は不明であった。今まさにその状態になりつつあった。特に寝返りが打てない状態は非常につらい。カテーテル手術そのものは何の苦もなく済んだが、むしろその後の方が大変であった。

 集中治療室に戻ったが、何しろ梱包されているような状態だからベッドに寝たままの姿勢で寝返りどころか上半身を起こすこともできない。
 手術後の最初の食事は、ほんの少し上体を上向かせてもらったが、寝たままの姿勢で摂ることになった。詳しくは書かないが、入院中で一番難しく、かつ苦しい作業であった。

▼反省
・判断基準の甘さ
 言うまでもないことだが、症状が分かった時点でもっと迅速に行動すべきだったと思う。全般的に判断基準が甘かったようだ。普段から自分の健康に関しては意識が高い積りだったが、その程度の知識では役に立たないことが分かった。もっと重い病気の前兆となる症状について更に知識を高めていかなければならないと強く感じたのであった。

・高齢者の人間ドック
 私は企業人の頃から毎年の年末には必ず人間ドックを受診していた。しかし80歳の大台を超えた時点で人間ドックはやめることにした。

 なぜかと言うと、人間ドックの検診では最後に医師との面談があり各種の検診結果の数値を見ながら生活上注意すべき点の指導を受けることになっている。その際に、被検者が高齢だと医師の注意・指導が甘くなることを経験したからである。

 「ある程度年齢のいった人には注意しないことにしているんですよ」などと“慈悲深い”表情を浮かべながら話す医師もいる。それを有難がる人はいるかもしれないが、私は少しも嬉しくはない。何の為に高額な費用を払ってまで検診を受けに来るのか、という点に考えが及ばないのだろうか。気付いて欲しいものである。

 そこで私は、80代になった年からは既往症のある部位を中心に診療科を選んでチェックしてもらう方針に切り替えたのである。

・脳ドックと心臓ドック
 私はラジオから得た健康情報をテキスト化し、インターネット上の「私が耳にした健康情報」という欄で紹介している。その中で「百歳生きるための方法」というテーマで、最近5つの話題を紹介した。その中の第2話として掲載した「中高年の受けるべき身体検査」の内容が、私には興味深いものであった。音声を録音したものを繰り返し聞いて「文字起こし」をしたのだが、最初にラジオで聞いた(*4)直後は分かった積りになっていた。
【注】(*4)このラジオで聞いた時期は、冠動脈CT検査を受ける日の1週間前(12/11)である。
 しかし録音から文字起こしをして作ったテキストを通して読んでみると、どうも内容がしっくりと理解できない。論旨がよく分からないのだ。個々の指摘は理解できるのだが、この論者が全体として何を言いたいのかが理解できないでいた。何度も読み返すうちにやっと分かってきた。

 どうやらこの論者は「人間ドックはやめて、心臓ドックと脳ドックを受けよ」と言いたいらしい。つまり、中高年になったら人間ドックで検査を受けて得た細かい数値をいちいち気にするよりも、心臓ドック、脳ドックを中心に検査して血管の異常を発見してもらう方が良いと主張していたのである。

 これをラジオで聞いたのは手術を受ける前であったが、私は愚かにも論者の意図を正しく理解できていなかった。真意が分かったのは手術後の1月末頃だったのである。

 私は人間ドックはやめていた。脳ドックは受けている。しかし心臓ドックだけは、残念ながら受けていなかった。この内容をもっと早く、そして正しく理解(*5)していれば、もしかすると今回の騒ぎは避けられたかもしれないのである。
【注】(*5)「中高年の受けるべき身体検査」の内容は、その後(勝手ながら)分かり易いように手を入れました。
▼最後に
・背中の痛み(その後)
 なお、背中の痛みのその後については劇的な変化があった。退院後2週間は、痛さが直らず夜も良く眠れない程であったが、3週間目からは少しずつおさまってきて入院前の状態に戻ったようである。痛さは残るが、何とか眠ることができるレベルにはなった。

 更に、3週間目から6週間目になると次第に痛みがなくなってきたのである。ある日の朝、気が付くと起床後は何時も痛い筈の背中がまったく痛くない。そういえば昨夜はよく眠れた。久しぶりに経験した快眠であった。矢張りこの背中の痛みは心臓の異変と何か関係があったのであろう。

・長文になった理由
 このエッセイを書こうと思った動機は冒頭に記したとおりだが、実は、もう一つ別の目的があった。それは、私は日々認知症を予防する努力をしているのだが、最新の医学が教えるところによれば、毎日同じことを繰り返していると認知症になり易い。できるだけ新しい試みに挑戦すると脳を刺激して認知症に成り難いのだそうである。

 特に、非日常的な出来事があると脳を刺激することが分かっている。しかし引退した高齢者にとって、そうそう非日常的な出来事に出会えるはずもない。ところが、幸か不幸か私の人生に一度か二度しか起こらないような超ビッグな出来事が起こってしまった。これを詳細に記録して第三者にも分かるようエッセイとしてまとめてみようと思い立ったのである。

 最初の原稿には、入院中に起こったすべての出来事がありのまま記録されれていたので長文になってしまった。しかし本論と関係のない部分はできるだけ最終稿では削除しました。

 と言う訳で、この長文を最後まで読み通し、お付き合いくださった方々に心から感謝いたします。