四色問題とは 音読み 訓読み 笑わない数学 四色定理
素歩人徒然
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四色問題とは


── “四色問題”をどう読むか?

 NHKテレビで「笑わない数学」という番組(*1)をやっている。
 この番組では、いろいろな難しい理論を解きほぐし私のような門外漢でも“分かった積り”にさせてくれる頼もしい番組である。本当のところは正確には分かっていなくても、これを視聴すると何だか分かったような気がしてきて、自然と自ら“分かったこと”にしてしまう。そんな気にさせてくれる効果があるから、私は何時も大いに楽しませてもらっている。毎回、次のテーマが待ち遠しくなる。
【注】(*1)毎週水曜日の夜に放映されるが、主なテーマとしては以下のものが予定されている。「リーマン予想」,「フェルマーの最終定理」,「連続体仮説」,「四色問題」,「ガロア理論」,「abc予想」,「確率論」,「P対NP問題」,「カオス理論」,「ポアンカレ予想」,「暗号理論」,「虚数」,‥‥ 世の天才数学者たちを苦しめてきた数々の難問の世界を1回30分に凝縮して分かりやすく掘り下げてくれる番組です。
 先日放映されたテーマは「四色問題(*2)だったのだが、このときは私は別の理由(確かめたいことがあった)で放映当日が待ち遠しかった。
【注】(*2)どんな地図でも四色あれば塗り分けられるという問題。
 この番組の唯一の登場人物は、舞台回しの役を演じるお笑い芸人の尾形貴弘氏である。彼が登場し「今回のテーマは“四色問題”!」と叫んだとき、自分が確かめたかったことが確認できた瞬間でもあった。そして私は「あぁ、やっぱり‥‥」と、正直 少し落胆したのであった。

 彼は「よんしょくもんだい !」と叫んだのである。

 四色問題が解決したのは1976年である。当時、私はその証明方法を詳しく知りたいと思った。私が大学を卒業し企業人となってから十数年が経過していた頃である。その証明の中でコンピュータを使って証明する部分があり、その是非が話題となっていた。私は大学で数学を学び、卒業後はコンピュータのソフトウェア技術者となっていたから、どちらの分野にも関心があったのは当然の成り行きであった。

 当時、数学の問題はエレガントに解くことが重視されるようになっていた。それを、理論だけでは解くことができないからと言って、コンピュータの力を借りて証明するという行為は果たして許されるのだろうか? という訳である。エレガントでないことは明らかだが、だからといって証明にならないというのも無理がある。エレガントではないがエレファントな解だと揶揄されていたのである。

 一松信先生の著書「四色問題 ― その誕生から解決まで」(1978)を購入して読んだのを覚えている(残念ながら、その本は今は私の手元にはない)。
 確か、その本の冒頭に読み方が書いてあったと記憶している。本の読み方ではなく、題名の(!)読み方の方である。一松先生の言によれば、これは四色問題ししょくもんだいと読むと記されていた。

 そうです(ルビが小さくて読めない人のために ! 拡大すると)、

   四 色 問 題ししょくもんだい

と読むべきだ、と言うのです。

 なるほど、四色よんしょくと読んだのでは重箱読じゅうばこよ(*3)になってしまう。日本語では、用語を構成する漢字を読む場合、音読み訓読みを混ぜるのは避ける傾向があった(過去形で表現したのは、今は知らない人が多いからである)。
【注】(*3)“重箱”の「じゅう」は音読み、「ばこ」は訓読みである。
 私はこれ以後、必ず四色問題ししょくもんだい(ししょくもんだい)と読むよう心掛けている。しかし普段の生活環境ではそれを発声する機会は滅多にない。本を読んでいて黙読しているときしか出会わない用語だからである。

 少し話が脱線するが、日本語とは不思議なもので 音読みの方が訓読みより重厚な印象を与えるものである。それを知っていれば、人前で話すときなど説得力のある漢字の用語をいくらでも使える筈なのである。

 ところが最近では、音読みと訓読みの違いや、その効果を知らない若者が多いせいであろうか、重箱読みの用語(*4)が増えてきているように思う。
【注】(*4)昔の中学校の理科の教科書には、気象観測のために設置する観測機器として“百葉箱ひゃくようそう”と呼ばれる機器の写真が載っていた。学校にはそれが必ず設置されていた。今ではそれを“百葉箱ひゃくようばこと呼ぶのだそうである。わざわざ重箱読みに変えてしまっている。
 日本の政治家の漢字を読む力は、いささかお粗末(*5)に過ぎることはよく知られている。
【注】(*5)お粗末な例
     A総理 : 訂正云々ていせいうんぬん ⇒ (ていせいでんでん)
もう一人のA総理 : 頻繁ひんぱん ⇒ (はんざつ)
        : 未曾有みぞう ⇒ (みぞうゆう)
        : 踏襲とうしゅう ⇒ (ふしゅう)
 政治家の口から発せられる言葉は軽い。普段から漢字を読む機会が少なく、いい加減な表現しか身に付いていないからであろう。ところが、その言葉の中から突然耳慣れない音読みの用語が飛び出してくることがある。たとえば、何か特別なテーマで記者発表するようなとき、そういう場合は間違いなく裏方の専門家が作成した原稿をただ棒読みしている場合が多い。それらは昔から使われている専門用語であり、大抵は音読みで重厚な印象を与える表現になっている。

 これと同じことで、厳粛な場では四色問題ししょくもんだいの様に音読で発音する用語の方が間違いなく重厚な印象を与えることができる。機会があったら、一度試してみられるとよい。

 そして、その後 数十年が経過した。

 あるとき、娘たちの前で四色問題が話題になったことがあった。そのとき何気なく「正式には四色問題ししょくもんだい」と発音するんだよと話したところ、娘たちからは総すかんを食ってしまった。そんな筈はない。インターネット上で検索してみると四色問題よんしょくもんだいと書いてあるという。

 私はそのとき初めて世間では、今や四色問題よんしょくもんだいと読むのが普通になっているのを知ったのであった。
 それ以後、私はこの発音問題(?)に関しては、ダンマリを決め込むことにした。そしてまた数十年が経過した。

 今回のNHKの番組を見て、これは最後の機会だと思い私は再び読み方に拘ってみることにしたのである。念のため、ここでもう一度インターネットで検索(*6)してみると、何と(!)、喜んでください(?)、インターネット上では、
   四色問題ししょくもんだい または 四色問題よんしょくもんだい
の両方が使えることになっていた。漸く高齢者の意見にも耳を貸してくれる時代になったのだ。結構なことではないか。
【注】(*6)検索のキーワードは '四色問題' と 'Wiki' とである。
 しかも、四色問題は正式に解決したとみなされ、インターネット上では四色定理ししょくていり または 四色定理よんしょくていりというキーワードが使われていることが分かった。

 ところで、インターネット上の百科事典 Wikipedia では“四色定理”というキーワードが定着して“四色問題”というキーワードは不要になった。
 今後は“四色問題”と書けば、それは 四色問題ししょくもんだい または 四色問題よんしょくもんだいをどう読むべきか(発音すべきか)という日本だけに生じている問題について論ずる場として利用したらどうであろうか。